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弁護士らしからぬ弁護士を究める | 弁護士 渡邉貴士さん

「弁護士業界は思いの外に、古い価値観が残っていたりして、“出る杭は打たれる”という雰囲気を感じます。そんな中で、僕はあえてその“出る杭は打たれる”ことをやろうとしていますね」

弁護士 渡邉貴士(わたなべたかし)さんは、親しみのある笑顔をたたえながらそう語った。

渡邉さんは、東南アジア・東アジア諸国の主要都市に拠点を置く弁護士法人 OneAsia という法律事務所に所属している。その一方で、教育という弁護士とはまったく違う分野を通じて、新しい“形”をまさにいま創ろうとしている。

それは、「法学部受験道」という法学部・法曹界―その中でも特に弁護士―を目指す学生に特化したオンライン予備校だ。

法学部受験道(Webサイトは2024年2月初旬公開予定です)


2023年4月に開校し、渡邉さんは今この展開に集中している。

そんな話をうかがっていると、頭の片隅にほのかな疑問が浮かんでくる。

法学の専門とはいえ、「なぜ弁護士が予備校を?」ということと、法律事務所に在籍していながらそのような副業がそもそもできるの? という素朴な疑問だ。

ところが、この「法学部受験道」に限らず、渡邉さんの経歴をみるとその疑問はますます深まっていく。

経歴では、過去に株式会社1874という、非常に謎めいた社名の法人を設立している。渡邊さんいわく、「弁護士の活動とは別で、社会に価値のある事業を行うための会社」だという。

「そもそも弁護士って、法律事務所に所属していても基本的には個人事業主なんです。だから、副業禁止のようなことはなく、手続きさえすれば起業はOKです」

と、切り出した話をさらにうかがっていくと、弁護士というよりもはや若手起業家か経営者にしか見えない。
そんな率直な思いを口にすると、「『弁護士らしくない』という言葉は、僕にとってはもう最高の褒め言葉ですね」と笑いながら言葉が返ってきた。

弁護士としてあり方について、あらゆる可能性を追求する渡邉さん


とはいえ、渡邉さんは何も弁護士としての活動をおろそかにしているわけではない。むしろ、こうした活動は、弁護士のあり方としてその可能性をもっと広げていこうとする思いからきている。

その思いを語る言葉の響きには、「弁護士という職業をリスペクトしているからこそ」という思いがしっかりと伝わってくる。

「法学部受験道」の実現は、その可能性の一部だ。そして、自らの思いを実現させようとする姿は、法曹界だけでなく、これからの時代を生きていく全ての人にも共通する「あり方」を示しているようにも見える。



常に新しい価値を求めて

「弁護士とは一定の水準以上の法的知識をもって、クライアントが求めている結果に向けて寄り添いながらコミットしていく『サービス業』です」

渡邉さんは、はっきりとそう言い切る。

「これまで培った法的知識や法律実務をいかに活用するかということに焦点を当てると、もっといろんな価値提供の方法があると思っています」

トラブルが起こったときの法的な解決や、裁判手続での代理人活動という「案件」での関わり、企業・団体の顧問契約を締結し一定の顧客からの法律相談を受けるだけが弁護士の活動ではない。
もっと幅広くより多くの人に弁護士が持つ豊富な法的知識を活用してもらうことだってできるはず。

その想いを形にしようとしたのが株式会社1874であり、「法学部受験道」もその形のひとつだ。

「株式会社1874は、デザインやコピーライティング、文章といった広告表現が、景品表示法や薬機法といった法規制に触れないかどうか判定するAIシステムを開発・販売することを目的に設立しました。
しかし、まったく同じ内容のシステムを他の方に開発され、しかも特許まで取得されてしまい、残念ながらAIシステムの開発は断念しました」

とはいえ、広告表現に関する活動自身をやめてはいない。「知識があるから」といって弁護士資格を有さない「ノンプロ」による助言が蔓延する広告表現規制の分野において、法的な視点から”適法に”に判定・助言できる弁護士の立場を活かし、デザイナーやライターとタッグを組むことで広告コンサルティングという新しいフィールドを耕しつつある。

