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YATTANE(中編3)【ショートショート】

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就職してから後、
よく飲みの誘いが来るようになった。
男にだ。

まだ男が夢を成就させようとしていた時、
最初の一年目こそ友人達は男を誘っていたが、
二年目に入ってからは全く誘わなくなった。

そもそも何故人は酒を飲むのか。
飲んだ事があれば判る事だが、
楽しくなりたいからに違いない。

会う度に鬼気迫っていく形相の男は、
遂には酒の場に男は誘われなくなった。
それは友人達の英断と言える。
常に何かに緊張しているような人間と酒を飲んで、
それの何が面白いのか。

男が二年の夢追い生活に終止符を打ち、
遂に就職したと周囲に知れ渡るや否や、
多くの友人達が男を酒に誘った。
どの声を聞いても、「就職祝いだ」と謳う。

男も多少は浮かれて飲みの席に出向いていたが、
じきに誘われても出向かなくなる。
純粋に仕事の忙しさに飲まれたからだった。

現場に出た日は退勤が夜中。
終電を逃してタクシーで帰るのも稀じゃない。
その上、土日出勤も珍しくはない。
残業、休日手当で銀行残高だけがどんどん貯まり、
たまに取れる休日はほぼ寝て過ごす。
増えた貯金を使う機会はどんどん逃げ去り、
ごくたまに顔を出す飲み会で、

「この時位しか金使う機会無いから」

と多めに出す男だからか、
酒の誘い自体はひっきりなしだった。
それでも金遣いが給料に追いつかない。
どんどんと額を増す貯金通帳とは裏腹に、
男の身体には疲労が増々溜まるだけだった。

ある現場納めの日、
また友人から誘いが来た。
表参道で飲むから久しぶりに来いと言う。
聞けば日取りも久しぶりの休日に重なり、
男は重たい身体を外へと引っ張り出す事にした。

電車に乗り込み、
誰かの暖かさが残るつり革を掴み、
土曜だと言うのにどこか疲れている大人達の顔を覗く。
就職する前は電車の中の誰も彼もが敵に見えた。
しかしその敵達が今は憐れむべき同胞に見える。
皆も平日は仕事で大変なんだろ。
いや、実は俺もそうなんだ、働いてるんだよ。
そんな事を思っているうちに、
電車は男を表参道へと運ぶ。

アナウンスに急かされ下車、
エスカレーターで強引に上昇、
人波の流れに改札からはじき出されて、
スマホの経路案内に手を引かれて店に着く。
男にとっておよそ半年ぶりの飲みの席。
あっという間に、季節が二つが過ぎていた。

疲労は不思議と空気を読んでくれる。
店に着くまでは散々痛みや固さになって邪魔をしてくるのに、
店についていざ席に座ると、

「あら、じゃあアタシはこれにて御免」

と言わんばかりに大人しくなる。
どうぞ楽しんで下さいよと、
身体の何処かで小さくなってくれる。

きっとそれは集まった他の友人達も同じ事。
平日それぞれの仕事で疲労を溜めに貯めただろうに、
色とりどりの酒を手に乾杯と言う顔は笑顔だと言うのだから、
皆も崛起の読める疲労を飼いならしているらしい。

いざ始まった飲み会、
男にとっては半年ぶり。
久しぶり、元気だったかの定型文を皮切りに、
酒と会話を交互に口から繰り出す、繰り出す。
普段はケーブルと機材にまみれる男も、
この時ばかりはと仕事の事を忘れた。

だが性か。
働く社会人の性なのか、
誰かの口から仕事の話が出る。
いや、この前こんな事があって参っちゃったよ。
本当勘弁してほしいよなぁ、とため息交じりの愚痴。
それにつられて別の友人からも、
あぁ、そういうのあるある、ウチもさぁと、愚痴の連鎖。
それを聞いて男も大変だなと相槌を打ち、
思わず、

