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全国で6次産業化のお手本にされた「ガァリック娘」誕生秘話

ガァリック娘とは

「ガァリック娘」とは、社会福祉法人琴平町社会福祉協議会が作るガーリック入りオリーブオイルの商品名です。原材料にこだわって、オリーブオイル100%とこんぴらにんにく100%で作られたまろやかで美味しい食用オイルです。
芸能人が、オリーブオイルににんにくを漬け込んだものをテレビで紹介していることもあり、ガーリックオイルはいまやご家庭でも人気の品。
琴平町の社会福祉協議会は、先駆けとも言える10年以上前にいち早くガーリックオイルの商品開発をし販売してきました。後に、農水省をはじめ全国の市町村に6次産業化の参考にされ、視察がやってくるほどの成功例になります。

なぜ「ガァリック娘」を社会福祉協議会で作ろうと思ったのか?

にんにく畑

琴平産にんにくの存在に光が当たるきっかけ

香川県にある醤油醸造会社「高橋商店」が、青森のにんにくを使ってガーリックオイルを製造していました。運送費が高騰したため、遠方の青森からではなく近場で良質のにんにくが手に入れられないか探し始めることに。県に問い合わせをしたら、「こんぴら」で生産しているとの情報が手に入ります。

実際に琴平のにんにくを手にとると、味もよく、まさに灯台下暗しでした。

琴平町の農協にスライスしたにんにくを作ってもらいたいという要望が出されます。けれど、琴平では加工所もなく、加工したものを出荷したことさえありません。

障がい者に十分な稼ぎを探していた

その当時琴平町では、障がいを持つ方が作業所でできる仕事は、内職をするのが普通でした。それは安い仕事で、根気の必要な仕事をすることを意味します。細かい作業以外で、十分な収入を確保でき琴平でできる仕事はないのか、と社会福祉協議会は、観光や農業の分野で仕事を探していました。

そんなとき、にんにくの加工所を探す「高橋商店」さんの案件と出会ったのです。

にんにくの加工をする仕事は、全国的にも珍しく作業場も皆無といってもいいほどでした。けれど、この仕事が形になると多くの人の収入が上がることが見込まれたので、「やる」という答えを先に出してから、具体策を詰めていきました。

最初にサンプル品として10kgを納品することを決めます。作業所がないため、農業構造改善センター調理室で始めることになりました。はじめの見本として納品の品質をクリア後、次第に100kg、200kgと受注量は増えていきます。

農業構造改善センター調理室の作業では賄いきれず、ねむ工房(琴平町にある障がい者福祉サービス事業所)内に、にんにく加工部門を立ち上げることになりました。

ねむ工房では、木のおもちゃ製作も行っています。
にんにく加工のために準備されたキッチンスペース

「ガァリック娘」ができるまでに関わったたくさんの人たち

次に必要になってきたのが、にんにくの皮むき作業に使う道具でした。にんにくの皮むき器は、業務用も含め一般には販売されていません。

けれど、にんにくの皮をむき続けていると、肌の弱い人はすぐに荒れてしまいます。それに手作業では作業効率が悪く、納品に追いつきません。

静岡の御前崎市に玉ねぎの皮むき器を探しに行きました。視察を終えて、玉ねぎの皮むき器を製造している会社に、にんにくの皮むき器をアレンジして作ってもらうことに。

この取り組みについては、後に青森県議会の方が視察に来られました。青森はにんにくの生産量は日本一で、生産量が十分なので6次産業化をする緊急性がなかったのでしょう。けれど琴平町の動きをみて、取り組みに注目してくださいました。農商工連携という観点からも、琴平の事例を参考にしたいとのことでした。

一昨年には、北海道や九州からも視察に来られました。地産地消というテーマにも注目されることになります。

また、にんにくの根っこを切る機具も作りました。包丁を使うことを避けたかったのです。鉄工所に頼み、ステンレスの爪切りのような道具を製作してもらいました。

このように、にんにく加工のために多くの人の力と知恵をお借りし、コツコツと不可能を可能に変えていく取り組みが続いていきます。関わる人たちも多岐にわたり、高橋さんと繋いでくださった香川県中讃農業改良普及センターと琴平にんにく部会、琴平町農政課、社会福祉協議会の、4部署にわたる話し合いが続きます。

お互いの分野や業務がわかっていない中で仕事を進めていたため、たくさんの調整が必要になりました。ビジネスの中に福祉が突然入ってくることに違和感をもち、意を唱える人が現れることも。様々な立場の人の理解を得るため、説明と対話を重ねていく日々。本当に商品化できるのだろうかと不安で眠れないこともありました。

