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今年も、わたしは頑張らない

いや、やる気出せよって感じですが、出しません。てか、やる気ならそこそこあります。モチベーションは高いほうなんじゃないかな。

でも、頑張らない。そんな気持ちは、もう数年前に捨てました。だから、記事でも「がんばる」とか「がんばりましょう」って書かないでしょ。だって、わたしにその気がないから。自分にできないことは、言わないようにしてるんで。


こういうこと書くと「そう言いながら、毎日note書いてるじゃん。なんなら、ツイートも増えてるじゃん」って声が聞こえてきそう。

まあね、別に「なんもしない」って言ってるわけじゃないですから。苦もなくできることは続けます。てか「頑張らずにできることだけが残った」ってことかもしれない。わたしにとって書くことは、しんどいことじゃないんで。


それどころか、最近は書くことが精神安定につながってるのかもなんて思います。

いくら同居してる猫がかわいいっていっても、話聞いてくれませんから。「これは」って記事書いても「よくやったニャー」とはなりません。やっぱり人に届く、人から反応が返ってくる。これが発信する喜びや書く力になってるんだろうなと。


そりゃ、価値出そうって力入れることくらいはありますよ。せっかくページ開いて、読んでくれるんだからって。

わたしだって、人の子ですから。がっかりさせたくないし、なるべく期待に応えたい。なんなら、グッとくる記事書いて、あっと脅かせようくらいの野心はあるかもしれない。なんといっても、ここから世に出なきゃいけませんから。そんな、落ち着いてもいられない。


でも、頑張らない。なぜか?それは、頑張ってもあまり意味ないと思うからです。あくまでわたしの場合ね。

そもそも「頑張る」ってなんでしょう。辞書を引いてみると「忍耐して、努力する。困難にめげず、我慢してやり抜く」ほら、なんかヤバい香りがしません?忍耐と我慢って、戦時中じゃないんだから。もう2020年代だよ。


長い目で見たら、続きませんって。いまふうに言えば、サスティナブル(持続可能)じゃない。

そりゃ、いっときは効果あるでしょう。わたしなら、一週間?若い人なら、一か月くらい全力ダッシュできる人だっていると思う。でも、そんなもんですよ。えっ、しばらく休んでまたダッシュ?無茶ですって、人間そんな無理が効くようにできてない。


それよりも、無理なく続けられることを見つけて、それを淡々と続けていく。それで回らないなら、上手くいく仕組みを考える。毎日のルーティンに組み込んで、いちいち頭使わなくていいよう自動化する。そのほうが、よほどまっとうなやり方じゃないかな。

間違っても時間を追加したり、頑張っちゃいけない。遊びを省く、睡眠を削るなんて愚の骨頂。クリエイターなら、自分の首を絞める行為といっていいでしょう。


サボるんじゃなく、まじめに手を抜くってことかな。だって、そこそこ頑張ってきたもん。学校に会社、個人ではじめてからもそう。上手くいかなかったこともいっぱいあります。やめたから残ってないだけでね。

そう、合わないことはどんどん切り捨ててきたんです。だから家庭もないし、組織にも属してない。そうか、それを探るときは多少頑張ってたかも。これはしょーがないですよね、自分にピタッとくるものを見つけるためだから。で、わたしには猫と書くことが残ったと。


よかったー、やっと見つかった。Twitterでいい広告を紹介して、noteで好きなことを書く。そこを連携させて、いい具合に回していく。わたしが「無理なく、楽しめて、続けていける」ちょうどいいラインなんだと思う。ああ、あと「本を書く」かな。

よく言ってますが、心の余裕がないといい発信ってできませんから。自分にフィットするものを見つける、いいラインを探るのはほんと大事だと思う。


ちなみに、アンフィットに去ってもらわないと、フィットを取り入れることはできません。だから、やらない訓練、捨てる技術が必要なんです。一日は24時間、人生はクローゼット、容量には限りがあります。今年あなたは何をやめて、何をはじめますか?

と、この辺のことは下記でも書いてるんで、よかったらどうぞ。2022年もゆるく続けよーっと、ではまた。


個別コーチ、添削、オンライン相談もぜひー

いつもありがとうございます!なんかおいしいもの食べます。