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もう、背を追う者は無し【ショートショート】

刀研ぎ屋(かたなとぎや)、

は、聞こえはやたらと不細工だが、
まるっきり客が来ない訳ではない。
刀を腰に差したお侍様方が、

「石を買え」

とからかわれながらも、
途絶える事無くやってくる。

それで、
その刀研ぎ屋の中では何をやっているかというと、
そりゃあ勿論、刀を研いでいるには違い無いが、
砥石(といし)は一切使わない。
実のところ、石の一つも店には無い。
刀を研ぐのはただ一つ、それは女の背中だ。

今は静岡、昔は遠江と呼ばれる佐鳴湖(さなるこ)。
この湖で満月の晩に肩まで浸かると、
なんと背中で刃が研げるようになるらしい。

いつからそうなったかは知らないが、
なんでも、この湖に住まう神様の御利益だとか。
けれどもこの神様が男の神様らしく、
男が湖に入っても、ただ風邪を引くだけだとか。

背中で刃が研げるといっても、
指でつつけばぷにっと凹み、
普段は一見、何の変哲もない肌のよう。
それが刃が触れた所だけ固くなり、
しゃあ、しゃあと研げてしまう。

そんな背中の女達が居るのが、刀研ぎ屋。
けれどもこの店の中での商いは、
ただ女の背中で刀を研ぐだけではない。

お侍様が店に来ると、
一人、女があてがわれ、部屋へ連れられる。
部屋はまるきり風呂のような様相で、
そこで女は腰の物一つになり、うつ伏せになる。

で、誰が刀を研ぐのかと言う話だが、
店に研ぎ師が居る訳でも、他所から呼ぶ訳でもない。
店に来たお侍様ご自身が、女の背中で刀を研ぐのだ。

そりゃあ、お侍様は研ぎ師ではござんせんので、
慣れない手つきで、おっかなびっくり研ぎ始める。
指で触れば柔らかい女の背中だ、
刃でさくっと切れちまわないかと、
ゆっくりおっとり始めるのがいつもの事。
それが慣れてきて、いざしゃあ、しゃあと研げ始めると、
男の性には抗えぬか、今度は女の身体の方に目がいく。
いや、お侍様方の目は初めから女の身体にいっている。

刀一本、ぎらりと光る細い刀身。
刀研ぎは確かに研ぐ刀の様子を見るのが必須だが、
そんな狭い所しか眼に映らないものだろうか。

いや、そんな事は無い。人間の目は良く出来ている。
お侍様の目には白刃の下の女の肌が見えている。
うなじ、背中、乳房の横。上手い女は尻まで見せる。
思わずお侍様の手が刀から女の身体に移るや否や、

「もう御刀の方はよろしいですか。
 なれば、お武家様のモノも、お一つ研いでいかれませ」

と、女が男の股をまさぐり始めるのが、
この刀研ぎ屋のお約束。

とどのつまり、
刀研ぎ屋とはそういう店なわけで。

男とは一口に言ってもやはり十人十色。
平気な顔で女郎屋に入る図太い男、
もじもじして店の前も歩けない可愛い男、千差万別。

照れ屋で奥手な男達はどうにも一歩が踏み出せないが、
そこで刀研ぎ屋の出番と相成る。

ここはお客様の『刀』を研ぐお店で御座いますよ、
他の事は存じ上げませんよ、本当で御座います。
と看板をかかげ、

「そうか、刀を研ぐだけならば」

と顔を真っ赤にしたムッツリ様達を次々に暖簾の中に匿う。
いらっしゃいいらっしゃい、
どちら様も刀を研ぎに来ただけですよね、
そうで御座いますよね、さぁどうぞどうぞ、
奥でゆっくりお楽しみ……あいや、お研ぎ下さいませ。
と、まぁそういう商いで御座います。

けれど先にも申しました通り、
店に来るのはいずれも奥手な殿方ばかり。
顔を真っ赤にして刀を女の背中で滑らせ続けるばかりで、
女の方がしびれを切らして、

「お武家様、もうようございます、
 そんなに研いだら刃が無くなりますよ」

と声をかける事もしばしばとの噂。
それで仲間内で研ぎ屋通いがバレようものなら、

「なんだ、刀を研ぐなら石を買えば済むものを。
 俺が一つ、良い石を見立ててやろうか」

と先のからかいをされたりもする。
それでも男は通ってしまうので、
なんとも悲しい性だと言ってよい。

その遠江、佐鳴湖の近くのとある一軒家。
この一軒家が狭い、本当に狭い。
この狭い家の中で母一人、子一人が身を寄せ合って生きていた。
子供も口が母の乳から離れてもう久しいが、
一人残されると不安で貧乏ゆすりをする癖があった。

