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時代も飛び越える!80年代アイドルPOPSベスト31

「80年代とか特に興味ない」という方にも聴いてもらいたい、
今回はそんな「80年代アイドルPOPS」がテーマです。
だって、絶対当時より今の人のほうが耳肥えてない?
だったら再評価しておくれよ~。
……と、思う曲を集めてみました。(笑)

いやー、80年代アイドルPOPSについて、一つ記事を書いていると、別のテーマでもまた書きたくなってしまう。
(……というこの現象に誰か名前を付けて欲しい。笑)

前記事、前々記事と、ベストテンのランクイン週数とか、オリコンのアルバム売上枚数とか、「データ」に基づいて書いてみよう…という趣旨だったのだが。

しかし、それを書いているうちに沸々と湧き上がってきてしまう、ある「思い」があったのである。それは――。

「売上がすべてなの?ヒットした曲だけが名作なの?――違うよね?」

そう、違う。断じて違う。
――と、言い切る、特に私のような「オタク魂の塊」(「タマシイのカタマリ」って重狂しいな、←「狂」はあえての誤変換な。笑)は、
「これ、もっと評価されたはずなのに~、何故~??」とのたまうのが大好きで、そう絶叫してのたうち回るのも、もう日常茶飯事なのでございます。――その症状は人によっては重く、治療法はまだ見つかっていない、これは「難病」なのです。(笑)
そして、「世間の目は節穴」で「世間の耳に念仏」、だけれど「私の目と耳だけは確か」――とでもいいたげな、そんな態度なのであります。(ご容赦ください、自覚症状はあるのです。笑)

そして、オタクって、「この良さは素人には解るまい」とブツブツ独りで唱えながらも、同時に「この良さを多くの人に解って欲しい!」とも同時に叫んでいる、アンビバレントな生物でもあるのです。つまり、「俺だけが解る」とか独り善がりな割には、独りではいられず、特にネット上なんかで、「でも、……でも、聴いてくださぁ~いっっ!」って高らかに吠えている、基本的に、そんな「生態」なのです。(笑)


とはいえ、「縛り」を何も設けないと、無限に「オススメ」が湧出してしまうのもまた「オタク脳」というものなので(笑)、今回の記事ではあえて
「80年代とか関係なく良い80年代アイドルPOPSベスト」を、20人に絞って、お届けしたいと思います。
無論、前述のとおり、今回は、ランクイン週数も、売上も関係ありません。
「自己ベスト」(ってまた、あたかも80年代の名曲が「自分の分身」「自分の手柄」かのように言い出すオタクの悪い癖。笑)です。つまり「自選」「独断」です。


では、さっそくこちらから。

「TATTOO」中森明菜
1988年5月18日リリース 作詞:麻生圭子/作曲:EUROX

一つの動画だけだと、当時を知らない方に「1回きりの飛び抜けてよくできた奇跡のパフォーマンスなんでしょ?」なんて思われるといけないので、あえて複数のパフォーマンスを編集してつなげてあるものを探してみました。
そう、明菜は「いつもこのパフォーマンス」、なんですよ?

※この動画を作成した方、他にもたくさん明菜の曲をこういうふうに編集していてすごい上手なんですよねー。「生音」でこれだけ自然に繋げているのもすごいし、何というか、「そう、そこそこ、そのシーン!」ってところを拾っているのが、素晴らしい。「わかってるぅ~!」って思っちゃう。

――で、今こんな声が聞こえてくる気がします。
「明菜の『TATTOO』なんて、オタクじゃなくても、何なら世代じゃなくても、誰だって知っているっつーの!」と。
……。
……いや、だって、ねえ?
いきなり「誰?」とか「知らない曲…」とか一発目からそういうの上げると、皆さんそういう反応なさるじゃないですか。
なので今回のこの記事の「狙い」が一番「わかりやすい」「伝わりやすい」ところから上げてみようと思って、この曲だったわけですよ。
つまり
「時代に関係なく、時代を飛び越えて、良い。」「今見てもなお良い」
と、いうようなものを80年代アイドルのパフォーマンスから集めてみたかった
わけです、今回は。
すごぉーーく、今、この記事の「狙い」が伝わった、ご理解いただけたかと思うんです。
(という、思い込みが大事です、こういう記事は特にね。笑)

さて、ここまで「見せる」歌謡POPSを昇華し洗練させ続けた人って、明菜さんの他にいるかなあ??と。
で、ちゃんと当時の大ヒット曲にも、仕上げ続けたし、そして何より、今見てもカッコいい。

で、一発目にこちら↓の曲とどちらを上げようかなあ、と迷っていたのです、が、……結局両方上げてしまうというね。(笑)

