記者ハンドブックいまむかし
いや女の貞操って、と言いたくもなります。それは私が昭和末期の生まれでこの令和に三十半ばを迎えた身だからであって、この文章が書かれた当時では抵抗はないと判断されたのでしょう。
記者ハンドブックのご先祖さま
この文章の出典は、今年3月に第14版に改訂された記者ハンドブックからさかのぼること70年以上昔、記者ハンドブック初版のさらに原型に当たる『ニュースマンズ・ハンドブック』(1949年、共同通信社)です。現在ほとんど世間に出回っていない稀覯本ですが、その中の「まえがき」で、「故ニューヨーク・ワールド社長ピュリツァーの言葉」として冒頭の言を引用し、新聞記事は正確でなければならない、と読者を戒めています。それにしたって「女の貞操」を引き合いに出さなくてもいいでしょうよ、と今の世の中ならば受け取られるでしょう。
国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービスが今年5月に開始されたことで、この『ニュースマンズ・ハンドブック』もオンライン登録をすれば誰でも無料で閲覧できるようになりました。いい時代になったものです。
共同通信と記者ハンドブック
第2次世界大戦中に、国策通信社として国内外の報道の一翼を担った同盟通信社が敗戦後の1945年に解散。同年ふたつに分かれて発足したのが、共同通信社と時事通信社です。中日新聞社は共同通信社の発足当初から加盟しており、今に至るまで共同から配信された記事を紙面に多く掲載しています。そのため、表記のルールは基本的に共同に準拠しています。記者ハンドブックについては、こちらにまとめられています。
『ニュースマンズ』は「記事を平易にするために」という項でこのような反省をしていますが、戦前の新聞はどのようなものだったのでしょう。
「鈴木(貫太郎)首相が(終戦の)詔勅を受けて臨時閣議を開催し、(降伏という)新たな状況に際して閣僚と共に昭和天皇に辞表を提出した」という趣旨の、なるほど確かに難しい文章です。渙発(かんぱつ、詔勅を出す)、至當(=至当、当然)、骸骨を乞う(退官を願い出る)、闕下(けっか、天皇の前)などは、今の新聞ではまず見ない言い回しです。
政治経済などの記事で顕著な、戦中までのこういった文語体や旧かな遣い、旧字体に代表される新聞記事の表記は、終戦後大きく改められていきました。現代かな遣いが公布された1946年から3年後、『ニュースマンズ』が〈新聞記者のいわば必携〉であり、〈ひろく報道にたずさわるものにも参考にしてもらう〉ために編まれたのは、国語改革の過渡期にあった49年のことです。口語体でありながら漢字は旧字体のままである一方で、新かな・旧かなの対応表や、新字体を含む当用漢字の一覧表も載っています。
こんなに違うニュースマンズ
外来語の表記も現在と違います。現在固有名詞以外には使わない「ヴ」を排除しておらず、「メキシコシチー」や、「ヴァンクーヴァー」「ソヴエト連邦」といった、今から見ると「どうも古くさいな」「やけにネイティブ寄りだな」と感じさせるような表記もあります。1948年から52年のわずかな期間日本でも導入された夏時間は「サンマー・タイム」として例示されています。56年の記者ハンドブック初版以来ずっと維持されてきた「テークアウト」が、今春の記者ハンドブックの第14版改訂をもって「テイクアウト」に表記が変わりましたが、英語のカタカナ発音も時代の経過に合わせて移ろっていきます。
漢字表記も、今とはずいぶん違います。
「準決勝」の用例は戦前にも多々あり、何をもって誤りと定めていたのかは判然としません。この3語は記者ハンドブックの初版で採否が逆転し、今に至ります。「降服」や「停年」を現在使うことはあっても、「准決勝」はこちらの方が誤用と見なされるでしょう。
隔世の感のある項目も。
すごいのがこれ。「傳書バトの使用法」。
中日新聞社でも、記者が出先で撮影した写真のフィルムや書いた記事を本社に届けるために、1970年まで伝書バトが飼われていたといいます。社屋の屋上にはハト小屋があり、数十羽が飼われていたそうです。曰く、飛行限度はおおよそ150キロ。静かな場所で水を与えて休ませよ。原稿をハトにつけるときは右手を左背に当てたり、自分の胸にハトの胸を当てたりすると暴れない…。なんだか信書管を着けさせられたハトの体温の温かさまでが伝わってくるような文章です。