母はと言うと、一月に幾度か、
夜中に寝床を立ってこっそりと家から出る事があった。
子供は随分と耳ざとく、母が立つと必ず目が覚める。
最初の方こそ起きる母にどこに行くのかと泣いていたが、
その度に困る母を見て、いつからか寝たふりを覚えた。
そして一人寝床の中ではらはらと泣き、
遂には母が帰ってくるまで寝れないのが常だった。

そんなある日の晩、また母が寝床を立つ事があった。
母は母で子供を起こさぬようにとそろそろ動くが、
子供の耳が良すぎて結局起きてしまう。
けれど母を困らせまいと寝たふりを決め込み、
母はその顔を覗き、するりと家を出て行った。

その刹那、子供が寝床から飛び起き、
同じように家から忍び出た。
母の後を尾けるのである。

母が夜道を歩く後ろを陰から陰へ、
闇から闇へと隠れ尾き、いよいよ辿り着いたのはある館。
母が館へと入る為に小門を潜ろうとするが、
これを逃してはいけないと、いよいよ子供が躍り出た。
とっさに母の服の裾を掴んだは良いが、
駄目、か、戻って、か、なんと言えば良いのか判らない。
母もまさか子供がついてきているとは知らず、
思わず「えっ」と、小さく声が出た。

「お前、どうしたい、ついてきちゃったの」

この夜道を一人で返すのも忍びないが、
母が一言帰れるかい、と聞くと子供がひしと掴み返してきた。
母の眉間に寄った皺がぎゅうぎゅうになる。
諦めて子供を抱きかかえると、
そのまま一緒に小門をくぐって、館の中に入った。

「お前、ずいぶん重くなったね。
 もう、かあちゃん無理だよ」

そう言われて降ろされようとするので、
子供も聞き分け良く地面に立って歩いた。

館の玄関で母が声をかけると中から現れたのは、男。
頭はつるっぱげで、年も母よりかなり上であろう。
夜中にこんな男に会いに、母はなんのつもりだろうか。
子供がそう不安になり、片足をカタカタとゆすわせる。

「すいません、子供がついてきて」
「いい、いい。大丈夫。
 ぼうやの為に、寝床を用意しよう。そこで寝かせぇ」

館の中に招かれて母と子、途中までは一緒だったが、
ここに居ろ、と子供だけが暗い部屋に取り残されてしまった。
床にはふかふかの布団が敷かれてある。
家のぺちゃんこな寝床とは大違い。
けれども大人は判っていない。
夜道に隠れてまで母を追った子供が、
寝床があるだけで満足し、部屋に収まるだろうか。

一度は包まれた寝床で子供が目を開く。
夜道で慣らした忍び足で、
布団を抜けるも音も無く、
ふすまを流すも音も無く。

母はどこだ、母はどこだ。
この夜と言う忌々しい時間が幾度も隠してきた母を取り戻さんと、
館のあちらこちらを、小さな影が廻り回った。

どこもかしこも灯は落ちていたが、
ある一角、ちろちろと、弱々しい光が見える。
そこか、と子供が足を差すと、
いよいよお目当て、母の長い黒髪が見えるではないか。

しかし、どうした事か。
母は目の前に男が居ると言うのに服をすっかり脱いでしまい、
濡れる板場の上にうつ伏せになってしまった。

そして男はと言うと、鞘から刀をゆるゆると抜くではないか。
子供はその様が恐ろしいか、身が凍ったように動かせなかったが、
男がすっかり母の背中に覆いかぶさるよう動いたのを見ると、
思わず足が踏み込んで床板がギィ、と鳴ってしまった。

母も男も音で子供に気が付いた。
母は思わず身を起こし、
それを見た子供が駆け寄った。まるで、男から母を守るよう。

「いやぁ、違う違う」

察した男が手を横に振ると、
手に持つ刀と母を交互に指差し、

「これをな、サヨさんの背中で研がせてほしいんだよ」

とだけ言った。
母は子供にしきりに寝床に行くように促す。
しかし子供は離れようとしない。
すると男、

「何をしているのか知らないから、不安になる。
 何をしているのか見せれば、安心もするだろう」

と言う。
それを聞いた母が躊躇いを見せるもので、

「別に、やましい事をする訳じゃないでしょう」

と男が優しく言うと、
母はまた、濡れた板場の上にその身を横たわせた。

ほんのりと湯気が立つ桶ごと男が持つと湯を母にかけ、
男の手がまた別のの桶から水を掬いあげ、
刀の刃へするすると添わせた。

男が右手を柄、左手を刀の峰に当てて、
母の背中にゆっくりと近づける様を見て、
子供もいよいよ気が気じゃない。
思わず目を見開いて今にも男に飛び掛かる気配の子供を見て、

