左利き
物心ついた時には既に左利き。
幼少期、祖母から「左で食事するなんて、みっともない!」
箸を左で持とうものならピシャリと手を叩かれ、自分を否定されたように感じた。
両親も最初は右に矯正しようと試みたようだが、私の頑なな態度を見て諦めたそう。
私は、左利き=自分らしい姿と、自分の意志を貫いた。
勉強。
小学生になって苦戦したのが習字。
先生からは「右で書けない?」と言われたが、書字も左のため習字だけ右に直せず。どんなに下手でも手直ししてもらえず、頑張り方も努力の仕方もわからないまま、左利き(私)ってダメなんだと思うようになる。
そんな調子で、学校生活は段々と勉強が嫌いになっていった。
友人関係。
全て左利きが理由ではないけれど、幼稚園時代から大勢の友達と遊ぶのが好きじゃなかった。
マイペースに1人もしくは2人で遊ぶのことが好きだった。
誘われたら大勢で遊ぶこともあったが、正直、人に合わせまでも一緒に遊ぶことが苦痛だった。その感覚は幼稚園に通っていた5歳ぐらいからあり、40過ぎでもそのことは覚えている。
素の自分は周りとズレていてるように感じることが多々あり、小学生にもなると周りに合わせる技術を身につけていく。
何がみんなと違うのか。
私だけ青い血が流れているのかと本気で思っていたこともあった。
実は私は幻で、実在していないのかも知れない。
明日になったら、消えてしまうかも知れない。
明日になったら別の人間になっているのかも知れない。
そんなことを考えてばかりいた。
人前で話す。文字にする。
自分の言いたいことのイメージと言葉をつなぐことに時間が掛かるので、
ビジネスの場で苦労することが多く、今もここまで書くのに1ヶ月以上かけながら少しずつ書き足している。一気に書くことができないのだ。
脳に興味を持つ。
今やっとそれが脳の使い方の問題なんじゃないかと思う。
左脳はおざなりで右脳優位だったから、創造的な感覚が優位で空想の世界によく浸っていたように思う。
問題がわかると絡まっていた糸がほどけるよう感覚になる。
少しずつ自分自身も変化。
拒絶していた右の書字も、左脳を鍛えるために写経を右手で初めた。
左利きはマイノリティーで個性である。
生きづらさも感じるけれど、自分らしさを持っていていいのだ。
そして脳はまだまだ成長する。
これからは右手も使うことで、使える脳の範囲を広げて、バランス良い脳にしよう。
人生100年まだまだだ。
モーツァルト、ピカソ、ビルゲイツ…左利きの偉人たちを見習い、個性や感性を大事にしなやかに生ていこう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?