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「イザリウオ」は昔の話?

こんにちは。入社4年目の長沼新之介です。校閲部員には「野球が好き」「サッカーが好き」など各々にいわば「得意ジャンル」があり、日々の仕事に生かしています。

僕は「生きもの(特に魚類)」が好きで、物心ついたころから図鑑を読みふけり、水族館によく連れていってもらいました。

先日、実家にある古い魚図鑑を読むと、小さいころの懐かしい記憶がよみがえってきました。両親に魚の絵を描いてもらったり、聞かれてもいないのに延々と魚の解説をしたり…。

そんな思い出に浸っていると、「今とは違う名前」で記載された魚が。目に入った瞬間に、テーマが決まりました。
今回は、思い出話も兼ねて「魚の名前」についての話をしたいと思います。

標準和名

「縁起物といえば」なこの魚。

東海大学海洋科学博物館で撮影(2023年3月)

みなさんは普段「タイ」と呼んでいると思います。しかし、このタイは標準和名では「マダイ」となっています。そもそも標準和名とはなんでしょうか。

標準和名とは「日本において学名の代わりに用いられる生物の学術的名称」(日本魚類学会による)で、発音がしやすく、意味を理解しやすいものになっています。これは分類学や自然科学、行政などにおいて対象の生物の名称にブレが生じることを防ぎ、共通理解を得るためにつけられており、図鑑も標準和名で記載されています。

みなさんがスーパーでよく目にする「アジ」「イワシ」は標準和名では「マアジ」「マイワシ」であることが多いです。

もちろんこれはあくまで学術的につけられた名称なので、スーパーなどでつけられている商品名や、方言で呼ぶことは全く誤りではありません。

そんな魚の標準和名ですが、今から16年前に大幅な変更がありました。内容は「差別的な語を含む日本産の魚32種の標準和名を変更する」というものでした。実例を紹介します。

カエルアンコウ

こちらの風変わりな魚。

浜名湖体験学習施設ウォットで撮影(2023年3月)

僕が大好きな魚の一つの「カエルアンコウ」です。
個体による体色の多様さ、面白い生態、「ブサカワ」なところが一押しポイントです。観賞魚やダイビングでも人気の魚で、展示している水族館もあります。いつかはスキューバダイビングのライセンスをとって野生の姿を見たいのですが…。

このカエルアンコウですが、2007年2月の変更までは「イザリウオ」と呼ばれていました。

「イザリ」を漢字で書くと「躄」で「尻を地面につけたまま進むこと」や、「足が不自由な人」を指します。実際にこの魚は泳ぐのが苦手で、胸びれと腹びれを使ってはうように移動します。こうした動きから「イザリウオ」と名付けられたようです。

一方、神奈川県の三崎地方の方言をルーツとする説(さかな異名抄 1966年)や、目の間にあるミミズのような疑似餌を本物の餌であるかのように動かし、おびき寄せられた獲物を食べるという生態から「漁をする魚→漁(いさ)る魚」が転じたという説もあります。

右は「ボンボリカエルアンコウ」。種類や個体によって色がかなり違います。
浜名湖体験学習施設ウォットで撮影(2023年3月)

僕が小さいころにしわくちゃになるまで読んだ図鑑は、いずれも2007年の名称変更前の発行だったので「イザリウオ」と記載されていました。
しかしある日、新しい図鑑を買うと全て「カエルアンコウ」に変更されていたのです。

当時は「名前が間違っている」「なんで名前が変わったんだろう」とひたすら疑問に思いました。こうした背景があったことを知るのはかなり後になってからでした。

名前の変更に当たり「『躄』は古語や死語の類に入るので問題ないのではないか」と懐疑的な意見もあったそうです。
しかし、健常者には一方的に古語、死語と判断する傾向があり、そうした差別を受けてきた人たちはほとんど使われなくなった言葉にも差別的な意味合いを感じるため不適切だと判断し、標準和名変更に踏み切ったのです。

以下のURLから、こうした標準和名変更への議論のより詳しいものを見ることができます。
(「日本魚類学会標準和名検討委員会 学会員からの意見に対する回答」 https://www.fish-isj.jp/info/j070201_b.html

沖縄美ら海水族館にて、「ピエロカエルアンコウ」。ジンベエザメよりもこちらが目当てだったのですが、微動だにしませんでした…。(2022年9月撮影)

名前が変わっても

「カエルアンコウ」に標準和名が変更された「旧イザリウオ」ですが、個人的には「漁る」が転じた説がとても良いネーミングだと思っていました。

しかし、「万人に受け入れられるため」という標準和名の目的に則ると納得できる変更だといえます。先ほどの写真を見ると、なんとなくひれにカエルらしさを感じませんか…?

その他には「オシ(言葉がうまく発せないこと)」や「メクラ」などが含まれる魚名が変更されています。

時代を経るにつれて、ニュースだけでなく日常生活でも他者を差別するような表現には厳しい目が向けられるようになりました。そうした情勢を受け、「魚の名前」も万人に受け入れられるように議論がなされたといえます。

差別的な表現を是正するための変更は歓迎されるべきだと思います。一方でこうした趨勢に過敏になるあまり、必要以上に名称変更が進められるようなことにはなってほしくないというのが本心です。

名前が変わっても、その魚の魅力が失われることはありません。むしろ、より多くの人に愛されるように変えられたというべきでしょうか。





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