この曲、明菜の「オールタイムベスト」では外されていたりしてね。でも、87年の年間2位のヒット曲なのになー、と。
明菜の並みいる「インパクト強大」な曲たちの中にあると、割と忘れられがちな曲かもしれんが、でも基本的に80年代後半の明菜のその年一発目のシングルって、「気迫」「熱量」がすごいんだよなー。「ミ・アモーレ」然り「DESIRE」然り。――ね?
「絶対外さねーぞ!!!」っていう迫力を感じるでしょう?(笑)

この曲は、シングルのジャケ写も最高。

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「TANGO NOIR」
1987年2月4日リリース 作詞:冬社花代子/作曲: 都志見隆


って、しばらくこのまま明菜ばっかり出し続けてもいいんですけど(笑)、それなら記事のタイトルも書き直さなくてはだし、「様々なアイドルが群雄割拠してこその80年代」なので、その賑わいをここで再現するためにも、バンバン、ここからいろんな方をご紹介していきたいと思うわけです。
そもそも、一口に80年代アイドルと言っても、その楽曲は様々入り乱れて幅広く、必ずしも多くの皆様が思い描く「80年代アイドルパブリックイメージ」とは合致しないのではないかなあ、と。







この人は、「マリリン」のイメージが強くついてしまったかもなあ。
様々なタイプの作品を、でも、それぞれしっくりくる形でパフォーマンスしていた、その器用さ、柔軟さを、もっと評価して欲しかった気がします。
もちろん歌唱力は、言うことなしです。

「悲しみSwing」
1987年11月25日リリース 作詞:小林和子/作曲:西木栄二


「スウィング」っつってるのに、また最後だけ唐突に激しく踊り出すところに注目してほしいです。(激しく踊り出さずにいられないのは、美奈子の性。笑)
藤井隆氏扮する「マシュー南」も、「Best Hit TV」の美奈子特集でこの曲を取り上げてくれていて、「マシュー、わかってるぅ~!」と思ったオタクはこの私です。(笑)



「HEART BREAK」本田美奈子
1987年6月22日リリース 
作詞:John Wilson,Joe Jackson,Stephen Wilson(日本語詞)湯川れい子
/作曲:John Wilson,Joe Jackson,Stephen Wilson

87年に入って「Oneway Generation」「HEART BREAK」「孤独なハリケーン」「悲しみSwing」で、88年にMinako with Wild Cats結成して「あなたと、熱帯」……と、作品の方向性が思いっきり「バラけた」87年以降の美奈子。――特に後半の曲は売り上げがそこまで伸びなかったせいもあるのか、この頃を「迷走」なんて言い方をする方もいらっしゃいますが、んまあ、なんというか、「定まらなかった」というのは、見方を変えれば「何でもイケた」なんだと私は思うんですよねー。
実際、どの作品世界も、ピッタリと「どハマっている」と思うのだが。――これ、誰にでもできることじゃないですよね?
この頃の美奈子氏については、もっと俯瞰で評価して欲しいなー、と私は思うのです。


「ONEWAY GENERATION」本田美奈子
1987年2月4日リリース 作詞:秋元康/作曲:筒美京平





「プリテンダー」岩崎良美
1984年1月25日リリース 作詞:売野雅勇/作曲:井上大輔


「プリテンダー」っつったら、髭ダンじゃなくて、良美だっつーのねっ!(笑)

岩崎良美氏も、どの曲紹介しようか、すごーーーく迷った。今聴いても古びない良い曲が多いのだ、これが。
その中で、難曲だというのが一番わかりやすそうな、この曲を選んでしまった。チャールストンのリズムも、ものともせずの良美さんであります。
(但し、両動画ともに、イントロが欠けていて残念。この曲はイントロがめちゃくちゃかっこいいのになあ!)
私は80年代アイドルで一番歌唱力のある人は?と問われたなら、――どうしても一人だけ上げなければならないとするなら、この人を上げるかなあ、迷いながらも。
いや、どんな曲が来ても、見事に仕上げてくる。それも、「軽々と」それをやってのける(ように見える)。デビュー当時からいつも「余裕」さえ感じさせ、音をうっかりぶっぱずすよーなこともない。――良美氏のディレクターも、これならやっていて楽しかったでしょうね~、だってどんな球を投げても、ちゃんと「完成品」で上がってくるんですもん。
それにしにても、岩崎良美プロジェクトは、何故もっと評価されなかったのか、と。「タッチ」は自分も好きな曲だけど、それを「代表曲」としてしまった、80年代当時の私たちの耳はやっぱダメでしたね(笑)。





「ヴァージ・オブ・ラヴ (VERGE OF LOVE)」荻野目洋子
1989年1月18日リリース 
作詞:NARADA MICHAEL WALDEN,JOYCE IMBESSI,
CAROLYN HEDRICH(日本語詞)平井森太郎
/作曲:JOYCE IMBESSI

