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YATTANE(中編5)【ショートショート】

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流れると言えば水と風。

漂うのは雲と波。

人の世はただ噂が伝う。

空と海に比べる程の風情も無し。


男が就職して二年が経つ頃、
夜がおかしくなった。

相変わらずの激務である事に変わりがない筈、
しかし身体が不思議な事に、夜、起きる。

およそ夜中の二時。
誰かに肩を叩かれたように、ふと目が覚める。
目が覚めて確認すると、時刻は決まって二時あたり。
身体はヘトヘト、肉がきしんでいる。
疲れていると気を失うように寝るのが必然だと世間は言うが、
男の身体は不思議なもので、
どんなに疲れていても必ず起きた。
時間は決まって夜の二時。

「小便に行くんか」
「いや、そういう訳でもなくて」

あまりにも連日目が覚める。
不安が言葉になって口に出る。
最初の相談相手は手頃な相手。
男は鰻に相談したが、
相も変わらずふざけた調子でこのように返された。

尿意を感じて起きるのではない。
筋肉痛が酷く目が覚めるとも違う。
恋煩いをする程惚れている相手もいない。

「病院行った方がええんちゃう」
「いや、でも身体のどこかが悪いって訳でもなくて」
「でも寝不足になるやろ」
「そうでもなくて。
 目は覚めるんですよ。
 でもその後割とストーンと睡眠に戻れて」
「目だけが覚めるん?」
「決まって夜の二時に」
「身体壊れてんなぁ」

男は復帰した社会人二年目も終わりに近づき、
もう小説を書く為にwordを開く事もしていない。
ただケーブルを機材に繋ぎ、
機材の動作を確認し、
客先に挨拶をして、
金を得る。

他にも細々とした仕事が男の時間を貪り食う。
文字通り朝から晩まで働き、
土日の出勤手当もかなりの額を給料明細に打ち込まれ、
もう、小説の事など考える暇も無い。

仕事とは例えるなら『鍋の中の料理』だと誰かが言った。
良い匂いがするからと選んでみても、
蓋を開けて食べた中身は予想していた味とズレている。
寧ろ思っても見ない味がする事が多い。

男は少なからず思っていただろう、
仕事をしながらでも、空いた時間で小説を書こう、と。

確かに世の中にはそういう仕事もあるだろう。
土日は必ず休み、就業も定時か、残業しても一時間。
それなら男もまだ小説の事を考えたろうが、
入った会社が悪かった。
いや、よく調べなかった男が悪かったのか。

小説の事で一杯だった頭の場所が、
今は『仕事』が横柄に幅を利かせている。

「これで世間一般と同じになったのだから良いだろう!」

と、その座から放り出される小説はまるで、
借金取りに追われる様。
追われた『小説』が今は頭の中のどこへ逃げ込んだのか、
その足跡を辿る事すら男には難しい。

仕事の事で一杯なのに夜中も起きて、
男はいよいよ小説どころではない。
もしかして自分の身体が壊れ始めているのだろうか。
しかし休みをとる余裕も無いし、
次々に現場はやってくる。
さながら、わんこそばの如し。

そんなわんこそばの日々の中、
真新しい噂が男の耳に入った。
社員が一人、会社を辞めるらしかった。

「誰が?」
「イベントの子やって。原口っちゅう子。」
「原口……あの若い人ですよね。」
「そーそー、まだ二十五?いうてたかな」

男は煙草を吸わない。
鰻も、佐々木もそうだった。
この業界ではすこぶる珍しい事だった。
一つのチームの全員が煙草を吸わないなんて。
缶コーヒーを片手に二人、
現場の作業場から離れた所で、男と鰻が話し込む。

「辞める理由聞きました?」
「うん」
「人間関係?それとも仕事が忙し過ぎ?」
「なんやと思う?」
「えっ、なんですかそれ」
「当ててみ」
「えーなんだろ、結婚するから?」
「なんやそれ、結婚するから仕事辞めてどうするんや、
 原口かて男やで。」
「いや、大富豪のお嬢さんと結婚するとか」
「男も稼いどらんとカッコウつかへんやろ」
「まぁ、そうすね。えーなんだろ……なんすか?理由は」
「動画作るんやって」
「は?」
「動画」
「動画……何の?」
「釣り」
「釣り?え?釣りの動画作る為に、会社辞めるって事ですか?」
「訳わからんやろ」
「それ本当ですか?どっかで伝言ゲーム、ミスしてません?」
「なんかゲームらしいよ、釣りの」
「釣りのゲーム動画……?」
「僕もそこまでしか聞いてないのよ。
 でも正直分からへん。どういう事?って。
 君、判るか?」
「いや……」
「なんかニコニコ動画ちゅうところに」
「あーはいはい知ってますニコニコなら」
「そこに動画出してたっちゅうてな」
「釣りの?」
「釣りの」
「その為に会社を辞める?」

