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墓場寄席 前編

対(つい)。

右と左、もしくは上と下、その他もろもろ。

中心とした位置を挟んで二つ物があれば、
それを対と人間は呼ぶらしいが、
それを美しいかブサイクかと論議するなどは、
また幾分ややこしい話になる。

人体の対と言えば。
目、耳、鼻の穴が二つずつ。
手足が合わせて四本、
両の指はニ十本。
外側の肉を剥げば肺や骨にも話は及ぶが、
今回は外から見える部分のみで勘弁願いたい。

いざ外に目を向け肌に風を受けてみれば、
涼しさがやんわりと訪れ始めた秋の入り、夏のすぼみ。

大権現様(徳川家康の事)が天下を平定して二百余年、
木々に囲まれた寺の境内にも、
対の揃った身体の幼い子供達が戯れる。

二本の手で身体を叩き、
二本の足で駆けまわり、
二つの眼で相手を追って、今日は何の遊びだろうか。
鬼ごっこの様なただの追いかけっこの様な。
子供の思い付きは時に大人の考えをひょいと越え、
不思議な楽しさに今日も身を任せているようなのだが、
その輪から弾かれている小さいのが、一人。
境内の隅の階段にぽつんと座り、
対の揃った子供達が騒ぐのを見ていた。

境内で動き回る子供はどれもこれも対の揃った身体であったが、
この子供は違って、目が揃っていなかった。
片方、右目が不自由なのである。

寺の和尚によると、ある冬の夜、
どこからか何かの声がすると思い探しに行くと、
寺の門の入り口に随分体の冷えた赤子が置き捨てられていたという。
見たところ産まれたてであった。
周りを見ても、親の様な人影はおろか、狐の一匹も居ない。
育てる余裕も無く困り果てたあげく、

「どうかこの子をお願いします」

と、そんな苦汁の末に託しに来たのだろうが、
親は本当に『置いた』だけ、だったのだろう。

すぐに見つかるように足をつねるだの、少し身体をゆするだの、
そうしたら赤ん坊がすぐに泣き声をあげ、
まだ体から熱の逃げないうちに見つけられる。
しかし置いた後に自分が見つけられるのを恐れてか、
ただ音も無く赤子を門柱の根元に添え、
逃げるように黙って闇夜に去って行く親の残像が和尚には見えた。

まだ、死なぬ程には温いか?
赤子を包む布の間に和尚が手を差し入れてみると、
夜の闇に隠れていた赤子の顔に指が触れ、
和尚はハッとなった。
赤子の右の目が、何かに握られたように潰れていたのである。

生まれつきか、
もしやこれを理由に親は子供を手放したのか。

そう思いやった和尚は大変不憫に思い、
その赤子を寺で育て始めたのだった。

他の小坊主に混じり、
赤子は一つ二つと歳を重ね、
ある時から二つの足で走り回り、
更には物を喋る年頃まで大きくなった。
和尚の説法にも耳を傾け、聞いた事をよく覚える聡い子で、
和尚にも様々な事を尋ね聴いていたが、
その中でも和尚の顔を曇らせる質問が一つあった。
それが「どうして私の右目は潰れているのですか」であった。

実のところ、
この寺に修行等で住む年若い小坊主はさして多くなかった。
寺の中では誰も潰れた右目をからかったり悪く言う事はなかったが、
寺の外から遊びに入ってくる子供達は訳が違う。

寺の広い境内を目当てに遊びに来る子供達は潰れた目を見ると、

「にぎり目、にぎり目やい」

とこの子供をいじめ、遊びの輪に入れず、
寺の小坊主たちも口には出さずとも、
他の子供の雰囲気に飲まれて悪い扱いをしてしまっていた。

子供の方も馬鹿ではないので、
自分の潰れた目が原因でいじめられてると悟る。
理不尽に与えられた不満は心の内に降り積もり、
潰れた目が元に戻る訳がないと判るが故に、
つい偉い和尚様に尋ねてしまうのだった。
どうしてこの目は潰れているのですか、と。

「人にはそれぞれ与えられた定めがある」

と和尚は子供に都度言い聞かせたが、

「その定めとは何ですか」

と返される度に、

「それはお釈迦様のみが知る事なのだよ」

と決まり文句を言う他無かった。
和尚にも判っていた、この問答が何の役にも立たない事を。
子供にも判っていた、この問答がただの慰めだと言う事を。

この地域の目の不自由な者は瞼がくぼんでいるのが多かったが、
この子供は誰かにぐっと握られたように割れ目が縦に入っており、
その周りも爛れたよう皺になっていた。
口さがない大人などはそれを見て、

「生まれてくる際に鬼にでも握られたのかいの」

等と言って、
それを聞いてしまった子供達が更に悪乗りして、からかう。
にぎり目、にぎり目、鬼に握られた、にぎり目。
鬼に握られたから母ちゃんもお前を捨てたんだ、と。
子供の単純さというのは冷酷なものだった。

