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「できること」「できないこと」と「できなくなること」

実は私は、俗に言う「運動音痴」である。

幼少期から、運動が、からっきしダメだった。

「ああ、運動神経ゼロとは、こういう状態を言うのか……。」
と、「他者が容易くできることができない自分」について、しみじみ思うことも多かった。

で。

これは「自分自身で」解る、または実感できることだから、別にいいのである。

問題は、「その逆」かもしれない。

あからさまに技術・能力的なことならまだしも、「想像しやすい」のだが。

「何故こんなことくらい気づかないのか」
「何故時間を守れないのか」
「何故いちいち片づけられないのか」
「何故集中してやらないのか」
「何故メモとって、うっかりミスをしないようにできないのか」
何故きちんとしないのか??何故なのだ?!?!
――というような、これらのことって、「真面目にやれ」とか「やる気がないのか」とか、つい(単にそういう問題の人もいるから、笑)そう思ってしまうけれど。

自分が当たり前に難なくできることでも、もしかすると、その人にとってのそれは、ハードルが高めに設定されている、ということは、あり得るのであるよなあ。

……な~んて、気が回らない、遅刻が多い、片づけられない、その他諸々、他者各人の諸問題に対して、最近、感じるようにもなってきた。

そうだよなあ、かつての体育の時間とか、たぶん、運動が普通にできる人々からしてみれば、自分の運動する姿って、
「マジか? この人、何でこんなことができないんだろう??」
下手すると
「やる気出せよ!何で努力しないの?ちょっとがんばって練習すればいいことなのに」
って感じだっただろうなあ。

――でも、できないものは、できないものなのである。

で、自分の「苦手な世界」のことは棚に上げて、別件では、他者に対して「何でそんなことができないの?」と思いがちなのが、人というものなのである。


そして、こういうことに、実感を伴って気づけただけ、「生まれつき極めて不得手なもの」があって、よかったのかもしれない、とも、今は思えるようになった。

あるいは、これは「自分と他者」だけの話ではなくて、「自分と自分」の話にもなってきたりもする。(これくらいの歳にもなると。)

――「以前は軽々できたのに、今はできない」ということも、ボチボチ出てくる、ということである。

一番シンプルな例で言えば、身体機能の低下によるそれらになるのだろうが。

しかし、それ以外にもいろいろある。
――とりわけ、気づいてハッとすることとしては。
「当たり前に作れたものが当たり前に作れなくなる」といった、「感覚的なもの」の「退化(なのかな?)」であろうか。

「え~、まさか!かつては、いくらでも作れると思っていたのに! 今は何も出てこないなあ?!」みたいなことである。
――楽々、悩むことなく書けたり作れたりしていた、特に「得意分野」で「大好きだったこと」が、「アレ?できないかも?!」となり、驚愕する日がくるなんて!

という、あるいはこれは、自分にとっての次の、言うなれば「予告」も兼ねているのかもしれない。

例えば、今、私は、毎日何かしら文章を書いているが。

これも、例えば、書くことをやめてみて、十年くらい経つと。

「あの頃は毎日、何かしら、書くことが思い浮かんでいたのに。
――もうできないなあ。どうして、当時はあんなに書くことが毎日思い浮かんでいたんだろう??」
ということになる可能性も、普通にあり得そうだな?
と、今、私は思っている。
(いまいち「実感を伴った想像」は、ありがたいことに「今は」しにくいわけであるが。)

もしかすると。

続けてさえいれば、その能力は、保てるところもあるものなのかもしれない。

で。
「枯渇」とは、「湧き出るものの取りすぎ」で起こるというより、「取らなすぎ」で起こるものなのかも?
――それは「湧き出るものの通り道が、変わってしまう、または塞がれてしまう」というようなことなのかもしれない。
「その時に使い続けていた替わりの別の力」の堆積で、そうなってしまうことは、十分あり得ることだと思う。

「いつでもやろうと思えばできる」と考えて、一度「継続」を「手離す」と、もしかすると、当たり前に手の中にあったその「能力」は、スルスルッと、手の中から、気づかぬうちに滑り落ちてしまっている、と、そういうものなのかもしれない。
――どんなに思い入れがあろうと、「使わない能力」と判断されたその力は、「省エネ設計」のこの身体や脳から、いずれ外されてしまうのかも?ということである。
「思い入れ」という「自分の意志」だけでは、そこは案外どうにもならなくて。
「実際、実用して動かしている力」のほうを、脳も含めた身体は、優先して守ろうとしてしまうのだろう、ということである。


自分の好きなことなら。
「今、好きなうちに」、後回しにしないで、「今、やり続けること」が肝要なのだろうなあ。

皆様!
好きなこと、やりたいことは、できれば今、やりましょう!
既にやっている方は、好きな気持ちが続いている限り、できれば今、やり「続け」ましょう!
きっと、それが大事なことです!

「後でいつか」「落ち着いた時にでも」と後回しにして、その後に無事、思った通りにできたことって、私自身、これまでにあんまりない気もします!