「いやウチも現場でさぁ」

なんて事を喋り出した。

「てな感じなんだよ」

と男がひとしきり話し終わる。
すると友人達も、

「そうだよねぇ、そう言う事あるよね」

と相槌をうち、
それを聞きながら男がグラスを傾ける。
カシスオレンジ、通った男の喉を冷やす。
息を吐きながらグラスを机に戻した時、
男はふと気が付いた。

あ、俺はあの時『仲間』じゃなかったんだな、と。

他の友人達が働いている中、
自分だけが働いてなかった。
そこに自分が納得出来る理由があるとしても、
友人達から見て男は無職と言う異質の存在だった。
何故なら他の全員は社会人として働いている。
肌の色が違うだけで人種という区分けをされるのに、
労働の有無で差別を受けない筈が無い。
会話の内容が噛み合う筈が無い。
仕事をしている人間達は仕事の話をするだろう。
自分は友人達にとって異質だった為に夢を追いかけた二年目、
声がかからなかったのだな。

グラスの中のカシオレだけが考え込む男に優しい。

男が何を思っても周囲が知る術は無く、
変わらず酒に酔わされ笑っている。
今はもう『仲間』に戻った男がそれを壊すのは無粋。
それを判って一瞬入り込んだ自分の心から抜け出して、
男はまた、酒の酔いへと自分を戻した。

話はすっかり仕事の失敗談になったらしかった。
友人達の口から代わる代わるに失敗談が語られる。
そのどれも深刻な物でなく、

「くだらねー!ぎゃはは」

と笑い飛ばせるようなものばかり。
そしてとある友人がまた別の失敗談を話した折に、
男の口からふいに、

「やったね」

という言葉が漏れた。

「え?」
「え?」
「やったねって、今言った(笑)」
「いや、やったねじゃねぇだろ(笑)」

言った男自身もビックリする。
あれ、俺そんな事言ったっけと、ハッとする男。
でも口から出た言葉はもう仕舞えない。
しまったと思いながらも男は自分の先輩、鰻の事を話した。

「へぇ、いいなぁ」

鰻の事を聞いた友人達から意外な言葉が返る。
誰も彼もが鰻の下で働く男を羨む言葉を返した。
それに思わず男も、

「いや、実際ムカつくもんだよ。
 こっちは失敗してんのにさ、
 それをやったね!って満面の笑みで返されんの。
 何度ぶん殴ってやりてぇと思った事か」

眉を歪めながら男は話して見せたが、
それでも友人達の言葉は止まなかった。

「いや、全然いいじゃん。
 世の中にはただ自分の機嫌が悪いだけで怒鳴る奴もいる。
 それに比べれば全然無害な良い先輩だよ」
「そうそう俺の先輩と交換して欲しいもんだわ」
「あー俺も今隠してる失敗、やったねって言われたい」
「何を隠してるんだよお前は」
「何しでかしたんだ、怒らないから言ってみなさい」
「アハハ」

羨む声が止まらない。
少し困惑する男の横で、
一人の友人がこう男に語りかけた。

「でもまぁ、良いんじゃない。
 言葉って周囲の人間にうつるもんでしょ。
 それがバカヤローとかこのクズめ、とかじゃなくてさ、
 それがやったね、なんて素敵だろ。
 しかも誰かの失敗を貶める事も無く。
 お前、いい先輩のもとで働けてるな」

隣の芝生は青いもの。
言葉は誰かにうつるもの。

この飲み会、
男の他に失敗談にやったねと言う者は一人としていなかった。

だが男がやったねと発したあと、
その後の失敗談談義でエピソードを聞く度に皆が皆、

「やったね!」
「やったね!」

と口にした。
男も一緒にやったね、と失敗を賞賛した。
男は少し照れ臭かった。
自分が思わず発した「やったね」を繰り返される事ではなく、
自分の先輩、鰻を羨ましいと言われている事が、

男は少し照れ臭かった。

店の中には落ち着いた照明とNat King Cole。

NACK5は今夜、
ハイエースでただ留守を静かに守っている。


※Nat King Cole(ナット・キング・コール)
アメリカのジャズピアニスト。1919生~1965没。
スウィング・ジャズ時代の傑物の一人。
ピアニストとしてだけでなく歌手としても活動した。
ヘビースモーカー。


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