和尚は寺の小坊主達には口を酸っぱくして口悪く言わぬよう諭したが、
外から来る子供達はまるで弱い者いじめが目当ての様に、
何度和尚が潰れた目を悪く言わぬよう叱ってもからかい続ける。

そう言う事もあり、
外から子供が来て境内が賑やかになる時には、
この子供は決まって一人で居た。
誰が自分の悪口を言う人間の輪の中に居たいだろうか。
他の子供達が大勢で遊ぶのは心底楽しそうであったが、
この子供は離れた所からそれを眺めるしかなかった。

子供らしい甲高い声を上げながら境内で子供らの姿を見ながら、
もずくのような黒い物が心に蠢く子供はこう思うのである。

どうやらこの世は『揃っている』方が偉いらしい。
足が二つ、手が二つ、耳が二つに目が二つ。
身体の右と左に同じものがくっついてさえいれば、
多少の不細工でも『揃ってない』奴よりは偉いらしい。
たった一つ、右目の形が狂ってるだけで、
ろくに説法も覚えられない馬鹿より立場が劣るらしい。
ちくしょう、と唇を噛みしめたかったが、
これ以上体の何処かが『不揃い』にならぬよう、
『にぎり目』の子供はただ奥歯をぎゅうぎゅうに噛みしめた。

目玉が一つ足りないだけで、
この子供が外から受ける仕打ちは実に哀れなものだったが、
その中でも一人、この子供が来るのを待ち侘びる外の者が居た。
それがシノスケだった。

シノスケというのはこの一帯に名を馳せる大問屋の三男坊で、
良い歳ではあったが働くのはそこそこに、
あちこちで遊び回る近所では有名な親不孝。
そのシノスケの好物が噺家(はなしか)で、
どこそこの小屋や大道で落語が始まると聞けば飛んで行き、
聞き覚えた噺を自ら仲間内で立派に披露する程であった。

そのシノスケが、寺にもふらりとやってくる。

「えぇ、
 和尚の許しを頂ければぁ、
 こちらにて毎度ばかばかしいお話をさせて頂きたく……」

気取られぬように寺の境内に入り込んだシノスケが、
今度は寺中に響き渡る大声でそう言い始めるのが毎度の事。
それまで騒ぎ遊んでいた子供達が我先にと突っ走る。
無論、シノスケのもとに、である。遅れてはならないのだ。
「和尚の許し」などと言ってはいるが、
その許しを得た事が今まであっただろうか。
許しも何も貰わないうちにシノスケが話し始めてしまうのが常で、
噺の出だしを聞き逃すまいと子供達は急いで駆け付けねばならなかった。
そうして子供達が集まりきったあと、
群れの後ろに忍ぶように『にぎり目』が加わるのだった。

シノスケは親不孝者だが気の良い男だった。差別をしなかった。
自分の話を聞きに来るならどんな相手でも顔色を変えず、
思いっきり顔を崩しておどけたり、笑ったり、
さながら本職の噺家のように覚えた噺を力の限り語って聞かせた。

それが毎度面白いので子供達はシノスケの声を聞くや飛んでくる。
子供達もシノスケの話に夢中になって腹を抱えて笑っていては、
最後尾に付ける『にぎり目』になどに構う暇など無かった。
シノスケの前には誰も等しく話を聞いて笑うただの子供で居られた。

『にぎり目』にとってシノスケは尊敬に値する存在だった。

和尚さんが寺の坊主を集めて説法をするとしても、
どこか皆、腰重げに堂の中に集まってくる。

しかしシノスケはどうだ。
みんなみんな、文字通りすっ飛んで集まってくるのだ。
それに、説法の時みたいにいびきの一つも聞こえてこない。
皆シノスケの動きも見逃さまいと、目をかっぴらいて話を聞く。
世間じゃ親不孝だ何だと言われているが、
実はこの男、とても凄い人物ではないのか。
だって、話しを聞いた子供達が一人残らず笑い崩れるのだから。

こう思っているのは自分だけでは無い筈、
と、にぎり目は思っている。
寺に遊びに来たガキ大将やお調子者の子供が、
シノスケを真似て噺を披露しようとするのだ。

なんで真似をしようとするのか。
そんなの、憧れてるからに決まってるんだ。
取るに足らないと思っている相手の真似を、
あんなに一生懸命するもんか。

ところどころあやふやでも真似がしたくて境内で噺の真似をする子供達。
それを遠目で見ながら同じ下りを静かに呟いて追うにぎり目。
すると、いつしかある事に気付く。
遠目で見る子供達は覚えきれずに言いよどむ部分も、
自分は全て覚えて間違いなく言い切ることが出来るのだ。
それを偉ぶって子供達の輪に言いに行く事はしなかったが、
にぎり目はシノスケから聞いた噺を暇さえあれば呟くようになっていた。

