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性被害のトラウマを我流で治した話。

サスペンスドラマなんかで、故人が大切にしていたものをうっかり落としたら、中からとんでもない秘密が出てきた……なんて設定がありますが。

残りの人生をこの人と過ごしたい!と初めて思った人に突然別れを告げられるという状況に陥った時、衝撃がきっかけとなって長い間封印していたことが露わになるって本当にあるんだな、と驚いたことがあります。

荒療治ではありますが、別れのインパクトの大きさが結果的にプラスに働いたのでした。

長い間封印していたそれは、私が幼い頃に受けた性被害を発端とした長期間に渡る影響についてです。

性被害の苦しみや、この犯罪への憎しみについては、他の被害者の皆さんと全く同じ気持ちなんですが、その経験後の長い混乱や葛藤を経て辿り着いた境地とその衝撃は、角度的にちょっと珍しいんじゃないかと思うので、まとめてみたいと思います。

私が被害に遭ったのは、小学校3年生8歳の時でした。

友人宅に遊びに行った帰り道で、加害者は、精神障害のある中学生でした。自転車に乗ったまま全身を触られ、下着の中にも手を入れられました。

ニヤニヤと笑う顔、耳元の荒い呼吸、ひそひそと問いかける度に耳にかかる息、全てに対して吐き気を催すほど嫌悪感を覚えました。

汗びっしょりなのに体は冷たく、体温や体の感覚を失ったように硬直して声も出ず、されるがままの状態でした。

暫くして、これではいけない何とかしなければ、と必死で自転車を漕ぎだしたものの、加害者は追ってきます。

ずっと年上の男性ですから、みるみる距離が縮まります。ただただ恐怖でした。目の前に森の入り口が見えた時、子供心にも、あの中に入ったら終わりだと思いました。

どうすればいいか分からなくなって自転車を停めた私は当然追いつかれ、再度被害に遭いました。

田舎道で、立ち止まっている道路から少し離れた家の庭に小さな人影が見えましたが、遠くてこちらの状況は分かりません。

声も出ないし、出したところで子供の声の大きさでは聞こえなかっただろうなという距離でした。

絶望と恐怖から、とうとう我慢の糸が切れた私は、しくしく泣きだしてしまいました。

その瞬間、加害者はハッとして動揺し始め、挙動不審になり最終的に去って行きました。

泣きながら家に帰った私は、羞恥心で酷く迷いながらも、母親に事の次第を伝えました。

狼狽えた母は、とにかく状況把握をと私を車に乗せ、現場を回って詳細を確認しました。学校にも報告したため、次の日から暫く私のクラスは男子と一緒に下校することになりました。

彼らが何があったのかと噂するのを聞きながら一緒に帰るのは、針の筵でした。

両親は私に気を遣って、壊れものを扱うようにふるまいました。湿った重苦しい空気が漂う日々で、親も大変だっただろうなと思います。

暫くのち、私の被害の後に、実は当日一緒だった私の友人も同様の被害に遭ったこと、着用していたヘルメットから相手が分かり、実はその友人の近所の男子中学生ということが判明したこと、精神障害者で見知った人間ということもあり、穏便に済ませることになったことを、定かではないですが、その友人か私の母親から聞いた覚えがあります。

一時期は外出にも恐怖を感じていた私ですが、何とか持ち直し日常を取り戻しました。

しかしやはり心理的なダメージは大きく、その時にはいていたお気に入りのスカートの水玉模様は以降嫌いになり、髪型は耳が出たショートカット。常にズボンに帽子、男もののスニーカーというスタイルが定着していきました。

ソフトボールの大会で、忘れられない出来事があります。私はセカンドで守備についていたところ、相手チームの選手が大きな声でこちらのルール違反を訴えました。

1チームにつき女子を3人入れなければならないというルールなのに、このチームは女子が2人しかいないという主張でした。

うちのチームの男子が反論しました。「セカンドも女だよ!」プレッシャーを感じた私は帽子を取りました。

相手チ―ムが言葉を失い、納得したけどちょっとまずかったかな……というような、何とも言えない反応を感じました。

私は、恥ずかしさや腹立たしさが入り混じった複雑な気持ちで、黙って帽子を被り直し、試合が再開となったのを覚えています。

あの時のことは何もなかったこととして、忌まわしい記憶は封印し、上辺だけ自分の性を無視して生活を続けていましたが、成長の段階で、度々向き合わざるを得ない状況に出くわしました。