このほかにも、渡邉さんが活動の中心としているのが、学習塾を専門としたリーガルチェックのサービスだ。

この事業は、元々親交のあった学校DXを推進するスタートアップ企業から、学習塾経営者の紹介を受けたことから始まる。2020年に入り新型コロナウィルス感染症が本格的に蔓延した頃のことだ。

外出規制が敷かれ、感染リスクへの懸念が高まる中、受験シーズンを迎えたことで「塾の講師が自宅に来い、それができないのであれば塾代を返金しろ」といったことを言い出す、いわゆる“モンスター・ペアレンツ”対応への相談がきっかけだった。

「お客さんとガッツリと契約書を取り交わす必要はありません。きちんとしたルール、入塾の際に保護者の方にきっちりと説明できるようなしくみを“防御壁”として作るだけでも、こうした厄介なクレームを回避することができます」

しかし、このようなクレームがリスクとして潜在しながら、どの塾もその対策ができていない……、というよりも対応しようがない。そんな実態を渡邉さんはこのとき垣間見る。

リスクがあることは感じながらも、そう頻繁に起こるものでもない。だから、つい意識が薄くなる。しかし、起こってしまうとなかなか厄介。法的視点での対応が必要となる。とはいえ、そのために弁護士との顧問契約交わすには費用がかかりすぎる。
どの塾の経営者にたずねても、似たような答えばかり。

わかってはいいるけど、どうも本腰が入らない。結果として、すべてが事後対応とならざるを得ず、それが物理的にも精神的にも大きな負荷へと発展していく。

このような実態から、クライアントの経済的負担とならないようにと、顧問契約ではなく相談が必要となる毎に対応することを、この学習塾専門のチーガルチェックでは大きな特徴としている。

そもそも、顧問契約にはこだわらない。優先すべきことは、クライアントの状況や要望に柔軟に対応していくこと。それが業界にとっての「出る杭」になるのかどうかなんて知ったことではない。求められ、必要とされている形があるなら、その形に合わせて真摯に対応する。それが渡邉さんの考えだ。

学習塾に特化したこのサービスは、身の回りの知人による口コミから始まり、その輪がどんどん広がっていった。

そして、この人脈の広がりの中から、新たに「法学部受験道」の発想が生まれてくることになる。


「法学部受験道」が目指すもの

「塾関係者の方から『渡邉さんも塾を経営してみたら?』という何気ないひと言が、実は塾を始めるきっかけとなりました」

しかし、ただ学習塾をするのでは、すでに既知となっている塾関係者の方と競り合う立場となる。競合がただ増えてしまうだけでは意味がない。
ところが、そのように悩みあぐねているところに聞いたある一言で、目の前の道が一気に開いた。

それは、塾経営もしている歯科医師の発言だった。

自分と似た価値観の歯科医師が育ってくれたら、と思って塾を経営している」

それだ!! 

この言葉が渡邊さんの中で醸成され、将来弁護士を目指そうとする学生に特化する「法学部受験道」への構想と結びついた。

「そもそも、この発想に至った背景が大きく二つあります。一つは、これまで語ってきたように弁護士の新しい価値提供のあり方を浸透させていきたい、という思い。そして、この思いに共感する弁護士を増やしていきたい、という思いからです」

一方で、司法試験の受験者数は年々減ってきているという。
しかも、司法試験の合格者のうち約8割は弁護士になることから、この減少は弁護士の人気が低下しているという解釈ができる。これも、弁護士という仕事への魅力がなくなってきているからだと渡邉さんは語る。

