見出し画像

あの日のように囁いて

今思えば、
カズミをからかった奴らは私が端から殴ってやればよかった。

私がカズミに初めて出会ったのは小学五年生の頃。
私がカズミのいる小学校に転校した五年生の頃。
その時既にあの子は相手の耳元で囁きながら話してた。
私が初めて会話する時も耳元でヒソヒソと囁かれ、
運悪く私が全てを聞き取れなかったから、

「え?なんて?」

と乱暴に聞き返してしまったのが悪かった。
私のその聞き方があの子の顔を曇らせた。
その後すぐだった、カズミの声の事を聞いたのは。

私の友人、カズミ。
声がバカでかい女の子、カズミ。
その最大声量、実に通常の十二倍。
とにかく声がバカでかい、鼓膜をやぶるのなんて朝飯前。

聞く所によるとカズミは生後七か月頃から声量の変化が表れ始め、
両親の鼓膜をぶち抜く事計107回。
幼少期には一度泣けば五軒先の家まで鳴り響き、
近隣から騒音の苦情を入れられる事数知れず。

このままでは天然拡声器として猛威を振るう人生だったが、
医者による特異体質の調査と両親の根気強い訓練により、
カズミは今の『囁くスタイル』の会話法を体得するに至った。
いや、というより、せざるを得なかった。
カズミは世間一般の人間が会話で放つ声量域での制御が難しかった。
一般の声量域で話そうとすると、
どうしても大きめの声量域までブレが出てしまう為に聞き手の鼓膜を痛めてしまう。

一般より小さめに、囁き声なら、音域が安定した。
だからカズミは相手の耳元に口を近づけ囁くように喋る。
カズミは誰も傷付けたくなかった、優しい子だった。

でも過去何人もの馬鹿が、

「え?もう一回言って?」

と言ってカズミをからかった。主に男が。
ちゃんと聞こえているにも関わらず。

学校では本当にそうやってからかう男が多かった。
女にもそういうタチの悪いのが居るには居たが、
圧倒的に男がカズミをからかう。
理由は簡単だ、カズミが可愛かったからだ。

カズミほどの可愛い女に顔を寄せられて耳元で囁かれてみろ。
女でも少し「おっ」、と思ってしまう程だ。
それで男が調子に乗って、カズミに少しでも長く近くて囁かれたくて、
何度も何度も聞き返すわけだ。愚かにも。

正直そういうのを見てて私は腹の中が煮えくり返っていた。
カズミはお前達の耳を傷つけたくなくてそういう喋り方をしているのに、
お前達は自分の下心を抑えもせずに、何してんだ。
カズミ、そのまま叫んじゃえよ、鼓膜ぶち破ってやれば良いのに。
そう心の中で毒づいているのが私だった。

中学に入って後、
私の知らないうちにカズミは一人の男に恋をしたようだった。

恋のお相手、姓は梅村、名はヨウイチ。
生真面目が服着てるような奴で、真面目が過ぎて時々冗談も通じない。
しかしその分誠実で、誰かを嫌な気分にする事はしようとしない、
それこそカズミに何度も聞き返してる様子なんて見た事も無かった。

そんなある日耳に入ってきた、聞き覚えのある声で問かえす声。
まさか?と思って首をぐりんと回してみると、
あの梅村がカズミに、

「ごめん、もう一回もう一回」

と首ごと耳を傾けていた。
それが梅村がカズミに問い返している初めての場面だった。
おや、珍しいなと思って見ていると、なんと、

「ほんとゴメン、もう一回」

と再度梅村が言うじゃないか。

梅村、まさか、おまえ。
見損なったぞ梅村、お前はそんな男じゃなかった筈だ。
そんじょそこらのつまらない男がするような真似して、
お前までカズミをからかうのか。
私の拳がぎゅううと握り込まれたが、
それはすぐに力が抜かれた。

聞き返されたカズミが口元を笑わせながら梅村の耳に囁き直したからだ。

私が見てきたカズミは二度も聞き返されると必ず顔を曇らせる。
眉間に皺が寄り、下唇が少しだけ内側に巻き込む。
それは相手に悪意が見て取れた場合も多分にあるが、
それ以上に過去そうやってからかわれ続けた経験が、無意識に表に出てしまうのだ。

にもかかわらず笑いながら囁き直すなんて、
カズミさん、ちょっとアナタ、
これはやりましたね?

