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指輪に指をかじらせて【ショートショート】
遺伝とは恐ろしいもので、
田畑家の次女、恵美は母親に良く似た。
巻き爪になりにくい平爪だけ遺伝すればいいものの、
世の中は甘くないとばかりに他の体質まで遺伝した。
肥満である。
母の好恵は今やトドと見まごうばかりの体格だが、
本人はそれに悲観する事は一切無い。
笑いの絶えない明るい気性で、
家族で気落ちしている者がいれば近くで笑って明るくする。
本当に人生とはうまくいかない。
遺伝するなら性格までセットで遺伝したかった。
そう度々思って頬杖を突くのは次女の恵美。
父の啓介は根暗で心配性で自虐気味。
その性格が恵美には脈々と受け継がれて、
母の肥満体質と最悪のコンボを生み出している。
肥満は悪い訳ではない。
肥満が醜い訳ではない。
人によってはそれを美しいとするし、
地域によってはそれを美人とする。
しかし父啓介の血がそれを許さない。
小学校、中学校まではやせ型の父の血が濃かったのか、
恵美の身体は寧ろやせ型の部類だったが、
高校の末期から母の血がソロソロと足音を殺してやってきた。
いや、目覚めたと言った方が良いのか。
元々同じ体の中に流れていた血なのだ。
母の好恵はマイペースなもので、
きっと血もマイペースなのだろう。
高校になってやっと目覚め、
よいこらしょと本気を出し始めたに違いない。
後に次女の恵美はそう語っている。
初めは腹だった。
パンツの上に乗る肉が増えてきた。
次は二の腕、ふくらはぎ。
決定的には指の肉。
母、好恵の指は見事なもので、
雪国で育って霜腫れになったのかと思う程の肉の蓄えがある。
薬指にかかった結婚指輪の前後もぎゅうぎゅうで、
よもや指を切り落とさないと外れそうにない。
「アタシお父さんの事が大好きだからね、
もう絶対離婚しないわ!
って気持ちがこうやって指の肉になっちゃってるのよ!
あっはっは!」
娘達が母の指の肉の凄さを指摘した時にはそんな言葉が聞こえたが、
安心して欲しい、人体にそんな器用なシステムは無い。
ただの肥満でついた贅肉である。
その時は笑っていた恵美もいよいよ笑えなくなってきた。
まだ結婚指輪もはまってないのに、
自分の指が母の様になってきたからだ。
しかし心のどこかで安心している恵美。
それは一重に長女の愛子の存在に因る。
恵美より四歳年上の愛子はいつも四年先を生きていた。
四年早く受験を迎え、
四年早く就職を果たした。
愛子も母譲りの血の目覚めによって、
四年早く肥満に悩まされていた訳で、
次第にブクブクと肉を蓄える姉を見て恵美はゾッとしたものだ。
確かに姉愛子もトド寸前の見事な体格になった事はあったが、
それがある時を境にシュルシュルとスリムになっていった。
それを見て恵美はある仮説を立てる。
最初は父の血が強かったのが母の血が強くなり肥満に、
しかしまた父の血が盛り返してスリム体質になったのではないか?
人生は九回裏ツーアウトから逆転サヨナラホームラン。
肥満と痩せのシーソーゲーム。
これはきっと私もそうなるに違いない。
と、思っていたのだが。
姉が痩せ始めた年頃を過ぎても一向に痩せる兆しが見えてこない。
これは一体どうした事か。
恵美は神を呪った。
神様、ああ神様。
もしかして依怙贔屓(えこひいき)をなさっているのですか。
あの姉だけ痩せる血をお与えになって、
私にはこのまま、トドになって東京湾を泳げと?
まだ結婚指輪もはめてないのに、
もう薬指のお肉はミチミチで除去手術が必要な程で御座います。
嗚呼神様、嗚呼神様!
どうか私の体内に眠る父の血をどうか奮起させて下さい!
愛と憎しみは紙一重。
恨みと祈りが入り混じり、
羨望の眼差しで姉の身体を眺める日が続いた。
しかし遂にある事に気が付く。
姉の右手の人差し指だ。
ちょくちょく付いたり取れたりしているものがある。
それが青い指輪だった。
「おねーちゃん、その指輪なに?」
ある日恵美が姉に尋ねる。
するとどうだ、
「これ?アタシのダイエット秘密兵器」
というではないか。
それを聞いて恵美はおったまげた。
ダ、ダ、ダイエット秘密兵器だと!?
すわ、姉が痩せていたのは体質ではなかったのか。
いや確かに食後のランニングは小まめにやってるし、
間食も滅多にしない。
風呂に入る前は腹筋相当やってて腹肉バキバキだけど、
いや、そんな事よりも秘密兵器だと!?
「え なにどういう事なの、
付けてるだけで痩せるの!?」
「そんな事ない。
でもこれを付けてるとダイエット頑張れるの。
だからちょっとヤバいって時に必ずつける」
姉の言葉が謎を呼ぶ。
青い指輪に仕込まれてるのは催眠術か、
はたまた特殊超音波か。
「それ!アタシにも貸して!」
どんな仕組みかは判らぬが効果があるなら全て良し。
飢狼のように姉に食いつく恵美の目が夏の稲妻の如く血走る。
「アンタが付けても効果無いって」
「どうしてあるよ絶対!」
「ないない」
「あるある!」
「ない」
「ある!」
「ある」
「ない! ん?」
「そうそう、ないから」
「いやあるある!」
「あーもーうっとうしい!
