受け取りベタ脱却への挑戦
人から手を差し伸べられて、それを受け取ること
助けてほしいことがあるのに、それを言うこと
これが苦手らしい。とても。
別に、
相手が助けてくれようとしているのは、社交辞令で、内心は違うことを思っているに違いないとか、そんなひねくれた考えをしているわけでも、
わたしは一人でできる!と思っているとかでもなく。
相手に悪いかもしれない、
相手がもしこう思ったら、
こんなの非常識なのではないか、
そんな「思い込み」がどこかであった。
けれど。
カフェ開業を共に頑張るロッキーくんには、この手の思い込みがない。
まったくの皆無だと思う。ゼロもゼロ。
ぼく、これに困っているから、助けて〜って声を上げるし、
助けてくれようとする人がいたら、ありがとうの気持ちを全身で示して、素直に受け取る。
見ていて、えっ?えっ?それ大丈夫?と思うほどに。
けれど、必ず、不思議なほどいい関係性が構築される。
なぜなら、ロッキーくんは息をするようにGIVEをしているから。
本当に、振り返ると惜しむってなに?と言わんばかりにGIVEしている。
物とか、金銭を与えているわけではなく、もっと大切なものを。
わたしを含め、周りはそれを受け取って、返したい、助けたいと自然に思う。まさにそういう愛の循環の世界で生きているのだろう。
もちろん、それだけで回っているわけではないと思う。
周りがフォローすることだってある。
けれど、そこに「申し訳ない」とかでなく、「ありがとう、ぼく嬉しい!」と言える。
そして、恩は絶対に忘れない。必ず、その人のピンチのときには駆けつける。必ずだ。
世界はお金よりも「信用」「信頼」が大切だと誰かが言っていたけれど、
まさに、彼を見ているとそう思う。
勝手に、
こんなことを頼んだら嫌がられるかもしれない、
こんなこと非常識かもしれない、
過程を見せる上で、ここは見たくないかもしれない、
と、そういう思い込みがあったから、相手は150%善意で申し出てくれているのに、受け取れないとか、苦しくなるだとか、そんなことが多かったように思う。
よくよく考えたら、
手を差し伸べてくれる人はそうだし、そうでない人もいる。
とてもシンプルなものなのに。
そして、その差し伸べてくれたことに感謝し、ただ大切にする、それだけなのに。
自分でできることは自分でやる。当然に。現実的に考えることも大切だ。
けれど、もう少し。
人を頼ったり、差し伸ばされた手を素直に受け取れたなら、
もっと楽に、なにより、もっと人と深く繋がれる気がする。
だって人は優しくされたら優しくしたいし、
喜んでくれる人をもっともっと喜ばせたいって思うから。
受け取る練習、していこう。
そして、そんな愛の循環の世界で、わたしも生きられたらいいな。
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