生きにくいこの世界2

新しい父、そして小学校、二度目の離婚

新しい父が入院していた原因は、ケンカで足の皿を割ったからでした。
そして母、新しい父と暮らし始めることになりました。
僕は新しい父を、お父さんと受け入れること事が出来ず
「 おじちゃん」と呼んでいました。
新しい父は父親になろうと、アニメの映画、遊園地、動物園に連れて行ってくれていましたが、
僕の中ではやはり父と受け入れることが出来ませんでした。

父の仕事は簡単に言うとヤクザです。
父の背中には刺青が入っており、小さい僕は背中にお絵描きしてて楽しそうだと思って、良く真似して自分の体にマジックで落書きしたのを覚えてます。
母は相変わらずスナックで働き、夜はいませんでしたが優しい母に変わりはありませんでした。

そして、僕が小学生に上がる頃には母のお腹に赤ちゃんが出来ました。
しかし母は産みたくないと言っていました。
僕の戸籍上の問題で産みたくなかったみたいです。
僕は弟が出来ることが凄く嬉しかったので、産んで欲しいとお願いしました。
それから弟が生まれ、家族が増えました。


弟が生まれたのをきっかけに父の呼び方を「お父さん」に変えたのを覚えています。
弟にしたら本当の父なので、兄の僕がおじちゃんと呼んでいたらおかしいと思って変えましたが、内心は父と認めてはいませんでした。

小学生になった僕はというと、両親があまり家にいないことをいいことに夜は遅くまで毎日起きて、朝は起きるのがめんどくさく、あまり登校していませんでした。
親にバレても母は「行きたくなきゃ行かなくていいよ」と言ってくれていましたし、父は気づいていませんでした。
毎日自由でしたが、夜はやっぱり寂しいという感情がありました。
たまに学校に行っても自由な生活していたので、自分の気に食わないことがあると、すぐキレていました。年上だろうが関係なく、ムカつくとすぐ殴っていました。
力ではかなわないと思った時には物を使っていました。
工作の授業で使う、彫刻刀で刺した時は少し問題になりましたが、父が解決してくれていました。
“ケンカは格闘技じゃない。命のやりとりだ”と、よく父が言っていたので僕は勝てば何をしてもいいと思っていました。
ただ女の子は絶対に殴るなと母に教えられていたので、女の子だけは殴っていませんでした。

僕が小学生の高学年になる頃、父と母が度々喧嘩をするようになりました。
父は母を殴ったりしていました。僕が止めても全く止まらず、すごく嫌だったのを覚えています。
また母は父が居ない時に知らない男を連れてきて、セックスをしたりとこれも最悪の気分でした。
僕としては最悪の思い出です。

僕が小学6年生の頃に両親は離婚し僕は母、弟は父に引き取られ別々に暮らすことになりました。

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