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「鬱々とさせるもの」はもう何も要らない

それがどんなに
素敵なことであろうとも。

それを欲したり求めたり追いかけたりすることで、
自分の気持ちのほうが
鬱々とするばかりなら、
もうそれを
欲したり求めたり追いかけたりしないでおこう、
と、思う。
(――というわけで、
今回は完全に
個人的感想ですね。笑)


いや、
「それでもそこを何とか!」みたいな
気迫のほうがまさって湧いてくるなら
いいのだけれど。

それすら負けるくらいになったら、
(そう、そこが負けると
「ただの鬱々」になる気がするのだ)
「そういう時は過ぎたのだ」と。

――そして、
これまでの自分の
その方針や態勢を変えるべき
時期が来たのだろうな、
と、解釈する。


それでも、
「何も得られず無駄に終わった」
とは思わない。

「刻々と全ては変わっていくのだな」
と、思うだけだ。
(実際そういうものだと思うし。)

そして、
「純粋に追い求めて熱い心で
日々を、その時々を生きた」
このこと自体、それだけで既に、
得られているものは、
(心の体力なり持久力なり、
想像力なり創意工夫力なり、
充実感の重みなり、等々)
何かしらあるものだとも
また思う。



「機嫌よくいられるか」とか
「笑顔を完全に失っていないか」とかは、
「良いバロメーター」なのだと感じる。

これからの日々を送るにあたって、
「それらを失わない」ということを
第一とする。
――そのことに、
とにかく留意していきたい。



「生きている今の瞬間」こそを
まずは機嫌よく、笑顔で。

何より今を
とにかく楽しめ!面白がれ!

と、最近の私は、
こう思う次第なのである。