前回の記事を書いたのは、もうかなり前のことです。それから月日がだいぶ経ちました。 認知症の父を施設に預けることができ、2023年1月仕事を再開。 2023年7月転職。 2023年秋。特養入所中の父は問題行動があるという理由で、退去を迫られ、必死探してグループホームへ。 そして2024年2月末をもって現職を退職することになりました。 激動の年月でした。 来月からは新しい職場での勤務がスタート。 ここ年月の来し方について、折を見て 振り返りを書いていこうと思います。
一年間、認知症介護をワンオペでやってきて分かったこと。 一度も本人の体調悪化はさせてない。 (医師に定期に診てもらっている) 食事支度も家事も裁縫もやる。 (わたしを知る人は知っている) こんなこと普通「苦」以外の何物でもないけど、1年経って自分は勉強させてもらったことが、苦しみのはるか向こう側まで広がっていたということ。 刻苦光明 必ず盛大なり という。 先だって鎌倉円覚寺横田南嶺老大師から謹呈いただいた『禅と出会う』にあるように、 刻苦=光明(213頁)
母が体調を崩してから一年。間も無くお盆には一周忌を迎える。 亡くなってからは手続的なことや、さまざまな雑務が大量に発生して、終わるのにこと春までかかった。年が明けたらコロナの猛威でデイサービスが複数回閉じた。閉じてる間は家に居て、認知症の父の介護は熾烈を極めた。 毎日が戦場で、休む暇も、悲しみに浸る日も何もなく、ひたすらに走ってきた。 ひと段落して、今度は夏に打てなかったワクチンを打ち、ケアマネも病院も何もかも新しく変えて、その後ようやく今までの経験を社会的に還元しようと
いつからだろう。 夜が過ぎるのを待つようになったのは。 函館の街の色は光る宝石のように美しいけれど、 白黒の漆黒の闇と光のコントラストも美しい。 人は光ばかりを追い求め 光に惹かれて集まるけれど。 この世の中には漆黒の暗闇に 一人佇む誰かがいて、 その人は毎晩一人涙し、 この夜が過ぎるのを待っている。 夜が明け、明るさが戻った街の中に 一人佇むその人はどんな日々を送るのだろうか。 日が暮れて、また夜の闇に包まれた時、 人が集まる光の中にある闇の中で 一人佇むその人に
抱え切れぬ想いを突然抱えなくてはならなくなるという、つまり生きていれば人生の中で大嵐が時々やってくることがある。 それは人生に季節があるとしたら、真冬。 雪が巻き上がり、ホワイトアウト、視界が見えない状況のような。 とにかく生き物は動きを止め、ひたすらに春がくるまで堪える厳しい季節。 母は昨年のちょうど今頃、具合が悪くなり始めた。 母は7月頭、余命ひと月と宣告された。 宣告されても、本人は全く飲み込めていない。 「なんて言われたんだっけ?」 そんな具合でぼんやりして
自分の奥深くに沈んでいる物語をあらためて紡ぎ出すのは面白いものだなぁと。 温泉に入って、あぁ心地よい風とあたたかい湯がなんとも気持ちがいいですなぁーなんていう感覚に近い。 当時の自分はしんどいと思っていたことも、いまよくよく思い返せばしみじみと懐かしいなぁ、素敵な時間だなぁなんて思ったりして、勝手なものです。 小さい子どもは物語が大好きだけれど、大人だって物語はやっぱり面白い。小説や映画やドラマが面白いのも、事実の羅列ではないからで。何かのストーリーが語られると、思わず
誰しも「語り得ない履歴書」というものが人生の中にあって、それは「語り得る履歴書」、つまり履歴書に書く履歴には決して書くことができない深淵がある。 それは本人も気づかないようなものだけど、人と対話をする中で、ひょっこりと顔を出すこともあり、「あーそういうこともあったなぁ」なんていう話だったりする。 7年前に閉店したという定食屋さんの話を知って、そこで友達とよく色んな話をしながら昼を食べてたなぁとか、その頃は色んなことに行き詰まりながらも、結構楽しく過ごしていたなぁとか。当時
