未熟な人ほど教えたがるわけ

時間をかけて身につけたことは、言葉で教えて、すぐに相手に身につけさせてあげられることではない。

たとえば、職人が身につけた技は、近くで見ながら、日々自分も試してみることで、盗み見るものであって、教えてもらって身につけられるものではない。

プロ野球選手が、「ホームランの打ち方を教えてください。」と素人に頼まれ、何かをその人に伝えたことで、それは果たしてホームランの打ち方を教えたことになるだろうか。

そんなふうに考えてみると、教えてわかること。教えたらすぐに相手が身につけられることというのは、そもそも簡単に身につけられることであって、あまり価値がないこと、という事実が見えてくる。

未熟な人ほど教えたがり、熟練した人ほど、多くは語らなくなる、というのにはそういうわけがある。

簡単に身につけられることは、簡単に語られ、簡単には身につけられないことは、時間をかけて、その人自身が主体的な努力によって身につけていく過程に寄り添うことでしか伝えられない。

それは伝えるというより、立ち会うということ。
教えるというより、付き合っていくということ。

だから「教える」ことの本質は、伝えるというより、付き合うことの方にある。


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