見出し画像

メンヘラ予備軍

自分にその気質があるとは知っていながらも、自分は絶対にメンヘラにはならないと思っていた。

noteの美しい髪投稿コンテストに入賞していたスイスイさんの小説を読んで、メンヘラと呼ばれる人たちの、理屈の通っていなさに驚いた。

バイトを辞めてしまいお金がない自分のために働いてくれている彼氏に400件の不在着信を残したり、事故で捻挫した彼氏を心配する前に傷のついた手首を見せたりする自分は、想像できなかった。

でも最近、メンヘラの世界に一歩足を踏み入れかけて、あぁこの先にあれがあるのか、と思った。


きっとメンヘラ予備軍の人は、自分の心に何人か別の人を飼っている。それは友達だったり、嫌いな人だったり、存在するかもわからない自分を責める人だったりする。

私の場合は、好き勝手に行動する自分が嫌いで、相手がどう思うかを考えて行動するようにし始めたら、その人たちの声が何倍にも大きくなった。

始めは上手くいった。普段だったら放っておいたであろう人を一生懸命慰めて、そして喜んでもらえた。自分の弱点を一つ乗り越えられた気がした。

でもそのうち、「今の行動は自分勝手だったね」「まためんどくさがって人を突き放したね」って、自分を責める声がどんどん増えていった。


右に足を進めようとすると、「お前が右に行ったら俺が困るじゃないか」とか、「昨日まで左って言っていたのに、また変えるの?」という声が頭に響く。

左でも同じこと。

今いる場所にいる限り自分のことが好きになれなくて、変わらなければいけないことはわかるのに、どっちに進めばいいのかわからない。

励ましてくれる友達の声を聞きながら、「そんなどうでもいいことで私の時間を無駄しないでよ」という友達の声が、頭で生成される。


それなのに、「そうだよねごめん、迷惑をかけてごめん」と思う私よりも、「私一人じゃどうしようもできないから助けてよ、助けるべき」という私が勝つ。

たった1時間話を聞いてくれるだけで私は救われるかもしれないのに、どうしてそんな小さな事もしてくれないの?

そうやって誰かの好意を搾取して、搾取して。そして、搾取する自分を誰かに責められ続ける。

夜も眠れなくなって、ちゃんとした食事もとる気になれなかった。そして、そんな状況になっているかわいそうな私を誰かに伝えたくて、そして同情を買おうとしている自分をまた嫌う。


そんな中、どんな奇異な道を辿ったかは覚えていないけれど、周りの人に感謝をしようという結論に至った。

結局、誰かの好意を当たり前だと思うから怒りが湧いてくるわけで、それ一つひとつに感謝をしていたら、「誰かを搾取している自分」を責める声はなくなる。

そして、誰かの手助けがなくても生きていけると自分を信じられる余裕が、優しさを生むんだと気付いた。だから、自分が幸せにならないと誰かを幸せにすることができない、と人は言うんだと思う。

#メンヘラ #日記 #エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?