荻野目さんの89年のシングルなのだが、この曲、もっと注目されてもよかったのにな~、と当時も思っておりました。
「え、荻野目ちゃん、こんな歌い方もできるの?」と驚くはずです、当時を知っている方のほうがむしろ。
グラミー賞最優秀プロデューサー賞を獲得していたナラダ・マイケル・ウォルデン氏のプロデュースで、全編英語詞のアルバムを88年末にリリースし、そこから日本語版としてシングルカットしたこの曲。3,4か月に1枚といういわゆる「アイドルシングルローテーション」から外れて、渡米し、レッスンも含めてじっくり制作したアルバムからの曲なわけです。
「ザ・ベストテン」には、ランクインはしたがこの曲での登場はなかった。「短い尺だとこの曲の良さが伝わらない、それで判断しないでほしい」ということであるならば、それは頷けるところかな?





「Marrakech~マラケッシュ~」松田聖子
1988年4月14日リリース 作詞:松本隆/作曲:Steve Kipner,Paul Bliss

カッコ良くて結構好きな曲なんですけど、聖子の他の曲に、存在感強すぎるものが余りにも多すぎて、この曲、割と隅っこに追いやられている感があるので、取り上げてみました。
89年末で終了するTBS「ザ・ベストテン」も、出演したのはこの曲が最後となったし(ランクインは次の「旅立ちはフリージア」が最後)、聖子にとっても時代の変わり目の曲……だが、それでも好楽曲を出してくる聖子の底力ですよ。
この先行シングルを収録した『Citron』で、作詞家に松本隆氏を迎える作品制作は、しばらくお休みになる。(ALでいうと次は1999年12月の『永遠の少女』まで間が空く。)私はこの『Citron』ってアルバム、どれも良作の聖子の80年代の作品群の中でも、とりわけ好きなんですよねー。88年の聖子の、艶も、甘さも、でも同時に少しハスキーでドライだったりもするところも、そういう声の美味しい部分すべてが調和して活きてくる音づくりだったと思う。80年代における聖子×松本隆のプロジェクトも、最後まで傑作の全力疾走、「駆け抜けた」感がありましたねー。

この曲こそ、やっぱ生バンドに限ります!







さて、続いては、88年春、彗星のごとく登場、――1年という短い活動期間で「伝説」を残したこのバンドの紹介だ!

「song by ラ・ムー」ってなっているけど、え、どう見ても、「歌:菊池桃子本人」じゃね?
……って、見た当初、100人中101人の方が思ったであろうこのCMで、「颯爽と」音楽界に「一石を投じた」、謎のファンク・バンド「ラ・ムー」。



「Rainy Night Lady」ラ・ムー
1988年9月14日リリースAL『Thanks Giving』収録 
作詞:田口俊/作曲:和泉常寛

いやー、でもここ数年で、ラ・ムーがちゃんと再評価されてよかったっす~。こういうの、「やっと時代が追いついた」ってやつじゃないですか?ホントに。(ずいぶん待ったがな!「時代」とやらよ、時間かかり過ぎ!笑)
大昔、何かの番組で久保田利伸氏がラ・ムーを取り上げていて、「トシノブ、流石!わかってるぅ~」となった記憶もあるなあ。



ラ・ムーだけでなく。
『菊池桃子が1986年に発表した『ADVENTURE』が米ブルックリンのレーベル、Ship to Shore PhonoCo.からアナログ盤で再発決定。』
なんてニュースもこの間あったしな。
恐るべし世界的「シティーポップ」ブーム。


ラ・ムー以前、つまり「林哲司プロデュース・菊池桃子プロジェクト」は、割と、シングルはシングル仕様、アルバムはアルバム仕様の楽曲を歌っていた印象で。(なので、2ndAL収録の「卒業」とか、3rdAL収録の「もう逢えないかもしれない」とかは、アルバムの中だと唐突にそこだけ浮いて聴こえていた気もする。)
桃子のアルバム曲って、知らない方も多いかもしれないので、こんな感じ。(上記のアルバム『ADVENTURE』からではないのだが。)
打ち込みの曲を、ホーンも交えた歌番組生バンド伴奏に変換するチャレンジ、私はこういうの大好きです。(イントロがちょっと微かにリズムがバラけてコケているが、それはご愛嬌だよな。で、もうこれは「別バージョン」と言っていいくらい、レコード音源とは違うかも。笑 でも、それがいい。「生オーケストラバンドでどう変わるか」というのは、歌謡番組の大きな愉しみの一つ。)

「Dear Children」菊池桃子
1985年9月10日リリースAL『TROPIC of CAPRICORN 〜南回帰線〜』収録 
作詞: 青木久美子/作曲:林哲司



シングルで一番「桃子のアルバム曲っぽい」作品って、これかなあ?(つまり、今で言うところの「シティ・ポップ」っぽい曲。)

