母の精神病とお姉さんのドラッグ依存

僕は中学校を卒業して直ぐにバイクを買う為のお金が欲しかったので、母が経営しているホストクラブで働きだしました。

母は相変わらず精神状況が安定しておらず、誰もいないのに誰かと喋ったり、正気に戻ったり、自分ではどうすることも出来ない状態が辛い様で、よく泣いたりしていました。
当時の僕は頭がおかしい、完全にイカれていると思っていました。
実の母に包丁で刺され、殺されそうになったのは子供の僕にとってはかなりショックで、悲しくて、怖かったです。
逃げなければいつか本当に殺されると思いました。

ある日父が母を病院に連れて行くから、ついて来て欲しいと言って来ました。
診断されたのは精神分裂症という精神の病気でした。
現在では統合失調症という名前になっています。

病院の先生には精神病院に入れたほうがいいと言われましたが、その時はまだ精神病棟には入りませんでした。
詳しくはわかりませんが、病院に行くのも嫌がっていた母なので入院はもっと嫌だったのだろうと思います。
実際、病院へ行くのも大変で母は「病気じゃない」と言っていました。

僕の生活はというとホストをしながら、先輩に誘われていた暴走族に入り遊ぶ毎日を繰り返していました。
理由は僕の地元では暴走族に入ってない奴は単車を絶対盗まれるというのと、仲が良かった先輩たちがほぼそこのチームに入っていたからです。
夜仕事がない時は単車を盗みに行ったり、国道でバイクに乗りながら消化器の掛合いをしたり、 みんなで単車に乗って走ったりとその時は毎日が楽しかったです。

そしてもう一つ事件がありました。
ずっと家に住ませてもらっていたお姉さんの体調がここ最近良くないなと思っていたら、覚醒剤をやっていたのです。
僕がやめたほうがいいと止めても、完全に依存症になっていて全く話を聞いてくれませんでした。
言い訳になるかもしれませんが、当時16歳の僕にはどうすれば良いかもわからなかったです。
大好きなお姉さんが捕まるのも嫌だし、無理に病院へ連れて行く事も出来ませんでした。
今なら無理にでも病院へ連れて行きますが、依存症の人を僕一人の力ではどうする事もできませんでした。
父と母とは殆ど必要最低限以外に会話もなく、周りに頼れる大人といえばおねーさんだけでした。
でもそんな人が依存症になってしまったのです。

そしてある日、家に帰るとおねーさんはボロボロの状態で死んでいました。
痩せ細って、下着姿で倒れていて、手は注射の打ちすぎで紫になっていました。
僕は何も出来なかった悔しさと、悲しみで涙が止まりませんでした。
今でもたまにこの時の光景が夢に出て来て、目が覚める事があるくらいに悲しい記憶となってます。

救急車を呼んで、医師の死亡確認があり、原因が原因なので僕は警察に事情聴取をされました。
色々聞かれたり調べられましたが、僕は関わっていなかったので直ぐに終わりました。
お葬式はおねーさんの両親がやって、僕も参列しました。
あっという間でした。
他の人なら良いという訳ではありませんが、初めて間近で人が死ぬという経験が大好きなおねーさんなのは凄く辛かったです。
今なら助けられるのに、という後悔だけがずっとずっと残っています。

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