「法学部受験道」は、より専門的に特化し、法曹界を志す高校生にターゲットを絞る。

「だから、塾とはいえ他の塾のように学科のカリキュラムを組むものではなく、コンテンツを購入してもらう、という形を取ります」

現時点で検討されているコンテンツは、以下の通りだ。

・法律事務所見学
・現役弁護士との対談
・現役弁護士へのインタビュー
・法学トピックが多い小論文対策としてのディベート体験
・模擬裁判

「法学部へ入ることが最終ゴールではありません。あくまで弁護士、検察官、裁判官といった法曹界へ入ることを目指していく中で、自らと向き合い、その歩み方を考えるきっかけにもなればとも思っています」

これまでの中で、自分自身の弁護士の「あり方」を追求してきた。それはこれからもまだまだ続く。時代の流れはどんどん変わり、価値観も変容していく。この流れを意識して「あり方」を考えていかないと、弁護士としてのせっかくの価値が十分に発揮できないことになりかねない。

一番怖いのは、そのことにすら気がつかないこと。古い価値概念にこだわり、クライアントファーストがないがしろとなってしまっては本末転倒だ。

これは何も机上の理想論ではない。実際に、自らの理想像を目指して活動してきた実績は、確実に結果が伴ってきている。相談依頼は増え、収入面でも同世代弁護士との差も開き始めているという。
まさに、渡邉さん自身が目指している弁護士の新しい可能性が、間違いなく形となってきている証拠ともいえるだろう。

「『法学部受験道』では、こうした可能性の面についてもしっかりと伝えていきたと思っています。そのうえで、この想いに共感してもらえる仲間も増やしたいですね。自分一人ではやはり限界がありますから」

一般的に想像している弁護士像だけはないことを伝えていきたい。もちろん、自分が体験したこと以外にも弁護士として色々な「あり方」はある。弁護士としての自分らしい「あり方」を見つけてもらえたら、という穏やか語り口に熱い思いがこもっている。


まずは思いのままにやってみる

渡邉さんは、1991年大阪府八尾市に生まれた。小中と地元の学校に通い、高校受験では手痛い失敗を経験しつつ、現役で京都大学法学部へと進む。

「正直いって、あまり深く考えて法学へ進学したわけではないんですよね」

少し恥ずかしそうに、でも事実は正直に包み隠さない。

「文系の中でも少しかっこ良さそうかなと思ったのが法学部だったことと、自分の性格的に勧善懲悪的なことを好む傾向のあったことから、検察官に興味がありました。でも、実際に入学したら、勉強より大学生活そのものがもう楽しくなってしまって…」

だから、下宿先もアルバイト先に近い東山三条とか飲み屋の多い街でした、と屈託なく笑う渡邉さん。木屋町での呼び込みも含め色々なアルバイトを経験した。

大学3回生の秋、卒業後の道を決める機会が訪れる。法曹界を目指すために法科大学院へと進むのか、一般企業へ就職するのかという選択だ。法科大学院へと進むためには、4回生の11月に大学院を受けなくてはならない。

「一般企業へ進むということが、自分の中でまったくイメージできなくて、そのまま京大のロースクールに進むことを選びました」

こうして、渡邉さんは法曹界への道へと進む。とはいえ、進路を決めたのが遅く、ロースクールへ進んではみたものの成績は下の方。挙句には、「司法試験に1回では受からないだろう」と周りからささやかれていたという。

しかし、奮闘の結果、周りの予想通りにはならず司法試験を1回でパスする。

「変なところで反骨精神があるんですよね……。周りのそんな言葉を裏切ってやる、みたいな。でも、きっとそれが自分の原動力だと思います(笑)」

大学の受験勉強でもそうだった。数学がどうにも苦手で、当時通っていた塾のテストではいつも点数が取れず、京大入試対策の講座の受講資格すら得られないぐらいだった。
なぜ点が取れないか、どうしたら点が取れるのか。自分なりにひたすら考えた。その中で、自分のスタイルで解決方法を見つけ出し、1年後には常に合格点をたたき出すまでとなる。

自分と向き合いながら導き出した方法が、見事に成果へと結びついた。

子どもの頃から、考えもなく多数派意見になびくということに抵抗があったという渡邉さん。周り何と言おうと、とにかく自分が思うことを、自分がやりたいようにやっていきたいという気持ちがまず先に立つ。
そんな気質がここでも働いた。

