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YATTANE(中編6)【ショートショート】

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男が勤める株式会社、再通季(SATSUKI)。

東京支店ビルは築二十年。
出入りする五十人以上の社員バイトに対し、
人用エレベータはただ一機、
その乗り入り面積は約一畳。
三人乗ればやや狭く、
四人乗れば必ず密着、
五人は乗れる筈が無い。

その点、販売実働チームは良い人数、三人のみ。
仕事終わりの疲れた身体をエレベータの壁に任せ、
まだ賑やかなオフィス階へと帰還する。
この日はまだ定時から三十分しか過ぎてない。
珍しく早く帰れるぞと男も胸を躍らせていると、
社内の空気が男の頬を引っ掻いた。

オフィス階の殆どの面積を占領するのはレンタル部。
何せ管理課、一課二課と三つも課を抱えている。
『課』すらない販売部はオフィスの端を住処としており、
そこに戻る男が隅を通る様にオフィスを歩いていると、
どうもレンタル部の空気が重かった。

「レンタル部、どうかしたんですか」

いつもと違う雰囲気に、
男が販売部事務の須藤に話しかけると、

「あーちょっとねぇ」

と須藤が夕方に起こった出来事を話し始めた。

今、関東レンタル部は繁忙期という事で、
関西から二人応援の人員を呼んでいる。
いずれも社歴二十年前後のベテランで、
この四日間あっちこっちに引っ張りだこ。
その一人が現場に足りない機材を会社に取りに戻った際、
たまたまオフィスでパソコンを叩いていた営業の一人に、

「いいよなぁお前らの仕事は楽で。
 現場の人間は年がら年中大忙しだわ」

と言ったから一大事。
しかも言われた営業は関東レンタル部のベテラン勢。

「おい、もう一回言ってみろや」

火花散る程の売り言葉に、買い言葉。
乾いた落ち葉の山に火を投げ込むより早いか、
オフィス階はあっという間に喧嘩の舞台になったという。

「それでその二人は……」
「青嶋さんは結局機材取りに来てたから、
 ちょっとして現場に戻っちゃった。」
「工藤さんの方は?」
「判んない。気付いたら居なくなってた」

