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「永遠」に見えたのは、いつでも「一瞬」なのだ

「望むことはただ一つ、こうしてただただ、何かしらを言葉で表すことを、生きている間は続けていけたらいいなあ。」

――という、それだけの願いが叶えられなくなる日も、いずれかは、来るのであろうか?



でも、あえて、「それならそれで、仕方なかろう」と、思うようにはしていたい、と思う。

そう思えばこそ、「こうして書ける今日という日」を、それだけで、「ありがたくてありがたくて仕方ない日」として、感じることができるし。


あるいは、何らかの事情で、しばらくのあいだ筆を置いたあと、再び書こうとして、「あれ?もうそんなに、あの頃みたいに書きたい気持ちは、なくなってしまったなあ。」ということも、あるのかもしれない。
――うん、今は想像出来ないそんな状態も、これはこの先、十分あり得ることだ、と、この頃、頓に思うようになってきた。


「一生涯ずっと書き続ける」なんて、思っていた「あの頃」――とか、未来に思っている「あの頃」が、即ち「今」だったりしてなあ。(笑)



「今、これだけは、どうしてもしたいのだ」と思うことが、できている、更には、続けてこられている、そんな「とりあえずの今のこの現況」と、「これまで」とには、心の底から感謝している。

「なくなって気づく」ということでも、別に構わないのかもしれないけれど。

でも、「今、ここにあるうちに気づく」ほうが、やっぱりいいよね?

なんて、今日もこうして書きながら、思っている次第である。



生きている間に「永遠」に見えたものなんて、振り返ってみれば、いつでも「一瞬」のものなのだ。