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昔々ある山に二匹の化け狐が住んでいた。

春も終わりの夏の入り、
二匹は一つ化け勝負をしようと人里に降りた。
人間の女に化けて男を化かし、先に祝言まで上げた者の勝ち。
二匹が女に化けて道を練り歩いてみると何人もの男が振り返る。
手応えは上々、ではどの男を狙うかという段取りで片方の狐がこう言った。

「なんでもこの近辺に住む久次郎という男、大層女癖が悪くて女と聞けば婆まで構うらしい」
「はは、そんな奴を落としに行くのかい」
「そこまでの女好きなら相当脇が甘いに決まってる。
 取り入ってしまえば、後はわしの色香で巻いて終いよ」

ではな、早々に決着をつけてやる。
そう言うと腰をくねらせながらその狐は男を探しに行ってしまった。
残された方の狐、名を青虎。
早い者勝ちの勝負だが、男選びで下手は打てぬと冷静だった。
青虎がじっくり人里を西から東へ、北から南へ歩いた末に人里の外れまでやってきてしまった。
踵を返そうとしたが、ふと見ると家並みの外れに、小さな家が一つあるではないか。
佇まいの不思議な素朴さが青虎の好奇心に手招きする。
青虎が寄って見ればその家は実に小さい。
中に住めるのは無理なく一人、寄って二人、三人入ればすし詰めか。

青虎は人差し指の腹でゆっくり顎を撫でた。
もし、この家に住んでるのが男ならば好都合、稼ぎは相当細い筈。そんな甲斐性無しの雄を雌は構うまいよ。
雌に構われ慣れてない雄なんざ、わしがこの姿で押しかけ迫ればイチコロだろうさ。
勝利の算段をつけ終えたか、
口元に笑みを浮かべる青虎が家へと踏み出した。
空にはもう茜色の雲が流れていた。

「もし、どなたか」

青虎は家の中に呼びかけた。
けれども家の中から返事はない。
窓から中を覗けば誰も居ない。
家人の不在に青虎がため息を吐きかけた時、背中の方からふいに声がかかった。

「なんじゃあ、お主」

不意を突かれて少し肩が上がり、青虎が振り返ると一人の男が立っていた。
この家の主らしいが、その姿は意外だった。
男は体躯が良く、顔も悪くない青年ではないか。身なりとて酷く貧しいものではない。
思わず青虎は男に尋ねた。

「この家の方でしょうか」
「そうじゃが」
「こちらに、お一人でお住まいに?」
「いかにも、わし一人だけ」

家に人が似つかわしくない。
この青年が、この貧相な小屋に、独り住まいか。
青虎はそう思ったが、勝負の為に一先ず仕掛けてみようと試みた。

「私、旅の者でございます。
 今夜一晩、屋根を貸して頂ける場所を探しておりまして」
「町中に宿がある」
「いえ、路銀が底を突きてしまい、宿代も払えぬ有様で」
「それなら人助けが好きな友人の家を教えよう」
「いえいえ、実はわたくし、嫁ぎ先から離縁した身で、夫だった男は金持ちですが女遊びが激しく、
 長らく辛抱するも耐えかねて出てきた次第です。
 その御友人とやらも、裕福が故に人助けが好きなのでしょう。
 そう思うと憎らしい夫を思い出して辛いのです。御迷惑かと思いますがこちらでお世話に」
「だがわしは男の一人住まい。お主も女の一人旅であろう」
「ええ判っております。私は所詮夫に満足されず、他の女に手を付けられた醜女(しこめ)。
 こんな女を家に泊めたとあってはお前様の評判も悪くなるというもの」
「そうは言っておらぬではないか」
「ならば!一晩どうかこの醜女を憐れむと思って、どうか」

ええい、もう判った、判った。
そう言った男の声からは諦めが隠しきれない。
まんまと青虎は男の家に上がり込んだ。

あっちの首尾はどうだろうかと片方の狐を気にしつつ、
男に出された夕餉を見てみれば割と立派ではないか。
男の料理の手際の良さからきっと日頃の食事だろう。
この男、どうやら稼ぎは悪くないらしい。なら何故こんな小さな家に住む。
生来の知りたがり、青虎の口が我慢出来ない。

「おもしろいもので」
「なにがだ」
「頂いた夕餉も十分。
 家の中の物も、何が足りない訳じゃなし。
 もっと大きな家に住めるだけの銭は稼がれてるのでしょう。
 なぜこんな小さく狭い家にお住まいで」
「小さくて狭い家が好きでな」
「はぁ」