「ガラスの草原」菊池桃子
1987年10月8日リリース 作詞:売野雅勇/作曲:林哲司





「One Night In Heaven~真夜中のエンジェル~」Wink
1989年11月1日リリース 作詞:松本隆/作曲:Steve Lironi,Dan Navarro

ブレイクと売上のピークが80年代末にあったので、80年代アイドルにカテゴライズされることの多いWinkですが、作品数だけで言うなら圧倒的に90年代中のものが多い。
この曲は89年末リリースなので、そんな時代と時代の転換点に位置する曲。
80年代中の曲の中では、この曲が一番好きだなー。
作曲は海外作家によるものだが、カバーではなくWinkへの書き下ろし作品。

また個人的な話で恐縮ですが、Winkのオリジナルアルバムもまた、結局全作品(後追いだけど)揃えて聴いてしまった私なのである。但し、何というかその作品群は「ハマる」という感じではなくて、そのかわりどこまでも「ラクに聴ける」という感じで。サラッと聴けると言えばいいのか。――「枚数多くアルバムを聴き倒していく」という、この聴き方が、CD時代というか、90年代の音楽っぽい気がした……なんていう、こんな感想はまあ、私だけでしょうね。(笑)




で、これもまだ80年代中なんです。さすが小泉さん、仕事が早い。(笑)
「THE ハウス歌謡」

「Fade Out」小泉今日子
1989年5月10日リリース 作詞:近田春夫/作曲:近田春夫

そういやこの間、こんな記事があったな。

とりわけ注目に値するのは、近田春夫さんがプロデュースを手掛けた1989年リリースの『KOIZUMI IN THE HOUSE』だ。タイトルからも察せられるがごとく全編にわたりハウスが取り入れられた一枚だが、アイドルがハウスなんて前代未聞の時代である。

小泉「新しいアルバムを作るってときに、スタッフさんに『誰にプロデュースしてほしい?』って聞かれて、近田春夫さんの名前を挙げたのが始まりです。当時は小暮徹さんの家に娘のように入り浸って、本やレコードをいろいろ教えてもらっていたんですね。近田さんのやっていたハルヲフォンを知ったのも、たぶん小暮さんの家だったんじゃないかな。それで近田さんと一緒に仕事がしてみたいなって思うようになって。小暮さんたちの世代が影響を受けたものを、私の世代でも引き継ぎたいというんですかね。だけど、いざ近田さんにお会いしたら『俺、今はハウスしか興味ないから』って言うんですよ(笑)。『だったら、ハウスで』ということでできたのが、『KOIZUMI IN THE HOUSE』。『ハウスをお茶の間に』ってコピーは、編集者の川勝正幸さんが作ってくれました。シングルカットされた『Fade Out』は、今でもクラブでかけてくれるDJがいるんですよ。本当にすごい財産だなと思います」

ところで、「キョンキョンの80年代」なら、私はこの曲が一番好きかなあ。

「水のルージュ」小泉今日子
1987年2月25日リリース 作詞:松本隆/作曲:筒美京平


自身の持ち込みバンドで演奏されることもある歌謡番組でしたが、この曲に関しては、ザ・ベストテンのバンドで、ホーンセクションとか交えた音でも、聴いてみたかった気もしますねー。


「化粧品CM×アイドル×その本人によるイメージソング」の「掛け合わせ」って、80年代の終了とともにあまり見られなくなってしまったかなあ?(しいて言うなら、松たか子氏がかろうじてやっていたくらい? でも何かあれは違うんだよなあ。「時代に浮かれている」感がないんだよなあ。)

と、いうわけで、ここで、化粧品キャンペーンソング「対決」であります。

先攻は、87年春のカネボウのキョンキョンでしたが、


後攻は、86年秋の資生堂の中山美穂氏。


「ツイてるねノッてるね」中山美穂
1986年8月21日リリース 作詞:松本隆/作曲:筒美京平

実は二曲とも、作詞作曲が、松本隆・筒美京平コンビ作品なのです。その上、音源の方の編曲は大村雅朗氏、というところまで共通。(中山さんの方の曲の編曲は、大村氏と船山基紀氏の共同編曲。)
私はこの頃の中山さんの「小娘感」というか「とっぽい」感じというかが、作品群と合わせて「超・80年代」っぽくて、結構好きだったのだが、もう翌年の「50/50」あたりからは「洗練された都会の大人」みたいな感じに仕上がっていて、「…早いね、成長著しいね、美穂。」と当時思っていた、……そんな私もまだ中学生でしたけどね。(頭の中だけ仕上がっている中学生。よくいる。笑)





