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いや、子供の頃、世界は広かったんだよ

※カバー写真は、つい最近の旅先での線路の写真なので、
今回の記事のエピソードとは関係ありません。


いや、子供の頃って、
行動範囲は確かに今より極めて狭かったが、
しかし、その狭い範囲の世界が、
感覚の中で途轍もなく「広い世界」だったのである。



皆さんは、
「家に帰れないかもしれない」と
思ったことはあるだろうか。

私はあります。
――それも、家の最寄り駅を乗り過ごしてただ
「隣駅」まで行ってしまっただけなのに。(笑)

駅間の距離も5分もなくてそこまで長くはない上に、
使っていた最寄りの路線は、
当時昼間でも1時間に上りも下りも4本くらいはあったと思うので、
今にして思えば「何をそんなに?」という感じだったのだが。
――いや、当時小学校低学年だった自分には、
それは一大事だったのである。
(ハイ、つまり、大人になってからの話ではありません。笑)
(というわけで、そんな子供時代のエピソードを、この間ふと思い出したわけです。)

自分の家の最寄り駅より上り側の駅は馴染みがあったのだが、
下り側の駅にはあまり馴染みがなかった、
というのも大きかったかもしれない。
「あまり行ったことのない馴染みの薄い場所」
イコール
「はるか遠い世界」だったのである、当時は。(隣駅でもね。笑)

冷静に考えれば、ただ単に、
「次の駅で降りて上り電車に乗って一駅戻れば済む話」
なのであるが、
「降りそびれる」という、当時としては「まさかの事態」に、
(その後何度もやらかすことなのに、笑)
自分でもパニックになったのであろう。

私のその様子を同じ車内で見て気づいてくださったのだと思うが、
そう言えばその時、
知らない年配の御婦人が声をかけてくださり、
私が「降りるべき駅で降りそびれた」ことを話したところ、
何と、わざわざ次の駅で一緒に降りてくださって
(なのでその御婦人は目的地への到着が、
一電車分遅くなってしまったはずだ。)
私が上り電車で戻れるよう、ホームまで案内して見届けてくださった、
なんてこともあった。
(詳細なことは憶えていないのだけれど、
その時の自分、ちゃんとその方に御礼を言えていたかなあ??
自分のことにいっぱいいっぱいだっただろうからちょっと心配である。)

特に子供時代に見知らぬ方から受けた親切は、
こうして一生記憶に残ったりもする。
私も人には親切でありたいものだとつくづく思う。



小学校中学年くらいになると、
逆に「大冒険」を始めたりもするのだが。

今度は上り方向で二駅分、
歩いて友達と、
「西友」(4階建ての)に行こうとしたことも一度あったなあ。

まあ、大人でも歩いて行くには骨の折れる、
小学生にとってなら尚更それは、
「結構な距離」であった。
(やはり電車で5分くらいの距離だ。)
――今にして思えば、「あとちょっと」のところまで
行ったのである。
しかし、最後に、だだっ広い鉄道車庫沿いの長ーい直線の道があって、
その先にその西友があるのはまず皆解っているんだけど、
如何せん小学生なので、
その道の「距離感」までは正確に解らない。
そして、日も暮れてきて、
たしか誰かが
「そろそろ家に帰らないと」と言い出したのだと記憶している。
――みんな、その「長い長い直線の道」を行って、
そして明るいうちに元の「自分達の場所」まで帰れるか、
自信がなかったのだと思う。

その数年後には自転車で、
平気で二駅先の西友くらいは行くようになるのであるが、
あの時の「彼方の西友(4階建て)」のことは、
いまだに思い出す。
――あんなに遠かった西友を、私は他に知らない。(笑)



小学校高学年にもなれば、
自転車で「遠かろうとどこへでも」行けるような気持ちにもなってくる。
――但し、乗っていたのは俗にいう「ママチャリ」というやつなので、
実際は、今にして思えば、
距離としてはそこまで遠くに行けたわけではないんだろうが。

やはり「見知らぬ場所」は
子供にとって「遠い場所」なのである。

そういえば、
とにかく一方向(と自分が感じる方向)に、
進めるだけただただひたすら自転車で進んで、
(片道一時間くらいは走ったのではないだろうか、)
「全然知らない場所」まで行って、
で、そこから帰ってくる、という遊びを、
私はその小学校高学年当時によくやっていた記憶がある。

私が子供の頃住んでいた町は、
都会ではなく、しかし、
田舎は田舎でも自然豊かな田舎というわけでもまたなかった。
なので、その「自転車旅」(旅?)で見た風景は、
きっと、実に「何てことのない風景」ばかりだったように思う。

それなのに、その時にみたその景色の断片は、
今でもなんとなく思い出せる。
――うん、やっぱり、思い出してみるとそれらは、
「なんてことない風景」ばかりなのであるが。(笑)



「旅」とは?
「世界」とは?

距離や面積では、
「遠い」も「広い」も、
実は正しくは測れないものなんだよなあ、
「旅」においても、「世界」においても。

いまだにどこかに旅に出かける時、
(国内に限りますが、)
あまり下調べをしないで行くのは、たぶん、
その旅の「遠さ」と「広さ」を、
「未知である」というところから、
(なので一抹の「不安」なんぞも携えながら、)
感じて楽しみたいからなのだと思う。

「遠くまで行ってきた」「世界は広かった」は
「感じること」が実はすべてだとも思うからである。