青虎の心に何かがひっかかる。
翌日、働きに出た男の後を青虎がこっそり追うと、問屋の荷運びをしていた。
肉が隆々と締まる男の身体から汗が流れる。
不真面目な働きぶりでは決して無い。
寧ろ見ていて気持ちが良い程の身のこなし、見事なり。
向かいの薬種問屋の娘も窓から何度も男の働きぶりを覗き見ていた。

「もっと町の中に住めば宜しいのに」

その日の夜、夕餉の支度をして男を待ち構えた青虎はそう言い放った。
町の噂によれば男は飴を子供に買い与えるだの病人に薬を買ってやるだの、
自分はこんな小屋に住んでおいて一体何様だ。
しかも場所は町の外れ。人と関わりたいのか疎まれたいのか、
住む場所と為す事がちぐはぐで、青虎は心中気持ち悪くて仕方ない。

「二日も泊めてやるとは言ってないが」

男が汁物をすすりながらこう言うと、
青虎の方も涼しい顔をして、

「いえ、どうせなら追い出されるまでは御厄介になろうかと」

と返した。

「一日で随分と図々しくなったもんだ」
「元々そういう性分でしてな。
 それにお前様の暮らしが不思議でなりませんの。
 貧乏かと思えば稼ぎはあり、他人と交わるくせに町の外れに住んでいる。
 お前を気に掛ける女子も居るのに、お気づきでないので。
 こんな狭い家では来る嫁も来なくなりますよ」
「もとより嫁は貰う気が無い。
 血筋柄そんなに長くは生きられん。」
「何を根拠に?」
「父も母も兄も胸の病で死に、わしも同じ定めよ。」
「胸の?」
「前にはもう少し広い家にも住んでいた。
 しかし見ろ、今はもうわし一人しかおらん。
 皆病に取られてしもうた。
 わしとていつ閻魔様の使いがやってくることか。」
「……死ぬる支度をなさっていると?」
「――この町の端、狭く小さい小屋。
 閻魔様の使いが見りゃ、気兼ねなくお仕事なさるさ」

それを聞いた青虎の頭に勝負の事が浮かんでくる。
これは狙いを変えるべきか否か。
この男、自分が近い内に死ぬると思うておる。
そんな男が、女と祝言を挙げる気を起こすかね。
そう思いあぐねている青虎の頭に、ふと閃きが灯った。

「おぬし、ワシと夫婦にならんか」
「なんだと?」
「まぁ聞け。一つ勝負といこう。
 お前様が死への恐れを忘れる位にワシが幸せにしてやったらワシの勝ち。出来なかったらお前様の勝ち」
「馬鹿な、恐れてなどおらぬ」
「嘘じゃな。一人で居ると考えてしまうだろう。
 いつ心の臓が悪くなるやもと。ゆえに働き、子供に飴をやり、病人を助けているのだろう。
 色んな事をすれば嫌な事を忘れるものだからの。
 しかしこの家は良くなかったな、中に居る時はどうしても一人になる。
 そこで、ワシがその時間に一緒に居て、要らぬ恐れを考えさせぬ」
「筋が通らぬ。その勝負、お主にもわしにも得が無い」
「あるとも!もしお前様が勝ち、死んで閻魔様の前に立ったなら、ワシに騙されたと言え。
 妻に幸せにするという約束を破られたと聞けば、さしもの閻魔様も同情し、贔屓で極楽に行かせるだろうよ」
「それは、お主には何の得がある」
「あるある。丁度ワシも長旅に疲れて腰を落ち着けたいと思っていた。
 それに変な男に捕まるのも、もう懲り懲りよ。
 そこでお前様と出会った。
 変な女癖もなく仕事も精を出し、困った人を放っておけぬ、だと。
 こんな良い男が、ほかに、何処に居るというのか!」
「いやしかし、」

囲炉裏の中の火が跳ねる、構って欲しい子供の様に。
だが男も青虎も、ただ互いの目を見つめるだけで他のものには構わない。
青虎に人の心を読む力はない。
その時男が何を思ったのかは判らなかった。
だが、