「ALONE」森高千里
1988年8月25日リリース 作詞:森高千里/作曲:安田信二

森高さんも、その頭角をグングン現しはじめたのは、89年あたり以降なのかなあ、というところで、その頃にはすっかり、世の中も音楽界もどこか俯瞰で観察しているような、落ち着いた雰囲気になっていらっしゃって。
ご自身でドラムを叩き始めた93年頃からの音も好きですが、でも私はこの頃の「血気盛ん」な(←たぶん表現、言葉選び、間違っていると思う。笑)森高さんも好きです。
前々記事で紹介した「ザ・ストレス」とか「17才」の頃には既にどこか「達観」が既に入ってしまっていて、でも87~88年のこの頃には何というか「がむしゃら」「やんちゃ」感がありますよね。「やってやるぜ!」みたいな。
この映像、あれ?森高さんって、こんな「気合」の入った「絶唱」タイプだったっけ?と思う方も多いのではないかと思います。

この頃の作品だったら、自作詞の「ミーハー」も好きですが、2ndシングルのこちらの曲↓あたりの「ヒリヒリ」「尖った」感じも好きです。

「オーバーヒート・ナイト」森高千里
1987年10月25日リリース 作詞:伊秩弘将/作曲:斉藤英夫






「もしも空を飛べたら」小幡洋子
1986年5月25日リリース 作詞:松本隆/作曲:筒美京平

アニメ『魔法のスターマジカルエミ』主題歌なども歌われておられますし、90年代にはESSEXというバンドでフジテレビのイベントテーマソングなんかも歌っておられました。
この人をアイドルに入れるべきかは迷うところですが……いやー、この曲も名曲だから、どうしても紹介したかったんです~。(成美の「ナウシカ」ばっかり取り上げられるからさ~。聴いてよ、この複雑なコード進行~、ってね。笑)
ご存知「天空の城ラピュタ」の、…でも「テーマソング」ではなく「イメージソング」なもので、実は本編では流れることなく。
しかし安田成美氏の「風の谷のナウシカ」は、同じく「イメージソング」だが、テレビ放送の時に予告CMで使われたりするのにな~、なんでこの曲は一切使われないのだろう~??




「PASSION」早見優
1985年8月11日リリース 作詞:中原めいこ/作曲:中原めいこ

今回の記事って、「80年代、私達の耳はダメでした」特集と言ってもいいかと思う(笑)。
と、いいますのも、85年からの、早見優氏の「ロック路線」、もっと音楽リスナー、はしゃいでもよかったんじゃね?と。しかし、世間が著しく当時反応を示していたのはおニャン子クラブだったりして、実際の音楽チャートを振り返ってみても、そんなおニャン子軍団が席巻していたりして(まあ、私もそれを楽しんでいた一人なんですけど!笑)うーん?て、今なら思うところもある。
この85年末、今のところ最後の紅白出演の早見優は、なかなかカッコよかったと思うんだけどねえ。「やらされている」「踊らされている」感ではなく、「やりたい音楽をやってます!」感がある。



さてさて、このように、どんなにいい作品を「熱唱」したところで、「これ、ホントに届いているのかな?」「何でこの良さが売上枚数等に反映されないのかな?」となりやすかったのも、実は80年代、後半は特に、という気がする。



こちらの方は、いつか取り上げたかったのですが、ザ・ベストテンのスポットライト出演も意外となかったから、この記事↓でも取り上げられなかったし。(この記事では、個人的に取り上げたい人を片っ端から紹介した感がありました。笑)

とはいえ、当時、この方の曲はテレビでよく耳にする機会も割と多く、一曲一曲、どの曲も、すごく記憶に、というか「心に」、残っているんですよねー。
「後に改めて評価された80年代アイドル」って何人かいらっしゃいますが、その筆頭じゃないかな?

「トキメキがいたくて」伊藤智恵理
1987年8月8日リリース 作詞:戸沢暢美/作曲:岸正之

(80年代後半デビューの方々って、生バンド演奏の歌番組が少ないから、なかなか見つからなかったんですよねー。これは貴重な生バンド版。)
「曲に恵まれていた」という言い方がありますが、いい曲でも、それを伝えられる人が歌ってこそ、ってのはありますよね。曲も人を選ぶというか。
で、それは、ただ音程バッチリで、技術に長けていて、というだけではダメなのですよ、もう皆々様、薄々、もしくは濃い目で(笑)、それについては感じているかとは思いますが。
もちろん「音程」「技術」それらの要素はあるに越したことはないが、でも、歌ってそれだけじゃないんだよなー、と。少なくとも、私が好きな歌はそれだけじゃない、ってつくづく思わせられます。
この、歌詞を全てここに書き出したくなるような、こんなせつなさの名曲が、でも誰が歌ってもこうしてきちんとせつなく伝わるわけではないのですよ。それはやっぱり伊藤さんの歌に込められている「何か」に、聴き手が反応しているということなのだと、私は思うわけです。