あのね、この指輪はね」
と左足に縋りつく恵美を見下ろしながら、
姉の愛子が事の全てを語り出した。
愛子も高校から始まる母の血の目覚めにより、
長らく肥満に悩まされる日々が始まっていた。
痩せたくても世の中には誘惑が多い。
美味しお菓子に旨い料理。
幸せを感じながら先人達を恨む器用さを発揮しつつ、
なかなか痩せられないまま大学生を迎える。
そこで出会ったのがあるスタイルの良い一人の男だった。
彼は温厚で優しく、誰とも分け隔てない性格は素晴らしく、
告白などろくにした事が無かった愛子は勇気の貯蓄を満額おろし、
めでたくお付き合いするまでに至った。
しかしだ。
彼と一緒に大学や街中を歩くようになり、
一人の時よりも更に人の目が気になり始める。
誰も彼もがスラリとした彼の横をあるくトドを笑ってるのではないか。
凄い、異色の組み合わせのカップルだね、と言ってるのではないか。
太っている人を馬鹿にするつもりはない。
しかし私が今この身体で彼の横に立つ事を、
私自身が許せない。
私が私を許せない。
立ちたい姿で彼の横に立つ。
そう決意した愛子の努力は凄まじく、
見事かつてのスラリとした体格を取り戻す。
恵美が「父の血が目覚めた」と思ったのは、
無論ただの思い込みである。姉の努力を度外視していた。
そうこうして愛子も男もお互い社会人になり、
いよいよ結婚も、という段取りで彼の方からこんな言葉が飛び出る。
「ごめん、子供が出来たんだ、別れよう」
子供って、え?私は……妊娠してないし、
君が?妊娠したの?
「まさかそんな映画みたいな。
君とは別の人が妊娠したの」
人とは恐ろしいものである。
温厚で優しく誰にでも分け隔てない、
そんな素晴らしい性格だと思っていた彼の内面は真っ黒だった。
いや、ただ恋愛の魔力で愛子が盲目になっていただけか。
全ては無情、
彼は優しさも愛情の一かけらも残さず去り、
愛子にはただ痩せた体と一つの指輪だけが残った。
そこまで語った姉が恵美にこう語りかける。
「お姉ちゃんね、怖かったの。
あいつへの怒りでやけ食いしてまたブクブク太って、
そんな私を見てあいつに笑わせる結末になるのが一番怖かった。
だからこの指輪だけは絶対に捨てずにおこうって。
付け続けて太ってきたら私の指の肉をギチギチに噛んで、
その痛みでこの体型を維持して、
絶対にアイツに笑われる様な体型にだけは戻るまいって。
だから太りそうになったらこの指輪を痛くても指にはめるの」
そこまで聞いて恵美は納得がいった。
確かに自分が付けても意味がない、
姉と同じ効果は得られない。
だって自分はそんな男に捨てられてないし、
そんな身を焦がす様な怒りに震えた事も無い。
思えば姉が凄い形相で家に帰ってきた日があった。
怖くて何も聞けなかったけどそういう事だったのか。
でもお姉ちゃん、そんなダイエット悲しいよ。
そんな事続ける限り、そのクソ男の事ずっと思い出すでしょう。
もうその指輪捨てた方が良いよ。
恵美が愛しい姉に妹としての精一杯の心の内を吐こうとした。
「それでね、まだ続きがあるの。
この話を聞かせた奴がいるの。
マイコっていう大学時代の親友なんだけど、
そいつがちょっと見せてって言うから指輪を外して渡したら、
いきなりポーイって捨てて。
私もなにすんの!って言ったんだけど、
そのまま車に押し込まれてモールに連れてかれてさ。
五百円だったかな、これかったの。」
手を表に裏にヒラヒラと。
恵美の目の前で愛子が手をクルクルさせる。
「そんな男の事はもうすっかり忘れろ、
これはアタシからプレゼント。
別にアンタが太ってようが痩せてようが気にしないし、
例えアンタがトドになって東京湾を泳いでも、
アタシはずっと友達だから。
でももしその体型を維持したくて頑張りたいなら、
私はずっと応援するよ。
くじけそうになったらこの指輪を見て思い出して。
男の顔じゃない、アタシの顔を思い出して。
がんばれ!はい、今念を込めたからもう大丈夫!って。
そう言ってね……いやぁ、あの時ゃ泣いたよ。」
一安心だ。
恵美は安心した。
良かった、もうずっと前に姉にそんな事を言ってくれる人が居て。
そうか、
お姉ちゃんのダイエットの秘訣は良い友達か。
それは今まで聞いた事がないや。
と、恵美は諦めにもにた爽快感を覚えた。
「よしお姉ちゃん、
チップスター買いに行こう!高いやつ!
あとプライドポテトのコンソメ!」
「アンタ私の話聞いてた?」
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