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敵討ち

俺は果たして敵討ちが出来るだろうか。

いきなり物騒なことを言い出してお前は頭でも沸いたんかというツッコミもあるかと思う。
ま~頭はだいぶ前から沸いている。心配はいらない。いや、沸いてるなら心配か。
ま、そんなことは置いといて(置いといていいのか?)話を先へ。

俺は自分のことを「きっとコイツは敵討ちをするタイプなんだろうな」と思っているのだ。それが成功するかどうかは別として。
復讐、報復、仕返しといった類いのものはきっちりと行いたい人間なのだ。受けた仇は仇で返したい。イヤな奴だけれど。
それでも一方で、受けた恩は恩できっちりと返しているつもりだ。足りてない可能性はありそうだけれども(てか、何だか書いてて俺ってホントろくでもない奴のような気がしてきた。でも、まあいい←いいのか?)。

で、敵討ちの話だ。
俺が今、どうしても敵討ちをしたいのだという話ではない。決してない。殺したい程恨んでいる人間なんて俺は今現在一人もいないし、毎日家族と平和にぬくぬくと生きている。おかげさまで幸せだ。
これは俺が敵討ちをするかどうかの考察なのだ。

因みに、江戸時代の制度としての敵討ちは俺がイメージする敵討ちとは少々ニュアンスが異なる。
江戸時代の敵討ち制度は、個人的な復讐の為のものというよりは、武士の意地や面目の為のものだ。喧嘩両成敗を補完する方法として法制化されたものなのだ。
なので、自分の妻子が殺されてもその敵討ちは認められない。認められるケースは、自分より目上の立場の人間(であるとされる者)が殺された場合のみ認められる。例えば、自分にとっての主君や親や兄が殺された場合なんかは認められるわけだ。
俺が今回取り上げるのはこ~いったお家だのメンツだのが絡む敵討ちではなく、単に個人的な復讐としての敵討ちについてだ。

考えたくないことだが、万が一にも嫁子が同時に殺されたとする。そうなった場合、俺は間違いなくそれを行った人間を殺しに行く。考えられる限りの有効な手段を用いて、失敗しないような方法で殺しに行くだろうと思う。
で、こんな風に思っている人間は俺の周りにはちょいちょいいるのだ。なので、世間には結構な割合でこういった考えを持っている人間がいると思う。

近代裁判制度というシステムでは、復讐心を満たすことは到底出来ない。無理だ。そもそも、近代裁判制度は遺族とかの復讐心とかそういったものを取り入れるようには制度設計されていない。
従って、司法は自分の思いを汲むことはないので、自分自身で殺し行く、敵討ちに行くとなる。

でも、実際の世の中では、こういった個人的な復讐の為の敵討ちが実施されたということをあまり聞かないのだ。それとも俺が知らないだけなのだろうか。俺の印象では、復讐の為の敵討ちって、世の中には有りそうであまり無い。
では、何故なのか。どうして我々の思いとは裏腹に実際の敵討ちは少ないのだろうか。

それは怒りの感情はあまり継続しないことが理由なのではなかろうかと思う。一方、悲しみの感情は怒りと比較してわりと継続すると思われる。
あくまでも俺の経験から判断しているだけなのだが、怒り続けるのって難しい。エネルギーが要る。
瞬間的、突発的に怒ることは出来ても、怒り続けることって我々人間とっては案外難しいことなのではなかろうかと思う。
怒り続けることは難しく、また、悲しみの影響が大きい為に、個人的な復讐の為の敵討ちはあまり無いのではないかと思うのだ。

自分が怒っているときに目の前にたまたま敵討ちの相手が現れたというようなシチュエーションでもない限り、敵討ちを実施するのはなかなかに難易度が高そうなのだ。
怒りの感情をずっとキープしたままに敵討ちに臨むのは容易ではなさそうだ。

殺人という行為は、計画的な殺人でない限り、「つい感情的になって」だの「突発的に」だの「口論の末に」だのといった偶発的と言えるような殺人が多いように思う。

当然に敵討ちは偶発的に発生するような殺人ではないので、計画的な殺人に分類される。
で、ここがキモなのだ。
自分にとって大切な人が殺されたと想像した場合、当然感情的になるので「絶対に相手を殺す。敵討ちする。」と思うのだが、実際には感情的なままに敵討ちが出来るシチュエーションなんて凄く限られているので、敵討ちを実行しようと思ったら、これはもの凄く冷静に敵討ちの計画を立てなければならないのだ。
この辺りが、世の中に実際には敵討ちが少ない理由なのではないかと思われる。

ということはだ。敵討ちをするには瞬間的に怒っているようではダメなのだ。怒りを静かに燃やし続けなくてはならない。
そして、悲しみに暮れてばかりもいられない。冷静に計画を立てなければならない。様々なシチュエーションを想定してシミュレーションを行うなんてことも大切であろうと思われる。

なので、今の俺では敵討ちは出来ないだろうと思われる。
たがら、訓練しなくてはならない。
怒りを静かに燃やし続けられるように訓練をし、精神力を鍛え、冷静に敵討ちを計画出来るよう、もっともっと勉強もしなくてはならない。
また、体力や身体能力についても、少なくとも現状を維持し続けることが必要だ。それらも敵討ちには必要な条件と言える。

ということで結論は出た。
現状の俺では敵討ちは出来ないだろうから、もっともっと心と体を鍛え、もっともっと勉強して、敵討ちがきちんと出来るようにならなくてはならない。

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