まずは、中学生になった時。セーラー服にスカートをはくのは違和感がありましたが、これについては単なるルーティン作業であると言い聞かせ、スカートとカウントしないことにして、何とか乗り切りました。

しかし、初めて生理が来た時は、ハンマーで頭を殴られたような衝撃でした。

いつかこの日が来るとは分かっていたものの、拒否し続けていた自分の性を突きつけられたようで、以降長い間、生理期間外も常に頭の中が嫌悪感で埋め尽くされていました。誰にも言えず、静かな葛藤が続きました。

幸い男性不信などはなく、好きな人ができてありがたいことに恋愛もしてきましたが、可愛くなって好きな人に大切にされたいという気持ちがある一方、どこかできれいになりたくない、女性として扱われることへの不快感みたいなものが存在し、相反する気持ちに戸惑っていました。

また、自分という人間の価値、特に女性としての価値は著しく低い、と刻み込まれているところがあって、男性から好意を感じた時に、あれっもしかして?と思っても、「私なんかが好かれる訳がない。全くそんなことを考えるなんておこがましい。何て恥ずかしい考えを持ってしまったのか」と激しく自己嫌悪する、という思考パターンに陥っていきました。

相手からのメッセージを受け取れず、それまで同様に普通に接したことが原因で、「どうして相手の気持ちに気付かないのか」とか、「期待を持たせるようなことをしないでほしい」と、本人や周りの人から言われ、ショックを受けた覚えがあります。

お付き合いをしている間も、常にどこか矛盾していて、そのアンバランス感がまとわりついているような状態でした。

自分を変えるとか、人生を立て直そうとする時に一番厄介だなと思うのですが、人間“違和感と共存できてしまう”んですよね。

自分の心の声に耳を傾けず、問題を見て見ぬフリができてしまう。その間にその状態が定着し、他の欲求と複雑に絡まり合ったりして、余計複雑化していくんですよね。

36歳の頃、生まれて初めて残りの人生を一緒に歩みたいと思った人に出会いました。相手からも将来の話が出てきており、順風満帆に思えました。

でも当時も未だ違和感はそのままで、スカートははくようになってはいましたが、何というか、よし、今日はスカートをはくぞ!と気合を入れないとはけず、またその日一日気持ちが落ち着かない、という状態でした。

また、社会通念上お化粧もしていましたが、楽しいという気持ちやきれいになりたいという前向きな気持ちはなく、したくないわけではないけれど何故か憂鬱、というような気持ちでした。

大好きな彼と歩いていても自分自身の欠損感が拭えず、脳内のどこかで、私はこの人のアクセサリーとして失格だなと思っていたのを覚えています。

数年後、いよいよ将来に向けて関係が進展するという局面になった時、突然別れを告げられました。

振り返って考えるに、自分は自己評価が著しく低かったので、そういう自分がその事態を引き起こしていた面も大きかったと思うのですが、その彼は元々トロフィーワイフ思考が強く、自分のステータスシンボルとして、美しく性的魅力のある女性を追う傾向があったので、私に対して物足りなさを感じ始めていたんだと思います。

私への態度が少しずつ雑になっていくのを敏感に感じ取って、でも、自分の価値が低いのだから仕方がないと、どこかに自己卑下と諦めがあったような気がします。

「性格は死ぬほど好きだ」という言葉を残して、彼は去って行きました。この言葉が全てを物語っていたなと思います。

その人との別れの衝撃は大きく、泣き過ぎて喉が渇いて夜中目が覚めたほどでした。電車の中でも涙が止まらず、席に座って静かに泣きながら出勤し、道端でも座り込んでしまうほどでした。

仲の良かった男性の友人が慰めてくれたのですが、この人の一言がきっかけで自分の長期間に及ぶトラウマに気づくことができました。

散々湿っぽい話を聞いてくれた後、彼は私の気持ちを切り替えるように本当に何気なく、「そう言えば、いつもそういう男性的な服装してるよね。ジーンズとか何かハードな雰囲気でさ。もっと女性らしい恰好をして、男性からの注目を楽しむとかしてみたら?」と言いました。

その時にハッとしました。人に問われて、自分にストレートにその質問をぶつけたことで、初めて考えました。

え?私、男性的な恰好してるのかな?あれ、そう言われてみればそうかもしれない。確かに、女性らしくは忌避しているような気がする。いや、絶対そうしてるな。何で?いつから?いつからって随分昔からのような……、楽しくスカートをはいてた頃もあったのに……。