そうして、たくさんの課題をクリアし、とうとう上質のにんにくオイルができあがりました。けれどこれで終わりではありません。

次に待っていたのは商品化のプロセスでした。

「ガァリック娘」の商品化へ

若い人にも知ってほしいという気持ちもあり、香川県立善通寺第一高等学校のデザイン課に、商品名やラベルデザインをお願いしにいったのは平成21年2月のこと。同年の7月20日に商品の記者発表を決めていました。

春休みを挟むので、4月に始めても間に合うかどうか、というギリギリのラインです。けれど、同校の先生から協力をいただき、商品化へ進めることができました。

後になって聞いたのですが、単なる商品開発だったら学校は関わらなかったということでした。地域の人のためになるものだから、手を貸したいと考えられたそう。社会福祉について生徒に、経験しながら学んでほしいという願いもあったようです。

若い人に関わってもらうために

デザイン課の高校生にイメージを膨らませてもらうために、関係者によるレクチャーを行い、名前とパッケージが決まりました。

ガーリックオイル製作への思いを話すにんにく生産者からは、娘のことを話すように愛情が感じられたのだそうです。強いこだわりを感じ取った高校生は、「ガァリック娘」の小さい「ァ」の字に込めました。

次に、ラベルデザインやポスターデザインも出来上がり、瓶の形状も選び抜かれていきました。たかが調味料、されど調味料、食卓に置いても映えるようにという思いは、功を奏し、多くの人に選んでいただく結果になりました。

誰が販売責任者になるのか

商品パッケージが出来上がると、次の壁が現れました。販売に際して、責任の所在をどこにするか、売れないリスクを取ることができる団体がなかったのです。

そんな中、社会福祉協議会がリスクを取る決断をしました。

町民が関わることは何かしらのメリットがあるから、収益が上がらなくてもやるという決意のもと、社会福祉協議会が販売者として責任を取ることになりました。大きな決断だったものの、同時にどこかで大赤字にはならないだろうという予感めいたものがありました。

婦人会の代表や自治会の代表に関係者を増やし、どんどん支援の輪が広がっていきます。
製作過程も多くの関係人口を広げ、多くの人と思いを共有してきたからです。

その結果、見事に初年度の目標は、大幅にクリア!年間2000本の販売目標が、約7600本を販売する結果に。
この成功は農福連携の成功事例として、農水省の農政調整官も来られました。

「ガァリック娘」を通じて実現していたこと

他分野の人々が関わって、ようやく一つの形になったガァリック娘。通底していたのは、儲けよりも社会の役に立ちたいという気持ちです。
ビジネスをしている人も、農業者も、学生も、老人も、障がいをもっている人も、皆が自分のできることで社会の役に立ちたい、という想いが集まって誕生しました。

福祉の理想を現実へ

障がいのある人が、自分で生まれ育った場所に住みたい気持ちを大切にしたいと考えています。お好み焼きを食べたり、レコードを選んだり、おっちゃんにまじって昼休みを楽しんでいる普通の暮らしをしてもらいたいのです。日常の楽しみを実現するには、月に2、3万円を稼ぐことができるのを当たり前にしていく必要があります。「ガァリック娘」がそれを現実にしてくれました。

「福祉は何かをしてもらおうと甘えている」
「クズをもらって金儲けをしている」

当初聞こえてきたそんな声も、実績を重ねるうちにいつしか応援の声に変わっています。

また農家が高齢化していくと、農協に引き取ってもらえる規格基準をクリアした野菜を作るほどの気力が足りなくなってきます。以前は、出荷できないものを「クズにんにく」と呼んで、人に無料で提供していました。もちろんそれらの品質自体は、とても良いものです。

今では「くず」とは呼ばず、立派な規格外品「ガァリック娘」の材料としてお金に変えることができるようになりました。規格外品を活用した製品作りにより、農家さんのモチベーションアップも図ることができるようになったのです。

そういった誰もが平等に喜びを分かち合う社会をつくる一つの手段としても「ガァリック娘」は活躍しつづけています。

最初は、琴平の町から全国へ新しいチャレンジとして届いていた「ガァリック娘」の商品化が、これからも販売を通じて、前向きな生きる喜びに繋がり続けていくことでしょう。

「ガァリック娘」を購入する

その他、琴平町内のお店で多数取り扱い中。

にしきや参道店にて


文・写真:松原


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