「Auroraの少女」芳本美代子
1986年9月10日リリース 作詞:松本隆/作曲:筒美京平

「サカナ跳ねた」「東京Sickness」「雨のハイスクール」、……。芳本さんも、様々なタイプの、良曲をたくさんお持ちだが、でも、それはもちろん、ばらけたタイプの良曲を、ちゃんとそれぞれで良曲として、伝えられる技量が、この方にもあった、ということなんでしょう。

ここのあたりでご紹介する方々に共通することですが、上手いうえに、「情感の乗せ方もうまい」「歌詞も伝わってきて味わい深い」……のだが、いかんせん、その歌に込める「何か」つまり「something」とやらが、どこまでも「さりげなく」出て来てしまう方々なんですよね。「これ見よがし」ではないというか。
その「さりげなさ」は、本来、大いに評価される点かと思うのです。
が、良くも悪くもガチャガチャした「80年代歌謡界」にあっては、むしろ「さりげなくない」「これ見よがしな」歌い方のほうが、またはそういう要素をより感じられる曲のほうが、結局人々の耳にも残りやすかったのかなあ??なんて思うところはあります。




そうですねえ、例えば、90年代に入ってからも、人気のあるアイドル女優さんなんかが、歌もやってみたりしたけど、結果、意外と「歌のほうは売れない」パターンの人もいらっしゃったりして。(または1曲だけは売れたが、2曲目以降は…、みたいな。)で、その逆に、割と数々ヒットを残した人もいて。
やっぱりその差が出たのって、「歌心」のあるなしの違いかなあ、と思うのです。
80年代という時代は、案外そういう「歌心」を、人々の耳が汲めなく掴めなくなっていった、――もしかすると一番「歌心」をスルーしてしまっていた時代、その底部が特に80年代後半だったかもなあ、という気すらしてしまいます。
そんな時代の中で、力はあるのに取りこぼされてしまったPOPS歌手たちって、アイドル以外にもたくさんいたようにもまた思える。――という、まあ、そこはいろんな意見があるでしょうけどねえ。


「儀式(セレモニー)」松本典子
1986年10月1日リリース 作詞:中島みゆき/作曲:中島みゆき



中島みゆきさんの書き下ろし提供曲。で、みゆきさん自身も89年のセルフカバーアルバム『回帰熱』で、歌詞を一部変えて歌っていたりもする。
私はみゆきファンでありますが、この曲に関しては、この松本典子バージョンの方が好きです。
歌詞の中に
「ひきずられていく 波の中で光る 硝子たちの折れる寒い音がする」
という部分があるのですが、
みゆき版ではそれが、「ヒリヒリと血の滲むような痛みを伴う音」に聞こえるのに対し、
松本典子版では、「耳をすませばかろうじて聞こえるような、青春の終わりの微かな痛みの音」に聞こえるのであります。
石川ひとみ氏の「三枚の写真」のカバーなども良い。そういう「心の機微」を「丁寧に」歌える人だったと思うので、もっとそういうタイプの曲を聴きたかった気もします。





「私の中のヴァージニア」南野陽子
1986年11月1日リリースAL『VERGINAL』収録 
作詞:戸沢暢美/作曲:木戸泰弘

シングルカットされる派手さはないけれど、名曲。――そういうタイプの曲がナンノにはたくさんあるし、そういうタイプの曲の方が、実はナンノの声質には合っているとも思う。
「決して上手くはない」という言葉から入ると、ナンノファンはお怒りになるだろうか。――いや、案外「そんなことはわかっている」という反応が返ってくる気もする。
もう、ナンノのアルバムまで聴いていた人なら既に感じていることだと思うが、ここには確実に「ナンノだから表現できている世界」があるのである。
「今回は売上枚数の話はナシよ」にしようかと思ったのだが、前回のアルバム特集の記事で書き忘れたので。
ナンノはシングルに並んで、アルバムも売れるアイドルであった。20万枚以上のアルバムが5作品。――これは、80年代後半を中心に活躍したアイドルにとっては、かなりの好成績だと思う。
それだけ多くの人が、ナンノの「声」にある「何か」を求めた、ということだと思う。





「いちご水のグラス」斉藤由貴
1986年10月21日リリースAL『チャイム』収録 
作詞:斉藤由貴/作曲:MAYUMI

この曲が収録されたアルバムリリースは86年、で、この映像ソフトのリリースは1990年3月(この記事内唯一の90年代「作品」とも言えるか?)……なのだが、このライブ自体は1989年に行われたものなので、この記事テーマである「80年代POPS」の作品群に加えて、紹介してもいいよね??(どうぞお目こぼしを! 笑)
斉藤さんも名曲はたくさんあるので、はじめは80年代中のTV音楽番組から何か探して引っ張ってくるつもりだったのだが。
いや、でも、
「これが、斉藤由貴だ。」と。

