キスは何色【ショートショート】
ショートケーキは緑色だった。
唐揚げは赤色、
めんたいこは青色、
ゴーヤは黄色、
お母さんのカレーは輝く。
世の中には色んな人間がいるようで、
鼻から吸った空気で匂いが判るのは普通だが、
匂いと『色』が関連して知覚する人間がいるらしい。
なんともお洒落ではないか。
薔薇の香りを嗅いだら赤だとか、
雨の匂いを感じたら青だとか。
まるで映画のような世界を体験できそうで、
正直かなり羨ましい。
視覚は知覚の七割以上を占めると言われている。
脳の中でも相当幅を利かせているんだろうか。
色彩感覚が凄いと他の知覚部位に接触しているのかも知れない。
何はともあれ匂いと色、なんとも聞こえの良い事だ。
打って変わってこっちは迷惑なだけ。
甘いのは緑、
しょっぱいのは赤、
辛いのは青色、
苦味は黄色。
舌で何かの味を感じる度に、
目の前の世界に色が飛ぶ、弾ける。
自分は気が付けば味覚と色が繋がった人生を用意された。
考えてもみて欲しい、
ポップコーンを食べる度に目の前が赤になったら、
視界不良でおちおち映画も見てられない。
誕生日でケーキを食べれば、
目の前に緑色が飛び交い友達の顔も見えにくい。
それだけではない、
『不味い』と『美味い』も影響が出る。
口に入れて不味い!と思った瞬間、
目の前は真っ暗になる。
一回調理実習でパンケーキを食べた時、
一瞬にして目の前が真っ暗になった。
びっくりして身体を硬直させていると、
「なんだよ、その漫画みたいなリアクション」
という声が聞こえてくる。
パンケーキを作った真田の声だった。
いや、違う。なんだこのパンケーキ。
パンケーキにあるまじき塩辛さを感じる。
一体何を入れたと真田に問いただしたところ、
「塩!普通の味じゃない方が面白いと思って!」
と抜かすが、いや、面白いとかそういうのではない。
人間の脳味噌とは面白いもので味にも予想がある。
これは甘いだろうなとか、これは辛いだろうな、とか。
それを裏切られると脳がビックリ仰天して、
『不味い』一色になるのだった。
無論逆の事も起こる。
母の作ってくれるカレーはいつも凄かった。
一口食べると目の前の彩度が上がり、
二口食べれば世界が輝きだす。
食べきる頃には、この世は全くもって美しい。
母の作る料理は凄かった。
カレーだけではない。
ハンバーグ、卵焼き、ラザニア。
夕食の度に世界が美しさを誇り見せつけに来る。
だが思春期だろうか、反抗期だろうか。
ある日を境に母の料理を食べても何も輝かなくなった。
突如変わった味覚の世界にこちらも戸惑いを感じる。
あれ、おかしい。美しい世界たちはどこへ行った。
小言が五月蠅い母でも出してくれる料理は世界一なのに、
その料理までもがただ色が飛ぶだけになってるじゃないか。
頭の中で様々な予測が乱れ飛ぶ。
その中の一つが心に突き刺さり、
どうやら味覚だけが色に反映される訳ではないと気が付いた。
思春期の終わりか、反抗期の終わりか。
その頃になってようやく母の料理に輝きが戻ったが、
昔ほどの世界を見せてくれる訳ではなかった。
母とは色々と事を起こした。
様々な記憶が頭の中で幅を利かせ、
美しい世界の邪魔をしているのかも知れない。
脳科学の専門家ではないので詳細は判らず、
思春期の後悔を胸に美しい世界を名残惜しんだ。
だがあるものを口にしてその世界が蘇る時がきた。
人生で初めて彼女が出来たのだ。
初めてのキスだ。
舌までねじ込まれた。
目を閉じていた筈なのに、
見えてない筈の世界が弾けた。
世界が語りかける。
やはり世の中は美しいだろう、と。
嗚呼、世界は美しい。
それから数えきれない程のキスをして、
幾度となく世界の美しさを目の当たりにし、
鼓動を打つ心臓にさえ感謝をする日々を送っていた。
が、
ある日街中で付き合っている彼女を見た。
隣には誰かが寄り添って歩いている。
自分ではない別の男だった。
相手は年上、随分と大人ではないか。
こちらはまだ高校生だ、不純異性なんたらではないのか。
すわ、何事と思い忍ぶように後をつけると、
二人は随分色彩がドキツいラブホテルへと入るではないか。
二人の姿は見えなくなった。
ラブホテルへ入ったからか。
いや違う。
目の前が真っ暗になったからだ。
胃の中の納めた食物が逆流し、
我いざ先にと口から躍り出てくる。
これまで感じた事の無い不味さに、
あっという間に目の前が真っ暗になるだけでなく、
背中に走る地獄のような冷たさ、
目玉が零れ落ちそうになるほど涙が流れ、
口の中の不味い味と言ったら、なかった。
「どうした、大丈夫か?」
という声が聞こえた気がする。
きっと通りすがりの誰かだろう。
自分は吐き気で身動きできない中である事を悟っていた。
母のカレーである。
昔はあんなに世界を輝かせてくれたのに、
反抗期を通してその世界はくすんで歪んだ。
今回もきっとそうだろう。
恐らくこの先あんなに世界が輝く事はないだろう。
どんな相手とキスをしても。
きっと今日の事を思い出す。
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