「こんな美人を嫁にしたら、他のモンに妬まれる」

と笑った男の顔が全てを語る。

「ははっ、
 それなら、狭い家が好きな女だったと言ってやれ」

と青虎も笑った。

それから祝言を挙げたのは二日後。
寺の御坊様に頼み、他に祝う客も無し、簡素な祝いだった。
青虎の祝言を知ったもう片方の狐はその日の夕方現れた。

「女狐め、こんなに早く勝負がつくとは。一体どうやった?」
「簡単な事よ、わしが幸せにしてやる、と言ってやった」
「相手の男は阿呆か?運が良かったな」
「そっちは結局どうなった?」
「ふん、あの男、
 わしがどれだけ構ってやっても他の女に浮気しよる。
 あの女好きは死ぬまで治らんだろうよ」
「はは、運が無かったようじゃの」
「はぁあ、暫く人間の男は見たくも無いわ」

そう言い残して負けた狐は山へと帰っていった。
勝負が決した今、青虎も人里に居る必要はない。
男と暮らし続ける義理も無い。
青虎は狐、人間の事情などどうでも良い。
だが男の一言が青虎を引き留めた。

「まさかわしが誰かと夫婦になるとはな。
 このまま死ぬと思っておった」

道端のスミレが美しかったか、
空を行く風が優しかったか。
その言葉を聞いた青虎はにっこり笑い、

「さぁ、ではいざ尋常に勝負。覚悟致せ」

と男の尻を軽く叩いた。
それからというもの青虎は良き妻だった。
笑いかけ元気づけ、くよくよすれば抱いて撫で、
男の心に死の恐怖が付け入る隙を与えない。
掃除も飯も手際良く、一月が経つ頃には男が、

「お主、本当にわしで良かったのか」

と尋ねて来る程だった。
男も男で素直な心をしていた。
笑いかければ笑い返し、励ませば奮い立ち、慰めれば顔を上げる。
打てば響く様が面白く、男も優しかったので青虎も己が狐である事を忘れたように男と暮らし続けた。

ある日に男が祝言の時に白色の服でも用意してやれば良かったと言ったので、
それを聞いた青虎もまんざらではなかった。

最早町の者達からも仲の良い夫婦と見られていた秋、
負けた狐が山から降りて夕刻に青虎達の家へ来た。

「いつまでごっこ遊びをしておる。
 さっさと山へと帰って来い。
 人間なんぞ相手に楽しみやがって、
 同じ化け狐として恥ずかしいわい」

そう言われては青虎も言葉に詰まる。
片方の狐を山に帰してこっそりと家に戻ると、
夕餉をつつきながら青虎がこんな事を言い出した。

「旅の途中で世話になった寺がある。
 優しい坊様ばかりで、お前様と夫婦になった事を伝えに行きたい。
 山の向こうの寺だで、行き来に数日かかるが」

それを聞いた男はそうかと頷き、
土産まで持たせて青虎を送り出した。
当然青虎の言った事は嘘。
人里を抜けて山に入った青虎はようやく狐へと戻った。

だがそれから七日も経てば青虎は男が気がかりで仕方ない。
少し様子でも、と山を下りようとしたのだが、
片方の狐に見つかり「何をしている」と咎められてしまった。
しかし山に入り十日目の朝、目を覚ますや否や青虎は山を駆け下りた。
かの男が他の女に構う夢を見たのだ。

空は雲一つない快晴。
青虎が女に化けて町の中を走っていると、
誰かが青虎を呼び止めた。もし、旦那様をお探しですか。
そう言われた青虎は息巻いて返事をする。
おうおういかにも、わしの夫はどこじゃ。

「先日から寺に」

そう言われた青虎がすっ飛んで行くと、
寺では葬式の準備が行われていた。
あっけにとられる青虎に気付いて住職が話しかける。

「昨日の昼、
 荷運びの最中急に胸を掴み、倒れてそのまま。
 残念な事でありもうす」

男の葬儀の後、
青虎は誰も待たない家に帰った。
狭い筈の家だが、二人が一人になっただけで嫌に広い。

いや、どうって事は無い。
たかが人が一人死んだだけ。
たかが人が、化かした相手が、死んだだけ。

せめての義理と思い家の中を片付けていると、
部屋の隅に見慣れぬ物が転がっている。
近寄り手に取るとそれは見事な白色の反物であった。
ああ、と青虎の口からため息が漏れて、手が布を撫で、物思う。
男は今頃閻魔の前に立っているであろう。

「妻に嘘を吐かれた、とでも言っている頃かのう。
 そう、妻に――」

ふと青虎の手が止まり、
その耳に雨の音が聞こえてきた。

外は今、晴天知らずの雨が降る。

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