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「ささやかな」
「ささやかな」ってくると
その後に続く言葉は
概して「しあわせ」であることが多い。
「小さくて、取るに足らない」
そんなものこそ、
もしかすると自分は
好きなのかもしれないなあ。
「大きくて、有り余る」ものよりも。
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フツーの、
さりげない、
淡々と、
でも続いている、
そんな事が。
振り返った時に、
でも一番、
なんだか懐かしかったりもまたする。
――「懐かしさ」って、
これもまた一つの幸せの形なのかもしれない。
私は
「懐かしさ」を
愛している。
そして、
そんな「懐かしさ」を
愛おしむことができなくなったら、
自分は自分でなくなる気すらする。
![](https://assets.st-note.com/img/1679105272825-EwrpKnbOTj.jpg?width=800)
「ささやかな」ものにこそある、
そんな「懐かしさ」、
あるいは、
「せつなさ」「愛おしさ」など、
それらを自ら抽出できなくなるのは、
多分、
自分のものを見る・感じる「目」が、
そのレンズが、
汚れて曇ってきているからだと思う。
その汚れや曇りは、
どうして付くのだろうか。
――忙しすぎたり、
こだわりすぎたり、
そんなことでもそれはまた
付着する気もする。
そうなっちゃうくらいなら、いっそ、
何に対してもピントが合ってない
何をも焦点に合わせない、
そんな、ぼやけた視点で、
ぼんやりした世界を見ているくらいのほうが、
まだマシなのかもなあ、と思う。
――そのほうが、たとえば、
「今日、空気が違う」
「今また、季節の匂いが変わった」
そんな「ささやかな」、
だけど「ありのまま」のことにもまた
逃さず気づける気もする。
![](https://assets.st-note.com/img/1679105013358-TFHseLortm.jpg?width=800)
振り返った時、
懐かしいと思える「日常」を。
――「ささやかさ」が
でも「あふれている」、
そんな毎日を。
重ねながら、集めながら、
生きていきたいものである。
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