たまたまこの曲も、この映像で聴き直してしまって、――涙した。
私のこの曲との出会いは中学生当時で、その頃も、大好きなこの曲を聴いては、今と同じような気持ちになっていたものだ。
あの時と変わらず、今でも、自分の心がこの曲に反応出来てうれしかった――ともいえるかもしれないが、それより、この曲を聴くことで、中学生当時の自分に、瞬時に戻れたのかもしれない、ともまた思える。
そういう、「音楽の魔力」を、その歌の中に十二分に備えている「歌手」斉藤由貴であると思う。
以下、歌詞引用。

瑠璃色 グラスに氷二つ
溶けてゆく陽炎が
一つになれるのなら

離れ離れになる二人、一つのグラスの中に、氷が二つ。溶けていく「思い」だけが、一つになれるようで、でも、それもまた、いずれは消えてしまう。――いや、または、一つになれるかのように見えているそれは、「陽炎」のような、瑠璃色の幻なのか。

斉藤さん御自身の作詞の曲は、アルバムの中には数多い。斉藤由貴氏の当時の詞を見て思うのが、忙しい中、よくこれだけのものを書いたなー、ということだ。

けして歌番組で派手なパフォーマンスをする方ではない。(「夢の中で」などの「振付パフォーマンス」は、結構例外的なのであります。笑)
が、しかし、私はそこにいつも、「歌手・斉藤由貴」を観ていたと思う。




「ハーフムーン・セレナーデ~Grass Harp Pianissimo~」河合奈保子
1986年11月26日リリース 作詞:吉元由美/作曲:河合奈保子


オリコン最高位は6位、売上は8.4万枚。またこの曲が収録されている全編自作曲アルバム『Scarlet』はオリコン最高位4位、売上は8.9万枚。――うん、印象としては、国内では「スマッシュ・ヒット」止まり、であるのだが。
何とこの曲、後々アジア圏で様々な歌手の方にカバーされたりもしている。(タイトル「月半小夜曲」。)曲が、アイドル河合奈保子の手を離れて、独り歩きをはじめているのである。「作曲家」河合奈保子としては、これはなかなかうれしいことなのではないだろうか。
また、「スマイル・フォー・ミー」と並んで、奈保子ファンの方々の間では、一、二を争う人気曲でもある。
(繰り返しになるが、)歌は、必ずしも売上枚数などの「数字」だけでは、その力を測り切れるものではないですね。
河合奈保子氏の今のところ最後の紅白出場曲でもある。(6年連続出場。)
最後の出場が、この自作曲でよかったなー、と思う。





「彼と彼女のソネット」原田知世
1987年7月1日リリース 
作詞:C.Cohen,Wargnier(日本語詞)大貫妙子/作曲:R.Musumarra

この見事な名曲カバー作品を、ベストテンにランクインさせられなかった87年の日本のヒットチャートって、ホントどうかしていると思います。(笑)
フランスの当時13歳の少女歌手エルザの「T'en va pas」のカバー。原曲の詞の内容とは解釈が大きく変えられている、大貫妙子氏による日本語詞は、これはこれで味わい深い。
大貫妙子氏もセルフカバーしたし、知世自身もフランス語歌詞の原詞版のほうを、何度もリアレンジして発表している。――が、私はやっぱ原曲のイントロに一番近いこのバージョンが好きだなあ。(他のバージョンはこのピアノの旋律がないのだ、この曲はイントロのこの旋律があってこそだと思うのだが!)
80年代前半の「素材として」グングン成長を遂げていた時期を過ぎ、80年代後半からのこの「研鑽された」つまり「尖ンがり出した」知世も、私は大好きです。髪型、衣裳、そして間奏の謎のパントマイムとダンス。――いや、はじめは「この曲に合ってないのではないか?」と思っていたのだが、結果的には繰り返し見てしまう「ドはまりリピート動画」になってしまった。(笑

ドはまりリピートと言えば、夜ヒットでのこちらも何度も見てしまう。
こういったエナメルのワンピースとか、そういう奇抜な衣裳も、どこか人形めいた雛顔の知世が、バレエ仕込みのスラリとした立ち姿で着こなすと、しっくりとハマってしまう。

「雨のプラネタリウム」原田知世
1986年6月21日リリース
作詞:秋元康/作曲:後藤次利



「花のささやき」薬師丸ひろ子
1986年6月9日リリースAL『花図鑑』収録 
作詞:松本隆/作曲:W.A.Mozart

この記事ではなるべく、生歌動画を上げて紹介するようにしていたのですが。
どうしても、どうしてーーーも、この曲だけは紹介したくて。
この記事内で唯一の、これはレコード音源からであります。

薬師丸さんの声の底力に、皆さん、震えて欲しいです。
宗教観、死生観、すらも、飛び越えて。――もうそんな「現世」の向こう側にある作品という気がします。
モーツアルトの曲に松本隆氏が詞をつけた作品なのですが、俗世間に生きる我々も、この曲さえ聴けば、生きながらにして、安らかに永く眠れそうな、そんな世界が広がっているのです。
ホント、こんな曲を聴いていたら、絶対悪いことできないし(…スミマセン、私、この曲もっと聴くようにしますから。笑)、もう、これを街なかに流し続けたら、犯罪撲滅できるんじゃないかなー?
――清らかにもほどがあるぞ!薬師丸ボイス!!



