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共感することが救いになる!と思った話。

私は、自分が傷つけられる以上に
私の大切な人が傷つけられたり、攻撃されることが許せない。

もし、そんなことがあった時は本人以上に私が怒り狂ってしまう。
(実際、母が理不尽なことをされた時、私が泣きながら怒ってた時もある。)

本当に、感情の起伏が激しい人間だな・・・
と自分でもびっくりしてしまう。

でも、大切な人たちが酷い目に合うのが、私はどうしても許せないのだ。


けれど
そうすることで、実は当の本人たちの気持ちは少し軽くなっているらしい。


人は共感されると安心感を覚えるけれど
怒りという感情においても、共感することで「あ、怒っていいんだ!間違ってないんだ!」と、自分自身を肯定することに繋がるそうだ。

たしかに、自分に置き換えて考えた時も
自分のことで誰かが一緒に怒ってくれたら「私はひとりじゃない!味方がいる!」そう安心することができる。

自分に対して自信がなかったりすると、つい、自分が間違っているのではないか・・・?
と感じてしまうことがある。

ましてや
”怒る”という行為自体、なんとなくダメなことと考えてしまいがちだ。

もっと、大らかでいなければ。
もっと、頑張らなければ。

自分が未熟だからだ。
できない自分が言えることではない。

そんな考えが頭に浮かぶこともある。

けれど、”怒る”と言う行為は、決してダメなことではないのだ。
むしろ、嫌なことや理不尽なことをされたら怒っていいのだ。

それが、人間としての正しい感情であり、行動なんだと思う。

それでも、やっぱり、心のどこかで

「あぁ、怒ってしまう自分、良くないな・・・」
「自分が間違っているのかな」

そんな風に思ってしまうこともあると思う。

そんな時こそ、誰かが一緒に怒ってくれることで、正しく怒ることができて素直な感情と向き合えることになるのだと思う。
だからこそ、一旦冷静になって、そのことに対して正しく見つめることができるんじゃないだろうか。

テクニックでもなんでもなく、本当に心からそう思って怒り狂っていた私だけど
意外と理にかなっていたみたいだ。

共感することの大切さを、今、改めて感じている。


もちろん、なんでもかんでも共感した方がいいとか、そう言うことではない。

自分の中で、それは違うよね?と思うこともあるだろう。
人間だもの、誰だってそういう違いは生まれると思う。

けれど、自分の中の気持ちに素直になった時、それが本当に共感できることであるのならば
とことん、共感して、その人と同じ目線で物事を見たり感じたりすることの方が、
励ましたり解決策を考えるよりも、その人にとっての救いになるのではないだろうか。


人間だもの。
しっかりと感情に触れて、いろんな人と向き合っていきたい。

そう改めて思うのだった。








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