司法試験に合格後、裁判官、検察官、弁護士と各分野を研修する司法修習へと入る。いわば、実地研修だ。修習生はその過程の中で最終的に自らの道を選択していく。

この修習で、渡邉さんは当初目指そうとしていた検察官ではなく、弁護士となることを選ぶ。

検察官は、何事にも決裁社会であり、行動起こすとしても何かと手続が多い。ところが弁護士はまったく真逆。弁護士は個人事業主であり、仕事の進め方はすべて個人の裁量次第の世界だったことに大きな魅力を感じた。

「これはもう、自分に向いているのは検察官ではなく弁護士だ、と即座に思いました」

この確信をもって司法修習を終え、渡邉さんは郊外のベンチャー気質溢れる法律事務所に入所する。

ベンチャー気質溢れる法律事務所入所当時の渡邉さん

「大手事務所に入ることは考えていませんでした。というか、そもそも大手に採用されるような成績でもなかったのでエントリーすらしていませんでした」と笑う渡邉さん。

大手法律事務所には、法科大学院の成績や司法試験結果の上位合格者しか採用されないというが慣習があるという。
いずれにしても、大手に入って自分裁量で動けないのであれば意味はない、とも思っていたので、そこにこだわりは一切ない。

むしろ、この事務所に入ったことで、新しい価値観と大きな刺激を受け、弁護士としての「自らの道」を確立していくことになる。


新しい価値観との出会い

渡邉さんが最初に入所した法律事務所は、兵庫県川西市にあった。

「入所1日目からもう即戦力として見られていました」

事務所に入って驚いたのは、代表弁護士から受けた最初のレクチャーだった。
その内容は、事務所がいま抱えている事例案件や実務の進め方に関するものではなく、いきなり自分たちの人件費についてと、その費用を捻出するために必要な売上金額を教えられたからだ。
一般的に入所1年目の弁護士は、下働きでじっくり修行することも多いなか、この事務所にそんな甘い扱いはなかった。新卒弁護士も一人前としての弁護士としてみられ、知っておくべき生々しい内容から始まったのだ。

「代表は、弁護士としてのキレ、手腕は人一倍持ち合わせながら、一方ではベンチャー感があふれ、ビジネスライク。いい意味で弁護士らしくない人でした」

案件をエクセルで管理している事務所が多い中、専用の顧客管理システムを導入し、クライアントの管理はもとより、所属弁護士個々の売上も可視化されていた。
新人への教育方法も独特だった。専門的な分野を最初から最後まで任せるという、他ではあまり類を見ないやり方でもあったようだ。

「他と比べると歴史も浅い事務所で、場所も川西市という郊外でしたから、信用をしっかり勝ち取っていくために、仕事の品質を上げていく、ということにかなり力を置いていたからだろうと思います」

そのポリシーを貫き、かつ少人数。新人だからという垣根はそこにはない。弁護士としてのハードワークに不慣れという負荷があったが、個人の裁量に委ねられることが多く、大きなやりがいを感じながら日々を過ごした。

「ハードさについていけず事務所を離れた同期もいましたが、私の性格にはピッタリでした」

だから、どんどん発想や着眼点が変わっていた。

「弁護士というよりも、起業家や経営者に見えるというのは、間違いなくこの事務所での経験が影響しているのは間違いないですね」と笑う渡邉さん。

弁護士の中で「出る杭」となる起源はここにあった。

最初に出会ったこの環境が、渡邉さんの個性をさらに発揮させていく土壌となった。

最初の事務所に入所してから4年ほどして今の事務所に移ることになるのだが、実は、最初に入った事務所の代表弁護士と共に移ってきている。
ここでは、その経緯について詳しくは触れないが、いかにこの代表弁護士との出会いが、渡邉さんの個性的な裁量を引き出し、発揮させていく機会となるなど、大きな影響を受けたことを物語っている。