「カズミ、見ちゃった」

その日の帰り道、私が出し抜けにそう言うと、

「えっ、何が」

と言うカズミ。

「梅村。」
「えっ」
「カズミに聞き返してた」
「あー見てたの。そうそう、珍しいよね」
「わざとだね」
「梅村君がってこと?私に?」
「違う、アンタよ。
 梅村が聞き返す位に声を絞って話したでしょ。
 だから梅村は聞き返したのよ、二回も。」
「そんな、なんで?たまたまよ」
「あの梅村が二回も聞き返すなんてありえない、
 あのクソ真面目君の梅村が、よ。
 あるとしたらカズミがわざと聞き取れない位小さく喋った。
 だって三回目に囁く時、アンタの口元笑ってたよ。」

私がそう言い終わった刹那、
スゥゥという風を切る音が聞こえた。
辺りの空気がカズミの肺に勢いよく捕まる音だった。
私は確かにそれを聞いたけれども、判断が遅かった。
まるで名探偵にでもなった気分で調子に乗った私が、

「聞き返されたのがイヤじゃなかったんだよ。
 いや、違うな。聞き返して欲しかったんでしょ。
 ちょっと梅村とイチャつきたくてさ。
 だからわざと聞こえないようにしゃべ  」

とまで喋ったところで、
私の鼓膜はカズミに破られた。恐らく、

もうやめて

とカズミは叫んだのだろう。
私はというと初めての鼓膜破りと、至近距離での直撃を受けた衝撃で気を失ってしまい、
その時のカズミの言葉は朧げにしか覚えていない。
気付いた時には病院のベッド上だった。

カズミの恥じらう心が加減を生んでくれたのか、
私の鼓膜にはそこまで大きな穴が空いた訳じゃなく、
聞こえが悪くなる程度で済む穴の開き方だった。
だが鼓膜の更に奥の色々な器官が思いもよらぬ衝撃を受けたため、
不肖ワタクシ、人生で初めての道路上失神とあいなりました。

ベッドの周りには私の両親とカズミの両親とカズミ。
私の両親は案外けろりとした顔だったが、
カズミ一家は揃ってこの世の終わりのような表情をぶら下げ、

「いつかはこういう事が起きると覚悟してました、
 今回の件は本当に申し訳なく―――」

などと、お偉いさんが謝罪会見をでもしてるような様相。
一通り会見が済んだと踏むと、私はカズミと二人きりにしてくれと言った。
二人きりになったカズミは今まで見た事も無い気まずそうな顔をしていた。
その顔に付いた可愛らしい唇が開いては閉まり、開いては閉まりを繰り返す。
カズミの気持ちがよく判る。
何を言って良いのか判らないんじゃないよね、
自分の声でまた私の鼓膜を破ってしまうかもしれないのが怖くて、
気を付ければそんな事は起きないんだろうけど、やった直後だから、
怖くて声が出せないんだよね、
大丈夫、全部が全部は判らないけど、なんとなくなら、判る。

「ごめんカズミ、私が悪かった。
 ちょっと調子乗っちゃってたね。
 なんか、言い方も良くなかったよね、
 ごめん、私が悪かったわ」

声を出せないままでいるが、
カズミの首が横に二回振る。

「いや、私が悪かった。
 だってカズミは嫌な事をやめてって言っただけでしょ。
 言わせたのは私でしょ。
 自分で鼓膜破ったようなもんよ。
 うちの親だって判ってるよ、私がなんかいらない事したんだって。
 だってカズミが叫んだのは、もうやめて、でしょ。
 あの近所の人間全てが、カズミがなんか嫌な事をきっとされたんだって、知ってるよ。」

伸びたカズミの薄白い手が私の手にそろりそろり重なって、
いつも触れる手より低いカズミの体温を知らせてくる。
いつもより低い分が、いつもより不安な分だと教えてくれる。

「それに私達、友達だから。今回の事は当たり前でしょ。
 だってされてイヤな事をイヤって言えないなんて、
 そんなの友達じゃないでしょ。
 友達だから、ちゃんとイヤって言ったんでしょ。そうでしょ。
 ごめんカズミ、私が悪かった。」

言葉は、確かに色んな事が伝えられる便利なものかも知れないけれど、
それが無くても伝えられる事はきっとある。それが大切な事であればあるほど。
私とカズミはどちらもそれ以上言葉を喋る事は無かったけれど、
そのまま二人、お互いを抱きしめあって暫く静かに泣いた。

それからというもの、
私とカズミは仲の良い関係を保って過ごした。
かの一件以来、カズミをからかう奴らもめっきり減った。
私の鼓膜をぶち破ったという実績が抑止力になったのか。
鼓膜破っただけじゃなくて気を失わせたのも大きいかもね、なんて私が言うと、
やだぁ、小さく照れてカズミが小突いてくるのがいつもの事。

でも、私はカズミをからかってた奴らが急になりを潜めた、その理由を確かめる事をしなかった。
怖かった。あの時、鼓膜が破れて正確な音質では聞き取れなかったカズミの悲鳴が、
もしかしたら私の想像以上に悲痛で、悲痛でたまらなくて、
それを聞いたからかい好き達も今後をちょっかいをかけないでおこうと思わせる位のものだとしたら、
友達に何を叫ばせてるんだろうって、それをさせたのは誰なのかって、

まだ好きな人に傷付けられる痛みも知らない私は、怖くて確かめる事が出来なかった。


お楽しみ頂けたでしょうか。もし貴方の貴重な資産からサポートを頂けるならもっと沢山のオハナシが作れるようになります。