当の二人は消えた様だが、
残した緊張感がまだ残る。
厄介な置き土産だけ残して消える、
どうせなら全部持って行って貰いたい。

「はぁー良かった今帰って来て。
 ぼく喧嘩嫌いだから。平和が一番!」

一部始終を聞いてそうふざけてぼやく鰻が椅子に腰を下ろし、
その勢いが良かったので隣の席の須藤が、

「ちょっとぉ、もっと静かに座ってよぉ」

と眉をしかめた。
席に腰を下ろしたのも束の間、

「せや、明日の用意今のうちにしとかんと」

と鰻が立ち上がるもので、男も、

「俺も行きます」

と一緒に乗り込んだ狭いエレベーターの中。
佐々木は次の現場の図面をもう書かねばならないらしい。

二人で販売部の倉庫に入ると、
段ボールの中から未使用のケーブルを漁った。

「鰻さん、俺思うんですけど」

黒くて細い鰻の様な、
頭が色んな形をしたケーブルをジャラジャラと掴んでは放る。
男の手から落ちたケーブルは軒並み息絶えてるのか、
鰻の様にのたうちもしない。

「営業の方が仕事楽って事はないですよね」
「なに、僕と喧嘩すんの?
「何でそうなるんですか」
「ええ?そうか、ごめんごめん」
「営業は営業で色々大変じゃないですか。
 客と値段の交渉して、顔色伺って機嫌取って。
 まぁ現場も現場でそりゃ大変ですよ、体動かすんだから。」
「せやな」
「でもどっちがって事はないんじゃないかと……」
「……え?もしかして僕に意見求めてる?」
「まぁ」
「そもそも誰かの仕事が楽だとか、
 そんな事言ってる時点でナンセンスやで。」
「はぁ」
「自分の仕事と他人の仕事を比べるまでは良いとしても、
 それで誰かの仕事を悪く言っちゃアカンよ。
 仕事は一つの物差しで測れんのやから。
 ハイ、君の仕事は20シゴト、
 君のは、うーん50シゴトかな!
 とか言えへんやん」
「20仕事?」
「単位単位。もしシゴトっていう単位があったらの話。
 でもそんなの無いやんけ。
 仮にそうやって全ての仕事を数値化出来たとしても、
 やる人間がまたそれぞれ違うやん。
 仕事の種類と人間の性能や得意分野の組み合わせで、
 またややこしい話なるし、
 それで誰の方が楽してるとか判る訳ないやんけ。」
「まぁ」
「違う?僕割とまともな事言ってると思うけど」
「いや、話が面白いので続けて下さい。」
「え?続きなんてないよ。これでおしまい」
「えぇ?」
「じゃー聞くけど、君はそういうのあるか?
 会社の中でコイツ楽してんなぁ!っていう人」
「正直自分の事で一杯一杯なんでよく判らないです」
「二年目なのにそんなに余裕ないんか?君。オイオイ頼むで」
「鰻さんはどうなんすか」
「僕自分の仕事が忙し過ぎるから判んない」
「さっきの言葉そのままお返ししますよ」
「いや、さぁ、思わん?
 誰かの事を悪く思えるなんて、
 それだけまだ心に余裕があるって事やぞ。
 誰かを憎むなんて、暇な人間に許された娯楽や、娯楽。
 本当に忙しかったらそんな誰かを恨むなんて、
 無駄な時間と気力、喰っとる暇あるかいな。
 僕や君みたいに他の人の事まで考えられへんのが普通なの」
「そう言われてみれば……」
「それにな、気付いてるか?」
「何にですか?」

会話をする男二人の手によって、
黒いケーブル、少し混じって白いケーブルがのたうつ、
明日現場へ持って行かれる籠の中に放り込まれる。
きっと何かしらの機材に繋がれるのだ。
そして死刑囚の様に、いつか電気を通される。
哀れなケーブル達は命乞いもしなかった。
ただ、二人の会話を静かにじっと聞いていた。

「社長に僕、何て呼ばれてる?」
「え?ウナちゃん、ですよね。」
「イベント部の上村(カミムラ)は、
 何て呼ばれてるか知ってる?」
「カミちゃん」
「そうや。ちなみにウチの部長の土屋はツッちゃん。」
「ああ、呼ばれてるの聞いた事ある。」
「気付いた?」
「え?何が」
「全部ちゃん付けなん。
 社長がその実力を認めた社員は全員ちゃん付けで呼ばれてるの。」
「   あ、   そうなんですか?」
「実はそうなんよ。
 まぁ君はちゃん付けされてないから気に留めへんやろうけど。
 それでな、青嶋は社長になんて呼ばれてるか知ってるか?
 ただ青嶋、や。」
「………。」
「つまりはそういう事。社長は社員の事よう見とる。
 さ、追加のケーブルもまとまったし、ハイエース積みこも。」

業務は左右に振れる天秤の如(ごと)し。
今日が軽かったら明日は重いか。
明日が重かったら明後日は軽いか。
上がって下がって、下がって上がって。
今日早く帰った分の反動が、
明日はきっと待っているだろう。
男が持ちあげたケーブルの束が、
随分と重い音を立ててハイエースの後部に落ちた。

「鰻さん」
「ん?」
「俺が二年目の、
 小説家で喰いたくてのたうち回ってた二年目」
「うん」
「山手線のつり革に掴まりながら、
 憎く思っていた相手が居ました」
「だれ?」
「どこそこで売れた新人の作家とか、
 何かの拍子で有名になった素人の様な漫画家とか。
 何でこいつらが売れてんだって、
 そう思ってつり革をギュウギュウに握りしめたりしました。
 今思うと恥ずかしいです。
 新しい物語を書くより、
 そういう顔も知らぬ誰かを憎む事に気を取られて。
 物語を書く事だけを、その時は考えられませんでした。」
「そうか。今気づいたん?」
「はい」
「じゃあ今日まではその事考えてへんかったって事やな。
 この仕事に一生懸命になっている証拠やで。」
「まぁ……そうですね。
 正直明日の仕事の事で頭が一杯です」
「僕もや。ところで、最近は寝れてんの?夜中に起きない?」
「最近は大丈夫です。」
「そっか。
 じゃあもう今日は早よ帰ろ!
 はーもう、ちかれたー」
「はぁ、久々にこんなに早く帰れますね。」

感情に色が無いせいで、
辺りの空気は夕陽の茜。
男と鰻の周りは茜。


もし、

嘘に色が付いていたなら。


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