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「個人」は「個人」、「集団」で見ない。

個人より集団が強いという場合も確かにあるけれど、必ずしもそうとは限らないと思う。

時には、集団より、一人一人、個人の方が強い(強くなれる)場合もある。


だから、もっと一人一人が、 「個人としての」自分を大切にできたら、 もっと「世の中」という「集団」も、巡り巡ってよくなる気がするのだけどなあ。

もちろんそれは、「個人としての」自分を大切にして、同時に「個人としての」他者もまた大切にする、という事。

でも、自分に対してそれができていると、他者に対しても自然とできるようになる気がするんだよなあ。
――自分に「犠牲」を「強いる」と、巡り巡って、 他者にも「犠牲を強いる」ようになりがちだ。



Aの件について賛成だからと言って、Bの件について(賛成する人が多い傾向にあっても)その人が賛成とは限らない。

「考え方」のパターンなんて千差万別。

また、ある集団に属しているからといって、その集団に属している人が皆、ピッタリ同じ価値観や考え方であるわけもない。(その必要もないし。)

「個人を集団でみない。」

――でもこれ、若干、自戒も含むかなあ。
自分も偶に、個人を「集団」単位でみてしまうこと、あるかもなあ。

(しかし、敢えて自戒の反省内容で話を進めず、笑)
それにしても、個人を集団単位でみる傾向が著しく強い人って、自分のアイデンティティーもまた、集団に帰属した形を主に捉えている事も多い気がするよなあ。
――って、そうか、そのこと自体は、別に悪いことでも何でもないのだ。
そんなのもまた、その人の自由だから。

問題なのは。
「自分がそうだからって、他人もそうだと(あるいはそうあるべきだと)決めつけてしまいがちになること。」
むしろそっちの方だ。