自問自答してそこまで遡った時に、あああ、あの時からだ!と、8歳の時の記憶に行き当たり、衝撃を受けました。

30年以上しまっていた記憶の蓋を開けたら、その間のいろんな出来事やその当時の感情が次々と溢れてきました。

両親は事件後、ほとんどその件に触れなかったけれど、私の気持ちを探るような空気があり、いたたまれなかったこと、高校生の頃帰宅が遅くなった日に「またあんな目に遭いたいの!?」と母親に酷く叱られ、その、奥歯
に物が挟まったような口ぶりが癇に障り、酷く羞恥心に苛まれたと同時に、私への心配も強く感じ、やりきれない気持ちになったこと、あの時以降水玉模様のものは一切持たなくなったこと、心から笑えなくなったこと……。

その友人にこの経緯を打ち明けたところ、なるほど、被害のターゲットにならないように、女性として見られないようにという心理が働いているんだねと言われました。

あぁ、確かにそれもあるかもと思いつつ、もっと強いのは、自分の性への嫌悪だな、自分は自らの性を受け入れられないでいる、と気づきました。

そこから、今まで目を逸らしてきたこれまでについて考えるようになり、性同一性障害を疑ったりもしました。

宙ぶらりんで不安定な状態の中、ある男性に押し切られる形でお付き合いすることになりました。

その人は、私への好意をとてもオープンに表現する人で、「かわいい」や「きれい」という言葉を、日常的にかけてくれました。

私はそういう経験は今までなかったので、驚いたのと同時に耐え難い不快感を覚え、聞くに耐えないから止めてほしいと頼みました。

褒め言葉なのに、耳を塞ぎたくなるほど、とにかく受けつけませんでした。

ところが、暫くした頃からそれらの言葉を心地良く感じるようになりました。

その方とはご縁がなく、短期間でお別れすることになったのですが、何というか、こういう人生の流れの中、自分の努力と人からの助けがあって人生が整っていくように感じています。

彼のおかげでぐちゃぐちゃになっていた基礎が少し均され、その後の自己改革のきっかけとなり、今の彼との出会いへの準備に繋がったと実感しています。

自己評価が低いことで、人に軽く扱われやすいことにも気づき、時間をかけていろいろと行動を変えました。

スカートもちょっと無理をしてはくようにして、お化粧も改善してみました。

今の彼とお付き合いを始めた頃、私はボーイッシュな印象があると言われ一瞬驚きました。

「えっ、そんな印象ですか!?」と思わず言った後、まだ自分は性に対して違和感があり途上なんだとハッとしました。

その流れで、性被害について話し、自分の性認識は少し屈折している自覚があると伝えました。

何を話しても受け止めてくれるという信頼があったことと、この課題について自分の中で消化できていたので、気軽に話せました。

「面白いと言うと語弊がありますけど、興味深いんですよ。性被害者の心理状態って、本当に教科書通りなんですよ。全部自分が悪いと思ったし、自分のことが凄まじく汚らしく感じるんですよね」

「あと、自分でも歪んでると思うんですけど、自分の価値が恐ろしく低く感じるんですよね。例えば、着替えてる時に男性に覗かれたとしますよね。普通の反応としては恥ずかしいとか、怒りが湧くとかだと思うんですけど、私
の場合、あ、私なんかでスミマセン、ハズレでしたよね?と、謝ってるようなイメージさえ湧くんです。どう考えてもおかしいですよね?ははは」

と話したところ。彼が私を真っすぐ見て真剣に「君は汚れてなんかいないよ」と言ってくれました。

過去に意識を向け、できるだけ忠実に言葉にすることに集中していた私は、その時はただビックリしつつ、少しくすぐったいような気持ちでした。

それまで長い間、お付き合いする度に、この人は、一体私の何が良くてこうしているんだろうと不思議に思ったり、気持ちの混乱もあったんですが、徐々に傷が癒えたなぁという実感があります。

こんなに晴れ晴れとした気持ちでスカートをはいている人はあんまりいないんじゃないかなぁ、と心の中で自分をちょっと誇らしく思いながら、おしゃれを楽しんでいます。

同じような思いをした人が、誰にも渡せないその重荷を、何らかの形で手放せるように祈っています。

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