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娘とあるく日。

ついに娘の受験が始まった。
まずは滑り止めの私立を2校受ける彼女は、最初「ひとりで行くから大丈夫」と言っていたけれど、私の方が頼み込んで駅まで送らせてもらうことになった。
とにかく心配で仕方がない。
自分のことじゃないが、自分のことより気を揉んでいる。毎日こねこね揉みすぎて、もう何か生まれてしまいそうなほどだ。

初日は駅までの予定が、着く寸前に「学校まで来てくれたら、それはそれで、嬉しい」と漏らしてくれたので、聞き逃さずくっついていった。
どんな学校なのか、ぼんやりとしか調べずにいたのだが、駅に着いたら道を覆い尽くすほどの受験生団体がいて娘と目を丸くしてしまう。
同じ体操服、同じ鞄の団体を見て「なんでこんなにみんな一斉に受けに来てるの?」と若干毒づく。仲間で一緒に来てるんじゃない、と返すと「いや、普通に敵だし」とドライな返事。我が娘ながらさっぱりしている。
「たまにさぁ、受験は団体戦だ!みたいなの聞くけど、個人戦じゃないの?団体だとなんか良いことあるの?」と疑問をぶつけられる。
多分それは、大人側の事情で、合格率とか合格者数を上げたい戦略だよ。と意見を伝える。「そんなのあるんだ、へー。面白いね」一応納得してもらえたみたいでほっとした。

二日目の学校は、歩く途中にふたつの公園とひとつの幼稚園があった。
彼女はブランコが好きだ。間もなく高校生になる年齢になっても、時々ひとりでブランコを漕ぎに行く。塾帰りの夜にも行っていたことが判明して、さすがに怖いからやめてもらった。
「弟とさー、葉っぱとか集めて遊んでたよね、たしか」
それはおままごとをしていたんだよ、と彼女の記憶を補完する。帰ろうって言っても、ちっとも帰らなかったことも。
幼稚園には非常避難用の滑り台があって「保育園にもあった!なつかしい!」と再び記憶を蘇らせていた。
「なんで幼稚園じゃなくて保育園だったの?」
それは私が仕事をしていたからで、3歳になった時に幼稚園もちょっと考えたけれど、夏休みや冬休みがあるから働いてたら無理だなと思ってやっぱりやめたんだよ。
「そうなんだ」
そうなんだよ。
こんな言い回しは平凡だと知っているけれど、彼女を保育園に入れたのもそんなに昔じゃない気がしている。ついこの前、とまでは言わないけれど、ほんの数年前のことじゃないのか。
まだつかまり立ちの彼女を、泣きじゃくるのを振り切って仕事に行っていたあの頃。
こんな時期はすぐに過ぎると知っていながら、もっと小さい彼女を見つめていたいと願いながら、慌ただしくあまり一緒にいられなかったあの頃。

受験に挑む彼女の隣をこうして歩くだけで、少しは応援の気持ちが届いただろうか。
そんな思いを巡らせながら、門の向こうに消えていく背中をじっと見つめていた。

来月の公立受験の日も、こうして見送れたらいい。そう心に決めて仕事へ向かった。

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