伝書バトに限らず、電報打電の方法、電話口で記事を説明する際の「秋田の“あ”」といった地名を使った字解き、モールス信号の和英対応表といった往年の技術や、1ドル=360円を始めとした当時の各国通貨レート、連合国の占領政策への批判を封じた「日本新聞規約」(別名「プレス・コード」)の条文といった資料も、『ニュースマンズ』には取り上げられています。
記者ハンは変わる
1949年の『ニュースマンズ』から数えると、記者ハンドブックの歴史は70年超に及びます。漢字の使い分けやカタカナ表記の用例集といった古くからある主要項目だけでなく、中には新たに追加されたものも。そのひとつに、今で言う「差別・不快用語集」があります。
たとえば差別語である「気違い」という言葉。初版では「気狂い」ではなく「気違い」と表記するように、とあるのみでした。これが1981年の第4版で新設された「禁止語・不快用語」の中で、「精神障害者」に言い換える、と指定され、今に至ります。
今では廃れた語句に交じって、第5版(85年)では「芸人」が新たに加わっています。本人が意識的に語らない限りは「芸能人」に言い換える、と指示していますが、え、差別用語なの?と疑問に感じた方もいるのではないでしょうか。例えば大正・昭和期に新劇運動を進めた劇作家の岸田国士(1890~1954年)はこう書いています。
この文章中の「芸人」という言葉からは、俳優よりも低い存在であるという職業自体への蔑視が見受けられます。
「軽い、侮蔑を含意」とあるように、ネガティブな語感に言及している辞書は今も存在しますが、少数にとどまります。記者ハンドブックから「芸人」が不快用語から削られたのは、第10版になった2005年。80年代以降に幾度か起こったお笑いブームも相まって、世間から否定的なニュアンスが薄れたと判断されたのでしょう。
「女優」と「俳優」
一方で、追加された言葉もあります。今年2022年の最新版で創設された「ジェンダー平等への配慮」(478ページ)の中の一項目。
インタビュイーの強い自負に基づく発言や、主要映画賞が「男優賞」「女優賞」を設けている場合はそのまま書くなど、一概に表記を排除しているわけではありません。記者ハンドブックはその言葉が性差別に当たるかを判断する基準として〈女性を特別視する表現や外見を強調する表現、男性側に対語のない女性表現は原則として使わない〉と述べています。「俳優」が男女双方を指し、「俳優」に比べ「男優」が使われる頻度が低いのであれば、ことさら「女優」と書く必要は乏しい、という筋道が立ちます。
ただ、ハンドブックの改訂会議の中でこの「女優」を加えることに対し、性急すぎるのではないか、世間一般の考えと乖離があるのではないか、と再考を求める声もありました。事実この項目ができてからの約半年で「女優」は記事中に連日登場しています。私自身も、校閲としての指摘は若干抑制的にしています。
それでも、たとえば「女流作家」という言い回しは紙面からほぼ消えました。なぜなら、単に「作家」でいいわけです。この「女流」への注意喚起が加わったのは第8版(1997年)からですが、その後も用例はちらほらとあり、現在では「女流名人」などを除いて、ほぼ歴史的背景を注記して書かれるものとして定まった感があります。「女の貞操」を抵抗なく受け入れる人は今や少数でしょうが、「女優」という言葉は今後どうなっていくでしょうか。
記者ハンドブックの内容は共同通信社とその加盟社による論議を経て決まるため、新語や誤用についてはかなり保守的な傾向があります。また、無数の記者の書く文章を新聞や放送といったひとつのフォーマットに落とし込むため「こう書け」「こう書くな」という規範意識が比較的強く、それが時に杓子定規だと感じることもあります。
そしてその規範は、いかに時代時代で移り変わっていくものであるかが、今回触れたごく一部の例だけでもお分かりいただけるのではないでしょうか。『ニュースマンズ・ハンドブック』や、計14版を数える『記者ハンドブック』も、国語学における時代の貴重な一指標として、国語辞典などと共に後世に残り続けることと思います。
参考
成川祐一(2017)「正しく伝わる日本語のために:共同通信社記者ハンドブックの成り立ち」https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/60/2/60_69/_html/-char/ja
8月18日閲覧。