見出し画像

YATTANE(中編2)【ショートショート】

(→シリーズ最初から読む場合はこちらから←)

会社での男の先輩、
佐々木豊(ユタカ)、長身。
名は体を表すのか、
180cmを超える長身と恵まれた体格。
36歳、現会社に勤務して八年目。
結婚しているが、夫婦仲は冷え切っている。

人間の口は緩む事がある。
言わなくていい事をふとした時にポロリと漏らす。
結婚の有無は社交話題の一つだが、
夫婦仲が冷え切っているとまで言うのは、
果たして社交話題の一つだろうか。

男が属する会社のチームは三人。
という事は男が入る前は二人のみ。
たった二人の環境が互いのプライバシーを絞り出し、
夫婦関係などはあっという間に知らせ合う。
男が入る前にその事に慣れていたのか、
佐々木がポロっと男に喋った。

「ウチは夫婦仲、冷え切ってるよ」
「えっ」

あまり言わなくてもいい話題、
というのは本当に言わなくても良い。
往々にして言われた相手が返答に困る上に、
会話として発展性が見込めない。

確かに、結婚の話を切り出したのは男の方だった。
もう一人の男の先輩、鰻も既婚者で夫婦仲はすこぶる良好、
二人してモンスターハンターというゲームにハマり、
地方でイベントがあれば夫婦仲よく遊びに行く。
それを聞いて未婚の男は心底羨ましかった。
ああ、俺にもそんな趣味の合った彼女が出来ないものか。

鰻を羨ましがっていた直後だったので仕方がない。
チームには三人しかいないので仕方がない。
男が佐々木に結婚の話題を振っても仕方がない。

会社のビルは三階建て、
三階がオフィスで二階と一階は倉庫。
男の属する販売チームは二階の隅に作業倉庫がある。
広さはおよそ四畳ほど。狭い。

次の現場の準備の為、
佐々木が男を作業倉庫に連れだした。
現場に持って行く道具は足りているか、
準備されたケーブルの量は足りているか。
はぁ、こういう確認仕事って本当にタルい。
そんな事を男が思っているとつい世間話も口にでる。
仕方がなかった。

「はぁ、鰻さん良いですよね奥さんがいて」
「仲いいらしいね」
「佐々木さんは結婚されてるんです?」
「うん」
「へーいいなー」
「でもウチは夫婦仲冷え切ってるよ」
「えっ」
「なんでもっと早く帰ってこれないのって怒られる」
「えーそんな……仕事だから仕方ないでしょ」
「うん、そうなんだよね。」
「判ってくれない感じですか」
「うん」

佐々木豊、36歳。
寡黙、悪く言えば口下手。
ついでに言うと怒るのも下手。

販売部は実働部隊と営業部隊からなるが、
たまにとんでもない案件を営業が取ってくる。
そんな案件をやっていると思わず頭に血が上り、
鰻などは何かの弾みに営業に怒鳴る。
男も実際にその光景を目にしていた。

佐々木が担当の現場でも酷いモノがあったが、
かなりストレスを受けている佐々木に男が、

「大丈夫ですか……?」

と心配して聞いても、ただ、

「ンフフ」

と笑うだけだった。
顔も笑顔をしっかり作っているので、
修羅場の現場と相まって一層不気味さが増す。
モアイ像の様な面長の顔に浮かぶ佐々木の笑顔は、
場の空気とのミスマッチで恐ろしさすらあった。

記憶はピース、
思考はパズル。
そんな佐々木の人柄と過去を組み立ててみると、
奥さんにも同様の態度を取っているのだろうと判る。
仕事の事で文句を言われてもきっとンフフと笑うのだろう。
いや、それは流石に愚弄し過ぎか。
それでも強く言い返せないでいるのだろう。
男にもそこまでは容易に察しがついた。

しかし可哀想な事だった。
男が属する会社はAV業界、
オーディオビジュアル業界と言われる。

ライブなどのイベントに機材を貸す事もあれば、
学校や新設の建物に機材を卸す事もある。

このどちらも時間が読みにくい。

ライブイベントでは前日のリハーサル時など、
演者が「納得いかないからもう一回」と言えば、
OKが出るまで延々とリハ時間が延長される。
泊まり込みになる事も多々ある。

新設の建物に機材を設置するのも厄介だ。
新築建物の作業工程なんてどこかで綻ぶもので、
基礎打ち、建築、内装まで終わってみれば、
工期がどんどん後ろにズレ込んでいた、なんて事は茶飯事。
ディスプレイやスピーカーを付けるのはそんな工程の最後、
必然的に全ての工期のシワ寄せが来るのも、最後。
それはAV業界にもしっかり降りかかる。