で。
この曲はやはり外すわけにはいかないですね。(と、いうわけで、6月17日に追記。若い世代の方々にも既に浸透している名曲なので今更感満載ですけどね。笑)

「Woman "Wの悲劇"より」薬師丸ひろ子
1984年10月24日リリース
作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂

レコード音源よりイントロが短くされていたから、歌い出し、出遅れてしまいましたね。……ま、ご愛嬌ということで。(笑)


作曲者「呉田軽穂」とは、女優「グレタ・ガルボ」の名前をもじったユーミンこと松任谷由実のペンネーム……なんてことを書くのもまた今更感ですけど、(誰でも知ってますよね?笑)、この曲、ユーミンにとっても「他人への提供曲の中で一番気に入っている作品」とのことで。(納得です。)
……もう、この曲のことは、あまりごちゃごちゃ語らなくていいですよね?あまりにも多くの方が既に語っているしね。(笑)



「時代」薬師丸ひろ子
1988年4月6日リリースAL『Sincerely Yours』収録 
作詞:中島みゆき/作曲:中島みゆき

薬師丸さんのオリジナル曲にはまだまだ「すこしだけやさしく」も「胸の振子」も、その他アルバム曲も、ほかにいくらでも紹介すべき曲があるのに、この曲を出してくるというね。
いや、でも、これはあえて、ね。
私、中島みゆきさん、大好きなんですよ、もう80年代当時から。
だからこの「時代」という曲には思い入れもあるし、名曲だから、いろんな方がそりゃあカバーもするのもわかるし、その都度、名曲だからやはり感動はするんですよね。
が、やっぱり、逆を言えば、みんな「所詮カバー」にしか聴こえないとも言えるわけです。オリジナルの中島みゆきの「時代」が、唯一無二の本家の「時代」だからね~、それがあってのカバーだからね~、……なんて思ってしまうわけですね、――みゆきファンなもんでね。(笑)
が、しかし、薬師丸さんの「時代」は、ちゃんとみゆきさんのとは「別物」になっている気がする。――それが薬師丸さんの「底力」だよなー、と。
ただ、惜しむらくは、この編曲、これはこれでいいのだろうが、でももっとアコースティックな感じのも聴きたかったなー、と(個人的趣味として)思う。この曲は映画主題歌となりアルバムから三か月後にシングルカットされたのだが、何なら、アルバムのほうは、これとは違えて、ピアノ一本とか、アコギ一本とかで収録するとかね。そういうのでも薬師丸さんの「時代」、聴いてみたかったし、そのほうが「伝わった」ような気もするなー。



では、本日最後の曲です。

自身の主演映画「野菊の墓」主題歌。――と、70年代から踏襲されてきた、人気アイドル×文芸作品で映画製作という流れに、まだ81年当時の聖子さんは乗っかっていたのですね。
名曲だと思うのだが、コンセプトとしての「聖子ワールド」からは、そんなわけでポンッと大きく外れてしまっている曲で、なので、たぶん歌われる機会も少ないし、こういう「語る場」で取り上げられる機会も少なそうだし、下手すれば、そのうちに忘れられてしまうのでは?と心配になってしまう曲でもある。――名曲なのに!!!

松田聖子「花一色~野菊のささやき~」
1981年7月21日リリースSg「白いパラソル」B面 
作詞:松本隆/作曲:財津和夫



……。



ありがとうございます。
アンコールの拍手が鳴りやみません。(私の頭の中で、です。笑)



では、こちらをどうぞ!
(というか、始めはこの曲を記事のトップに持ってきていたのだよ~。……でも、「勇気」が足りなかった。笑)
(多分、明菜が、ヒットを狙うとかそういうことを何も考えず、「自分でやりたいようにやる」表現って、こうなるんじゃ?……って、個人的に勝手に思っている。)

「狂気」を感じる、夜ヒットでのパフォーマンス。
ホント、この映像、私、大好きなんです。

1986年8月11日リリースAL『不思議』から。

画像2


「Back door night」
作詞: 麻生圭子/作曲: EUROX
「マリオネット」
作詞: 安岡孝章/作曲: 安岡孝章






今度こそおしまいどぇ~す!
(しかし拍手は鳴りやんでません、……私の頭の中でだけ、ですけどね。笑)

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