その男の言葉に鰻からの返事はない。
ぐいっと傾けた缶コーヒーが邪魔をしていた。

「……会社に置いておきたい人材ですね。」
「それ!僕も思った!
 いやーそんなオモロイ事する奴、居て欲しいよなー。
 そもそもそんなにオモロイ釣りのゲーム、あるんか?」
「いや、知らないっすね」
「僕、もう聞いた時笑っちゃったもん。
 でもなんかね、会社入る前に何年か作ってたねんてその動画。
 それが終わってないまま社会人なってもうて、
 最後までちゃんと作りたいとずっと思ってたらしい」
「シリーズものだったんすかね」
「判らんけど最後まで作りたいんで会社辞めますって話らしい」
「その動画作って金入るんですかね」
「入らへんのちゃう。入ってたらココ入社してないやろ」
「働きながらじゃ作れなかったって事ですか」
「そういう事やから辞めるんやろ。
 聞くけど、君はこの仕事やりながら小説書けるんか?」
「いや、もう俺は」
「もしもの話や。」
「いや、無理ですね。時間が足りなさすぎる」
「そう言う事やろ。この会社に居たら動画作れんちゅうこと。
 そんなにやりたい事があるなんて羨ましいわ。
 考えてもみぃ、仕事辞めるって食い扶持放り投げるって事やで。
 余程の決心と覚悟がないと出来る事やあらへん。
 それほど夢中って事やろ。ええなぁ」

鰻が缶を傾けた。
だが缶にはそれに応えるだけの中身はもう無かった。
上下に振った缶から雫の一つもなく、
チェ、と言った感じに鰻がゴミ箱に缶を放り投げた。

「原口君な、」
「はい」
「ここ半年、夜中に目が覚めてたらしいで」
「え?」
「ずっと釣りのゲームする夢見てたんやて。
 なぁ、君も会社辞めてまうか?」
「ふふっ、いや僕は。
 もう諦めてココ来たんですよ。
 原口君と同じような事は一回やってるんです。
 それで駄目だったんで、今ここにいるんすよ。
 もう一回は、やりません。」
「はは、そうかぁ。
 でも君、夢の中で小説書いたりせんの」
「もう随分夢見てませんよ。この仕事、疲れ過ぎです」
「損なヤツやな、僕しょっちゅう見るで」

男はその日の夜も目が覚めた。
時刻は同じく二時、丑三(うしみ)つ時。

パチ、と目が覚めるや否や、
男は布団から跳ね起きた。
四肢の神経は上から下への大騒ぎ。
まだ目覚め切ってない身体もお構いなしに、
男は机の前の椅子をガッシと掴んで座り、
パソコンを立ち上げた。

カン、カンカンとマウスを机に打ち付ける音が鳴る。
ディスプレイ端からも消えたwordを掘り起こし、
ウィンドウが開くや否や、
狂ったようにキーボードを打ち出した。

五分、十分、三十分経っても、
男の打つ手が納まらない。
一時間以上が経った午前三時過ぎ、
カン!とエンターキーを鳴らし終えると、
二年以上動かしてなかったサイトを男が開いた。

久方振りだったが、
サイトに残した二千個の短い物語達が男に向いて会釈する。
そこに男は出来たての物語を強引に捻じ込んだ。
これが新入りだ、仲良くやれと言わんばかり。
何せもう午前の三時、しかも平日。
明日も会社に行かねばならぬし、
現場なので家を出る時間も早い。

削れた睡眠時間は一時間。
書いた物語をサイトにアップしても一文の銭も入らない。
二年という放置の時間がかつての読者を去らせてる。
今更何を更新したとて、誰が何を見に来るの。

だが男にそんな囁き声は一切聞こえなかった。
ただ打ち込み、更新し、速やかに布団に返り、寝る。
朝になると何食わぬ顔をして支度し、
いつもと変わらない様子で現場に向かった。

ただ、一時間の睡眠ロスは流石に効いたか、
身体がいつもより重かった。
どうにかこうにか気合で仕事をこなし、
夜も遅くにタクシーで家までたどり着いた男がまずしたのは、
パソコンを立ち上げる事だった。

少しそわそわした手で更新したページへと向かってみると、
たった二人だけが、新しい物語を読んだらしかった。

いや、二人も来たのか。
もう、それは上出来、上出来。
何せ二年も放置したのだもの、
誰も見に来ない方が普通だから。
きっと何かの拍子に迷い込んだ二人だろう、と、
男はため息か何かも判らぬ息を口から吐いた。

いやしかし、
よく見るとページの一部が赤く光っている。
コメントが一件、とあるではないか。
どこの物好きが残していったのかと開いてみれば、

「あんたは絶対戻ってくると信じていた」

と一行だけが残されてあった。

男は強く下唇を噛んだ、血が出るのかと思う程。
そうしなければ涙が流れていた。

男は暫く静かに唇を噛み続けた。

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