「こっち、こっちこい」

と男は敢えて近くに寄らせた。

「これをな、こう、すぅーっと、滑らせる。」

刀がまるで揺れる木枝の如く母の背中の上を動く。
前へ、後ろへ、後ろへ、前へ。
それに合わせて幽かに、しゃあ、しゃあという音が鳴り、
それま紛れもなく、刃と何か固いものが擦れている様な音だった。
母の背中はというと、血の一滴も出ず、
ただ刀をゆっくりと滑らすばかりだった。

「ぼうや、サンノガタ様を知ってるかい」

サンノガタ。
聞き慣れない響きが子供の首を横に振らす。
刀を見る目の端でその動きを察した男は、
御伽噺をするように子供に聞かせ始めた。
あたかも寝入りの子供をあやすかのような口ぶりだった。

「昔むかしな、
 尾張から、一人、女がこの遠江に逃げてきた。
 女には旦那が居たが、これがまた乱暴者ときた。
 何かにつけて文句を言って、
 女に殴る、蹴るを繰り返していた。酷いもんだろ。
 このままでは命が危ない。
 そう思った女は家から逃げたが、
 旦那が逃げた先まで追っかけてきて連れ戻し、
 前より酷く殴られた。
 もう逃げませんからと言って許されはしたが、
 それでも旦那は結局乱暴を止めない。
 耐えかねてもう一度女は逃げ出したが、
 逃げた先の町で、探しに来ている旦那を見つけた。
 青ざめた女はどんどん遠くへ逃げるが、
 行く先々の町へ必ず旦那も追ってくる。
 そうして尾張からこの遠江まで逃げてきたが、
 いよいよ逃げ疲れてしまった。
 すると、目の前に湖がある。
 憎い夫の手にかかる位ならここで死のう。
 そう思った女が湖の中に身を沈めると、
 湖の中から神様が現れた。それがサンノガタ様よ。
 サンノガタ様は女を助けると、死のうとした訳を問い、
 涙ながらに話す女から一切合切事情を聞いた。
 話を聞いたサンノガタ様は怒り狂い、
 酷い旦那だ、生かしておけぬ、と自らの鞘から刀を抜いた。
 それは名剣だったが、長らく使って無くて錆びててな。
 そこで女の服をひん剥き、砥石代わりに濡れた背中で研いで、
 準備万端、湖から飛んで出て行った。満月の事よ。
 女があっけにとられて佇んでいると、
 サンノガタ様が何かを手に掴んで戻ってきた。
 それが旦那の生首だった、という話よ。」

子供を脅かす様な口ぶりでは決してない、
ただ淡々と話すばかりの男の様子に、
子供もただ、大人しく聞き続けるばかり。

「サンノガタ様は、女の神様。
 巷じゃ男だと言われているが。
 女に贔屓するから男だと。
 だが、馬鹿どもが判ってない。
 女だから女の苦労がお判りになるのよ。
 それと、刀の神様ってのは昔、
 作った刀を全て女房である別の神様の背中で仕上げたらしい。
 女房の背中が一番よく研げる、と言ってな」
「おじさん」
「ん、眠くなったか」
「サンノガタ様に助けられると、
 背中で刀を研げるようになるの?」
「そうだよ」
「じゃあ、皆、サンノガタ様に誰かを殺して貰ったの?」

と子供が聞くと、男はぽつりと一言だけ。

「店に通う男共は呑気なものよ」

男は母の背中の上でずっと刀を滑らせていたが、
そう言うとぴたりと腕を止めた。

母の背中から刀を上げ、
布できっちりと水気を取ると、
懐に用意してあった紙を刃に当て、
当てられた紙はまるで、
最初からそうだったように二つに別れた。

「うん、
 やっぱり、サヨさんの背中は、よく研げる」

男は妖艶に輝く刀身を横から見つめ、
ただそう言うだけだった。


子供は物心つく時から父を知らない。母と二人だった。
父が何故居ないのかと聞いた事も無い。

恐らくこの先も母に聞く事は無いだろう。

寝たふりの如く、母を悲しませはしない。

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