「出る杭」に潜む隠れた価値

歴史を振り返ってみると、新しい時代、新しい流れといったものをつくってきたのは、既成概念にとらわれない人たちだ。

同調する大多数の意見がある中で、自分の想いを貫き通すというのは、勇気がいることでもある。とはいえ、自分に嘘をついてまでただ大多数に意見に同調するというのも、これまた違う。結局、自分の思いとのギャップにさいなまされ、やがては心身を蝕みかねないことだってありうるからだ。

「誰がなんといようと、まずは自分の思った通りにやりたいことをやってみる」

思っていた結果と違うなら、その時点で違う道へ……つまり、歩く道を修正したらいいだけ。考え方はいたってシンプルだ。

「自分流のビジネスの形を追求していくことは面白いですよね。とにかく弁護士の新しい形を作り上げていく、ということにとても痺れています」

「法学部受験道」では、10代という、弁護士業界とは関わりが薄いで世代と密接に繋がることになる。その中で起こる化学変化を見逃すことなく、渡邉流の新しい形としてみ出していくだろう。

「え? こんなことになるんだ??」

そんな驚きの声が、あちこちから聞こえてきそう。



「出る杭」とは異質の代名詞のようであるが、別な角度で見れば、これまでになかった価値が含まれている、ということでもある。

これからの時代、そんな「出る杭」となることが、ビジネスの世界でも、それこそ生き方としても求められるのではないだろうか。

人それぞれには、固有の価値がある。それを磨けば「出る杭」になる。
渡邉さんは、そんな「出る杭」仲間の輪をきっとあちこちに広げていくに違いない。

渡邉さんが築き上げようとしている「法学部受験道」は、何も法学や弁護士に特化した塾としてだけでなく、関わりあう人たちが自らの「あり方」を考える、まさに「人生道」の塾にもなりそうだ。


Another Story 〜 なぜ、1874?? 〜

「1874は西暦です。1874年は、第一回印象派展が開かれた年なんです」

印象派とは、絵画の印象派のことだ。代表的な印象派の画家といえば、モネ、ドガ、ルノアール、ゴッホなどが挙げられる。

なぜ、そのような絵画の印象派個展の年を会社名に??

「この人たちが生きていた時代の絵画は、アカデミー絵画が主流でした。それらの絵は輪郭をはっきりさせたタッチで華やかな表現を特徴としています。印象派は、まさにその逆。淡いタッチで、少しぼやけていて、自分の目に映った印象を画面にそのまま表現しようとしたことから、当時は皮肉をこめて“印象派”と呼ばれていました」

しかし、後世になって、この印象派の評価は高まった。今や代表とされる画家の名は誰もが一度は耳にしているだろう。

絵画の表現もさることながら、こうした印象派の流れが、とても大好きだという渡邉さん。

「周りの誰もがもてはやしているもの」に迎合することなく、自分が感じたまま、思ったまままの想いをそのままキャンバスにぶつけていた印象派の画家たち。

周りがどうであろうと、自分が思った軸をそのまま貫き通す。

その姿勢を、自分にも。

そう思った。

古い風潮がまだ残る弁護士業界に、これまでにない自分の形を作り上げていく。

「これを肝に銘じるため、社名を1874としました」

社名をあえて数字だけとしていることも意味を持たせている。
その珍しさから名付けた理由を問うてくるだろう、という点だ。その質問に答えることで、自らの考え、理念を自然と語ることにもなる。

「実はここにも」

そう言って、渡邉さんはちょっとはにかみながら、携帯の待ち受け画面を見せてくれた。

そこには、モネの絵が広がっていた。

クロード・モネ『印象・日の出』

自分の理念を言葉で伝える。

その理念を絶えず自分の目に触れるようにする。

このようなところをひとつとってみても、自らの想いを大切にし、それを行動として貫こうとする渡邉さんの熱さが伝わってくる。

取材・執筆:白銀肇(しろかねはじめ/ことはじめライター)



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