見出し画像

"♪あの頃の未来に ワタシは立ってないかもなぁ…”

インターネットに、スマートフォン。

ルンバにSiriにペッパー君。

この前はファミリーレストランで
配膳「猫型ロボット」にも
遭遇してしまったしなあ。
(22世紀に続く。笑)

例えば、
音楽の聴き方一つとっても、
「新たな道具の登場」のたび
驚くことばかり
……だったはずなのだが
この変化には「慣れ」も
ずいぶんと出てきてしまった。

CD登場(80年後半)
「え、小さい!扱いやすい!
曲の頭出し一発だし、
曲順も変えて演奏できるの?」

MD(90年代前半)
「ええっ!さらに小さい!
80分以上も、加えて
デジタル録音できる上に、
その録音したものを、
こんなに自分で
編集できるなんて!
曲の順番変えたり
曲を足したり引いたりできるとは、
これは夢のような録音機器だ!」

――今の若者からしてみれば
「夢のような、とは??」
という感じだと思いますが。(笑)

そのうちi tunes、
で、
今は配信、
それもサブスクリプション主流、
ときたもんだ。

私の物心がついた頃はまだ
(80年代前半くらい)
レコード、カセット。
「(カセットの)ウォークマン」登場で騒然、
(つまり「ヘッドフォンステレオ」)
(って言い方すらしなくなったのか?)
という感じのスタート地点。

あそこから、
思えば遠くへ来たもんだ。
(それもこんな短期間に。)


「未来はますます便利になるだろう」
という、予測はしていたが、
やはり、予測と実際とは、
少なくともどこかは必ず違っているし、
そうなると当然、
思いがけないことも多い。

しかし、そんな
「思いがけない」が
「当たり前になる」
つまり
「慣れてしまう」、
我々のその早さときたら。

「インターネットに接続できない」
それだけで、かなり動揺し、
「スマホを家に置いてきた」
それだけで、かなし焦燥し。

――いやいや、ちょっと待て、
お前が十代の頃まで
そんなものなくても、
平然とやりくりしていたじゃないか。(笑)

いったいぜんたい、
「便利道具」に依存しきってしまって
自分、どうしちゃったというの?!
……という気もしないでもない。


未来は
「当然のような顔をして」
すぐ「現在」に居座る。

「思いがけない展開」もまた、
まるで何事もなかったかのように、
すぐ「現実」に紛れ込む。


――そうなのだ。

「こんなはずじゃなかった未来」
とか、思っている、
「自分の思考回路」だけが、
「いつまでもクラスに馴染めない子」
みたいで、
なかなかどうして、
「仲間はずれ」同然だ。


あの頃の未来に 僕らは立っているのかなぁ

1998年初出 「夜空ノムコウ」作詞:スガシカオ

SMAPおよびスガシカオバージョンが
私に問いかける。

いやいや、
「あの頃の未来」に、
自分は立っていないよ~。

だって、
予想できそうなことすら、
まったくもって、
予想外の展開ばかりだも~ん!(笑)


そう考えると。

「未来を夢見る」とは、
いったい何だったんだろう?
という気もしてくる。

ただの「便利道具」すら、
自分の予想が
ドンピシャ当たることはなかった。

(Siriは意外とおかしなボケをかますし、
お掃除ロボットが、
あんなかわいいまん丸とは
思ってもみなかったし、
ペッパー君に、
どことなく
「君も大変だね」なんていう
シンパシーを感じるとも思わなかった。笑)

でも、予想外であってくれて
ありがとう、という気もする。

だって、
「全部、自分の読み通りでした」
「全予想的中、意外なことは何もなし」
なんて、
多分、そんな現実、
ほとんどがそうだったら、
味気ないし、
退屈だっただろうしなあ。

「自分の未来」について。

「なりたい」ではなくて、
「こうならねばならない」
「どうしてもこうしたい」
と、思っていた時期もあった。

――かつての自分の
そういう「気合」みたいなもの、
それはそれで全否定はしたくない。

でも、「未来」とは。

続いていくこの道の先に
必ず存在して。

しかし、そのくせ、
「すべてのことについて、大方、
自分の予想外にしかならない」
そんなもののようでもある。(笑)

で、
「それを受け入れる」
つまり
「こうでなければならなかったのに」
とか
「どうしてもこうしたかったのに」
とか、それよりかは、
「全て予想は裏切られるから、
そういうつもりでいる」
というそのほうが、
「あの頃の未来」の「今現在」も、
どうも明るいみたいだと
この頃気づいた自分なのである。

僕たちの将来は
めくるめく閃光(ひかり)の中
僕たちの将来は
良くなっていく筈だね

青の濃すぎる TVの中では
まことしやかに
暑い国の戦争が語られる

僕は
見知らぬ 海の向こうの話よりも
この切れないステーキに腹を立てる
――ああ!


僕たちの将来は
めくるめく閃光(ひかり)の中

僕たちの将来は
僕たちの将来は

良くなっていくだろうか?

1984年 中島みゆき「僕たちの将来」

「絶対こうでなければならない」
「必ずこうなるべきだ」
と思ったところで、
未来はその通りにならないものである。

――「誰も望まない未来」を、
私達はこれまでに
何度通り過ぎたことだろう。

でも、唯一、
「今現在」だけは、
「今ここ」にある。
私達の手の上に乗っており、
私達自身が変えることもできるはずだ。

――「理想通りの未来は来ない
と、受け入れる」
ということと、
「今現在の理想を捨てる」
ということは、
また別の話でもある。

なんとなく、私は
未来よりも
「今現在に対して掲げる理想」を
まずは真っ先に大切にしたい、
そんなふうに今、思っている。