雑巾がけ、
境内の掃除、
飯の時間ですら頭の中で繰り返すシノスケの噺。
更には夜中寝床について寝るまでの間も呟くようになり、
遂には同室の兄弟弟子達から叱られてしまう程になった。
仕方の無い事だ、夜は寝る時間。
そこに誰かが呟いてては五月蠅くて仕方ない。

或る晩、にぎり目は寝てしまいたかったが、
頭の中をシノスケの話が延々と巡り巡り、
いつまで経っても寝られない。
同室の坊主達は一人残らず寝息を立てている。
寝られないならいっその事口ずさんでしまいたいが、
起こして拳骨を喰らってしまうのは勘弁だ。

仕方ない、と一人寝床を抜け出し本堂の階段に腰を下ろしてみる。
そこで一人、シノスケから聞いた噺をポツリポツリと呟いてみるも、
思いの外寂しさがにぎり目の心に押し寄せてきた。
やっぱり、一人ぼっちで喋っているからつまらない。
聞いてくれて、笑ってくれる相手がいるから話す方も楽しいんだ。
でも、こんな片目が鬼に握られた子供の話を誰が聞くって言うんだ。

秋の夜は意外と優しくなかった。
虫達のひそひそ声は響いていたが、
そのどれも、にぎり目の話何ぞ聞いちゃいない。
誰も彼もが恋模様に夢中な有様。
夜の闇世の中、やはりにぎり目は一人だった。

「ならば、よ」

一つ思いついたにぎり目はかかとを上げて階段を後にした。
向かった先は本堂の裏側、
普段はあまり寄り付かない、夜の墓場。

「んん、あーあー……えぇ、
 和尚の許しを頂ければぁ、
 こちらにて毎度ばかばかしいお話をさせて頂きたく……」

そう前口上を済ませると、にぎり目は語り始めた。
夜の墓場のど真ん中。
聞き手は墓石、ではなく、
そこに眠る亡者達。
どちら様も墓の中でお暇ならば、
ここはお一つお聞きになって。

「我々の方でよく、御大名のウワサというものを申し上げます。
 ええ、御大名と江戸っ子とはあまり仲が良く御座いません。
 色んな悪口を言うもので、その中の一つで御座いますが――」

するすると言葉が出てくる。
近くで聞くのは虫と亡者だけ。

これなら宜しいと、
にぎり目の声が、いつもより大きくなっていく。
自分だけが聞き取れる位に呟いていてもしょうがない、
何せ、今夜は『聞かせて』いるのだから。

「――これがなかなか馬に乗ってられない。
 それで思わず殿様が馬から降りると、
 あぁ~~っと、思わず声が――」

一つ目の盛り上がり所で、
にぎり目の声に演技がかかる。
そこで、気のせいだろうか、
ふふっと、誰かの笑い声の様なものが聞こえた。

おっと、誰かが起きてきてしまったか?
そう思ってにぎり目が墓場の入り口を振り返ったが、
いや、どこに誰も居やしない。
相変わらず、墓場にはにぎり目一人だけ、あ、いや、これは失礼、
にぎり目と、亡者の皆様だけの貸し切りの舞台。

「……空耳か?」

とにぎり目が首を返す。
気分は徐々に乗り始めているんだ、
ここで辞めては興が冷めて寝付きも悪くなっちまうよ。

「――それで、殿様が言う訳です――」

噺が山場を越え、流れが整い、
さあ、いよいよ話のオチだぞ、とにぎり目の声も張り切った。

「おい、このサンマ、いずこで仕入れたか?
 は、日本橋は魚河岸でございます。
 魚河岸!?それはいかん、サンマは、目黒に限る。

では、御後が宜しいようで――」

いつもなら、一人呟くだけの虚しい噺。
一人思い出すだけの、寂しい噺。

憧れのシノスケの口調をなぞらえ、
今宵はお客も居るのでと、少し張り切った。

するとどうだ。
やはり聞こえてくるではないか。
夜の墓場のそこや、あそこから、
ふふ、ふふ、や、
くっく、くくっ、と、
思わず吹き出している笑い声が聞こえる。

いやしかし待て、ここは墓場、夜の墓場。
生きているのは自分だけ、居るとすれば、夜盗の類か。
いや生きているならまだいいか、笑っているのが亡者なら――。

気付けばにぎり目は全身汗がたらたら、
いよいよ吸う息が苦しくなって、
ひぇえ、と声を上げて墓場から弾かれるように飛び出し、
ドタドタと足音を荒げて寝床の中に飛び込んだ。

「おい何だぁ、うるさいぞ!」

目を覚ました兄弟子がそう𠮟りつけるが、
にぎり目は「でた、でたぁ!」というのが精一杯。

「便所で何か出たか?
 そら仏さんも化けて小便くらい出しにもくるだろ、
 いいから静かに、寝ろっ!」

そんな兄弟子の嫌味のかかった冗談も右から左、
にぎり目は布団を深く被ってぶるぶると震えていた。

耳には墓場で聞こえた笑い声が、残り続けていた。

※後編は、明日また同じ時間に。
 31日の19時から20時の間に更新です。

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