「最後が帳尻合わせるからなんとかなんだろ」

と延びに延ばされた時間の中、
かなりの突貫作業になる事も、やはり多々ある。
そんな現場で家に早く帰る事など出来るだろうか。

佐々木豊、気の毒な男。
温厚な気質、恵まれた体格。
ただ、仕事と嫁の相性だけが悪かった。

男が入社してから一年半。
新たに入った現場も長丁場だった。
朝の八時に現場に入り、二時に上がる。
昼の二時ではない、翌日の午前二時。
寝てるのか判らない睡眠時間を家で取り、
チームの三人ともフラフラになりながら現場に出ていた。

そんな現場もいよいよ佳境を迎え心身共に疲労もピーク。
帰りのハイエースでNACK5だけが喋る。
しかしパーソナリティーだけに喋らせるのは悪いと思ったのか、
疲れ切ってるだろうに健気に佐々木が喋り出した。

「鰻さん」
「ん」
「ウチ、ついに離婚する事になりました」
「ええ、そーなん?」
「はい」
「家どうすんの」
「今住んでるとこ引き払って、僕はなんか安いとこ探して、
 奥さんは実家に一旦戻るって言ってます」
「そうかー」
「ンフフ」

佐々木が笑う。
男はこのンフフと笑う佐々木の声を奇妙に思っていた。
煮え切らない、歯切れが悪い、
何より本心が読み取れない。
怒っているのか笑っているのか、
ンフフというだけの短い言葉は心の欠片も見せてくれない。

「もうずっと会話も無くて、家に帰っても」

佐々木が続ける、離婚の話を。

「会社に居る方がよっぽど気が楽で」
「ホントか?僕はいつも早く家に帰りたーいと思ってるで!
 はぁ今日も、凄くちかれたー」
「ンフフ」
「そんで、いつなん、本当に別れるの?」
「年末までには。
 もう一緒に正月迎える事、無理なんで」
「そうかぁ、お疲れ様」
「いえいえ。なんかようやく、
 ほったらかしにしていた事を整理できた感じです。」
「そっか、やったね!」

言葉はどこから来るのだろうか。
脳みそと言うただのタンパク質の塊からか。
それとも目には見えない崇高な『魂』とかいうモノからか。

男は言葉の発生源を疑った。鰻の言葉を疑った。
やったね、なんて、
よもや離婚をする者に対して贈る言葉ではない。
そこにいかな葛藤があるにせよ、
いかな苦闘があるにせよ、やったね、だと?
ハイエースの後部座席に座っていたのは男、
ハンドルを握るは鰻、助手席には佐々木という布陣。

佐々木が怒りのあまりに横の鰻を殴るのではないかと、
男は焦りで背中に汗がドッと噴き出た。

「ンフフ」

しかし、ンフフ。
佐々木の口からはンフフ。
フロントガラスの向こうには真夜中の高速道路。
ラジオはNACK5。夫婦の不倫の話をしてる。

「ンフフ。あの、鰻さん」
「ん?」
「もう一回、やったねって、言って貰って良いですか」
「んん?やったね!何度でも言ったるで。やったね!やったね!」
「ンフフ」

ハイエースの外は世界が寝静まる午前二時。
誰も彼もが夢の中、平穏な時間が支配する。

ハイエースの中は狂っていた。
離婚をするという佐々木に、やったねと返す鰻。
やったねと返されて笑う佐々木に、
追いやったねを続ける鰻。

ああ、そうか。
俺が山手線のつり革に助けて貰おうとしていた時、
確かに俺は狂っていた。判っていた。
つり革が小説のアイデアなんてくれる訳がない。
つり革は電車で倒れない為にあるものだ。
自分以外のつり革を握っている人間が皆偉く見えた。
スーツ姿の人間がつり革を持ってるのを見るだけで怖かった。
皆が皆、正しいつり革の使い方をしている。
俺だけが狂った使い方をしていると、
この世の人間全てに責められている様で、恐ろしかった。
狂っているのは自分だけなのだと、そう男は思っていた。

しかしこのハイエースの中で、男は悟る。
どんなに偉そうに見える人間でも、
どんなにまともに見える人間でも、
どんなにキッチリ働いている人間でも、

心の何処かは狂っているのだ。

「佐々木さん」
「うん?」
「あの、俺もやったねって、言って良いですか」
「いいよ、言って言って」
「や、やったね!」
「やったね!やったね!」
「やったねー!ヒーハー!!」
「ンフフ」

帰りの高速道路、午前二時。
ハイエースの中、男三人だけが人知れず狂っていた。
NACK5のラジオからは変わらず不倫の話題。
相談者の妻が見知らぬ男と密会しているらしかった。



(→続きはこちらから←)

お楽しみ頂けたでしょうか。もし貴方の貴重な資産からサポートを頂けるならもっと沢山のオハナシが作れるようになります。