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「誰からも好かれよう」とはしなくなった

誰からも愛される人は実際いる。

しかしそれは、
狙ってできるものではない。
――はい、そうです、
少なくとも自分は、
そういうタイプではないのかもしれないです。
(いい加減そろそろ気づいていました。笑)

いや、誰にも別に嫌われたいわけではないけれど、
でも、
「ありとあらゆる人に、どうしても嫌われないように」なんてすると、
自分の場合あるいは、
そういった性質を「利用しよう」などとする人間が
どうも寄ってきたりも、これまでに何度もしてきた気もするし。(笑)

そして、そういう時に
「わーっ大変!そんな自分を誰か守って!ネットワーク」を
構築するのもこれまた多分苦手なほうなのである、自分は。
――いや、こういうネットワークってあると思うのだ。
自然に親しい人を多く自分の周りに集めることにより、
結果的にその周囲の人が「砦」になっていて、
悪い類いの人間から「守られている」タイプの人って、
または「互いに守り守られている」ネットワークって、
確かに存在するように見受けられる。
(例えば、空き巣は「人が多く集まる家」よりかは「ヒト気のない家」を狙う、ということにそれは似ているかもしれない。)
――が、しかし、
自分はどうもそういう
「親しい人がよりたくさんいつもそばに」みたいなのが
そもそも苦手なんだろうなあ。
(憧れはするけどなあ、
そういう「守られポジション」「お守りネットワーク」の中の人々って。笑)


そんな自分はどうしたらいいか?

もう、これは「割り切る」しかないのである。

「100%すべての人から好かれる」なんて、もう狙いません!
――だって、心根からして、
自分、そういう人間じゃないもの。(笑)


そのかわりと言ってはなんですが。
「最低限の誠実さ」だけは失わないようにしようかと。
(自分みたいな人間を最終的に守る「砦」は、
むしろこれしかない気もするし。)

そして、それを解ってくれる人は、
必ずどこかにいてくれるものである。
(「ネットワーク」になる程にはいないけどな。笑 しかし、)
「すべての人は見ていない」けれど、
「必ず誰かは見ていてくれる」ものだ。
――それだけでいいではないか?

「自分の胸に手を当ててうしろめたい」
そういうことだけはしない。
これは、自分の基準をしっかり持つ。

そしてこういう姿勢は、
ちょうどいい「リトマス試験紙」になる。
こんな自分を、快く思わない人間がいたとしたら、
その人とは元から合わないし、
「無理に合わせようとしない」そのほうがいいのである。
(無論「わざわざケンカしようともしない」のであるが。)

「最低限誠実に」「うしろめたいことはしない」
それだけを守ったら、
人から「好かれる」「好かれない」は、
後からついてくるものだと思うことにした。
――「好かれる」「好かれない」を
自分で「コントロール」しようするのも、
どうも自分は好きではないのだと思う。

変に上目遣いな感じも、
強気なものや強い立場の人にこびへつらうような空気も、
自分は出したくないのだが、
「好かれている?」を気にし過ぎていると、
どうもこういう空気感が発生してしまう気もするし。
(これは個人的な好みの問題で。
なので別に人がどうしようとそれは気になりません。)

なので私は、
「好かれようとはあえて意識しない」と、決めたのである。