見出し画像

一瞬たりとも「死んでいるヒマ」などないのだ!

「生物」はどうしたって、現世で時間の流れには逆らえないのだ。

時の流れは必ず「前へ前へ」と進むものだから、その流れに乗って「生きる」しかない我々生物も、いつだって「前へ前へ」と基本的には「進む」つもりでいかねばならないのだ。


先日、婦人公論で上沼恵美子氏のインタビュー記事を読んだ。
「さすが上沼さん!」と感心した箇所があったので、以下に抜書き。

「諦める力」というのは、後ろ向きやなく前向きな力やと思いますね。絶対に必要です。

何かを諦めるにも(それまで「慣性の法則」に則って続いていたある一定の動きやリズムを止める動作なわけだから)よいしょ!という「力」は要るのだと思うけれど。
さて、その「よいしょ!」は、はたしてどっちに向けてかける力なのか、そこが肝要なのだと思う。
後ろ向きなのか、それとも、前向きなのか。
つい、大半の人は、「これまでせっかく積み上げてきたものを捨てる」みたいな「後ろ向き」をイメージするのだと思うけれど(そういう一面も皆無にはできないだろうけれど、)「これまで塞がっていた手を空ける」とか「新たなものが置けるように余白を作る」とか、いくらでも「前向き」(になることを念頭において)な力をこめることはできるんだよなあ、と。
「断捨離」する時みたいに清々したいような気持ちで、力を込めればいいだけの話なのかもしれない。――うんうん、何事においてもそうだ、これまでを振り返って考えてみると。

意識してそうしたほうが「お得」だしな!(「お得」大好きっっ!笑)
というか、ますます「有限」を突きつけられている「時間」について、無駄遣いができる余裕なんて、私の一体どこにあるというのだ?!?!

私のペンネームの名字じゃないですけど、時間とは、やっぱり川みたいに絶えず一方向に「流れている」もので、どうしてもその流れに逆らって上流に戻っていくことは難しいので、ならばその下流への「進行方向をちゃんと向いて」「目指す感覚をもって」、この人生の「川下り」をしたいものだとも思う。
漠然と流されている感じだと、景色も楽しめない気もして、もったいないのでね!
(流れに飲み込まれてアップアップと溺れていたらなおさらね!)

――一瞬たりとも、「死んでいる」ヒマなどないのだよ!!