偽りの優しさ。
私は非常に「平等」にこだわる人間です。
なぜなら、それこそが愛だと思っているからです。
自分が人間として周りに与えられる愛は、
全ての人を同じ目線で見て、平等に対応することが私にとっての正義なのです。
弱そうな人を弱者として扱わないこと。
強そうな人を強者として扱わないこと。
人を可哀想だと思わないこと。
様々な個性的な人間が生きている中、
自分の心の中で上下関係を設定しない。
と決めています。
私は、左耳があまりよく聞こえません。
幼い頃から今までずっと聞こえにくい状況でしたので、左耳が良くないことは私にとっての「普通」なのです。
なので、周りと少し違うのかも知れないし
常に相手の左側にいないとお話ししにくいし、
このことを知らない人からは誤解されやすいです。
ですが、それが普通なので困ることが前提で生きています。
ですが、親に「ちゃんと生んであげられなくて申し訳ない」と言われたことがありました。
私はちゃんと生まれてきているので、それは否定をしましたが、普通の人より劣ってるいるのだと思われていたことに少し傷つきました。
親としてはきっと、私に謝罪することが愛だと勘違いしておりますが、それは優しさではなく
「同情」と言います。
人を平等に見ておらず、普通以下だと見下しています。
無意識ですが、この様に思っていることは相手にとって失礼だと思いませんか?
なので私は、この人だからこれは許せるとか、
この人だからこれは仕方ないとか、この人だからいいとか人によって対応を変えたりする人が嫌いなんです。
自分の中の価値観はただ一つ。
そして、その価値観はブラさず物事を判断するべきだと思います。
人に同情するべきではないと思います。
同情することが愛なのではなく、きちんと人として判断することが人間愛なのだと感じております。
もちろん、人には出来ることとできないことがあるのが普通なのでできないことがある人の力になることも愛です。
私が言いたいことは、何ができようとできなかろうと自分の中で人を分類することがよくないことだと言うことです。
よく、平等に対応する私が愛のない人間だと誤解されることがありますが、
人を平等に見ることが私にとっての100%の愛なのです。
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