街中を歩くと多くの人が行き交う。 その人一人ひとりに人生があり、経験がある。 経験しないとわからないこともあるが 経験してもなおわからないこともある。 経験を経ることはどんなことでさえ、 その人の人生にとって大きな意味がある。 ただ、経験しても分からないことがまだ 残されてるということに自覚的でありたい。 経験したことで分かった気になっていないか。 経験者だからとその立場に胡座をかいていないか。 プラスの経験もマイナスの経験も。 それはその人の蓄積である。 その人
「生きている」という以外に、 語りえぬこともある。 様々な事情から外の世界に出ることが叶わない人もいる。 せっかく九合目くらいまで高い山に登っても、 天候次第、つまりどうにもならぬことで途中引き返す必要が出てしまうこともある。 皆はとうにてっぺんに到達しているのに。 悔しさと情けなさと。 しかしそれはそれとして、 今ここの役目を全うしてる。 その役目は特に人に語ることでもないから 黙っている。 そうすると他者からはその意義を問われる。 「なんの役割を果たしてい
「生きていてくれてありがとう」 と言われたことがある。 人は何かと自分のことを意味付けたがる。 「なぜ、どうして」と問いながら、 その答えを探し求める。 探し求めて、答えが見つからないと、 絶望したり、逆に開き直り、暴走する。 けれど、存在そのものが純粋な「意味」だと 思えたとき、それは、存在そのものが 自分自身にとって「有難い」ものなる。 「ある」ことが難しい。 その中にあって、「そこにある」 ということの奇跡的なことに。 人からありがとうと言われて、 わたしは深
大きな川が近くに流れる駅に降り立つ。 昨年の7月に初めて降り立った駅。 大きな街道をこえ、坂道を登ると目的地がある。 かなり急坂なので、息が上がる。 観音堂でお参りをする。 裏手にある母の眠る場所へ向かう。 丘陵の端に当たる場所のため、 少し急な階段を登る。 手を合わせて、 「また来たよ」 とポツリとつぶやく。 枯れ葉を箒で掃除して花を手向ける。 線香の束に火をつける。 風があるからなかなか燃えない。 しばらくすると樒の独特な薫りが立ち込める。 手
このところうちは桜の枝が満開を迎えている。 オカメ桜 啓翁桜 河津桜 東海桜 昨年6月から、ひたすら走り続けてきた。 父の介護。 母の病。 母の死。 争い。 友の死。 他にも数えれば限りない。 ここにきて、また波がやってきた。 いわゆる「波」である。 どんなに身体が後ろ向きでも、 こころは前を向いていたい。 長年患って、思うこと。 ここでこころを引っ込めたら、 やばい方向にしか行かないことは、 散々経験したんだ。 人は後ろには戻れない。 常に今ここに現前す
前の投稿から、かなり時間があきました。 このひと月、様々なことに追われ、 やっとここ数日平常を取り戻しつつあります。 色々なことがありすぎて、 ここに書ききれないくらいです。 とはいえ、わたしにとって深い意味をもったのは 中高時代の親友の死。 あっという間に突然この世から去りました。 連絡を受けたときは、 即座に理解ができませんでしたが、 翌日、布団に横たわる彼を見て、 その死の事実をようやく受け止めたのでした。 弔うこと 祈ること 単なる物質的な死という現象から
たぶん起きることができない。 どうするのか。 わからないがもう立てない。
ワンオペでの家事と介護全てをやる。 ハッキリ言って、心身を酷使しないと 無理。 死にそうって思いながら ニコニコと役目を果たす。 ケアマネは透明なひと。 いてもいなくてもわからない。 酷使して倒れては栄養ドリンクとかで 凌いでるけど。 わたしがいつか倒れたらどうなんるんだ。 限界。本当に限界。
母が亡くなってから半年。 母の死を哀しめない気持ちになることがある。 複雑な事情でその気持ちの結び目は固い。 容易に解けそうにない。 哀しみという気持ちに浸り、しっかりと弔い 気持ちの整理をつけるという風にはなかなか いかない。 結び目のせいだ。 「修道院の風」という本を読んでいたら、結び目を解く聖母マリアの祈りというのがあるのを知った。 映画「ローマ法王になる日まで」に出てくるそうである。 人が変わってしまった人。 話が通じない人。 怒りを念を持ち続ける人。