愛なんて、永遠と語られてたまるか。

人は同じ人を愛し続ける事を美徳とする。
人は変わりゆくのに、愛する側の気持ちも変わりゆくのに。

私は今、この記事をタバコを加えストロングゼロのレモン味を飲みながら書いている。私は非喫煙者だし、"チューハイ"は飲まないのに、夏の始まる足音のする夜に負けて、そして新型コロナウイルスによる自粛生活に負けて、私は普段の自分がしないような行動をする事で生きようとしている。

人は流動的な生き物だ。
小さい頃の欲望とか目標を死ぬまで全う出来る人間なんて、いるのだろうか。人間は常に絶え間なく変化する。貴方が呼吸する度に、呼吸する前の貴方とは違う構成要素のもとで成り立っているのだ。

そんな流動的な人間が同じく流動的な人間を愛するのだ。

愛なんて、永遠と語られてたまるものか。

愛は非常にわがままな感情で、その時の自分だからこそ、そしてその時の自分で出会った貴方だからこそ抱いた感情なのだ。
私も変わるし、貴方も変わるでしょう。永遠でない。永遠の愛なんて無い。

愛は流動的だ。

私も貴方も流動的だ。変わる。目玉焼きにかける調味料も、好きな色も、政治的イデオロギーも変わるのだ。
そんな私達の間にある愛だって、流動的でなければいけないのだ。

私は目玉焼きに醤油をかけていた貴方がソースをかけても、同じように夜は抱くように貴方自身を"尊重"しなければいけない。

貴方の、"変化"について愛さなければいけない。

貴方も同様に、私の変化を愛し、尊重しなければいけない。

愛は、変わりゆく二人で作り上げていくものなんだよ。

恋とか、その場だけの性欲とか、そういうものとは、全く違う、努力のいるものなんだよ。
ほうら、愛しいだろう、愛。

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