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「忘れた」は裏返し【ショートショート】

子供の頃はよく「忘れた」。

ハーモニカが初めての「忘れた」。
それからどんどん「忘れた」。

習字道具、
はさみ、
のり、
リコーダーと連なり、
更には数学の教科書、
国語辞典、
和英辞典、
挙げ句の果てには水泳ゴーグル。
あの日は少し目が痛かった。

若い頃は色んな物を忘れて、
その度に「忘れた」と言ってきた。
若い日の「忘れた」は物だった。


「ねぇ、今だから聞くけどさ。」

友人が結婚した。
ただの友人じゃない、男友達。
一番の男友達で一番仲が良かった。
でもそう思ってたのは私だけだったのかもしれない。
だって彼は私じゃない他の女と結婚したんだもの。
それとも一番仲が良いのは私なのに他の女と結婚したのか。
だとしたらほとほと結婚とは理解できない。
だから理解する為にはこう思うのが一番容易い。

彼が一番仲の良い女友達は私じゃなかった。

私も29。
いよいよ結婚を親に急かされる。
急かすから、なんなの。
結婚するのは私なのよ。
代わりにお母さんが結婚するって言うの?
違うでしょ?結婚するのは私。
じゃあ、結婚って急いだら出来るものなの?
何も考えずに執り行ってあっという間に離婚するのが結婚なら、
私は生涯独身に甘んじていたい所存です。

「ねぇ、今だから聞くけどさ。
 大学の一番最後の方、付き合ってたでしょ?」
「誰と?」
「ノブ。」

結婚式場のテーブルは軒並み丸い。
その円卓に大学時代の友人達が座り、
ライトが消えてケーキ入刀を皆が見守る中、
私の隣の悪友がそう囁いてきた。

「付き合ってないよ。」

ノブは本名で書き連ねると柿崎信彦になる。
あだ名はノブ。私の一番の男友達。
そして本日の新郎。
めでたい。

「私達全員あんたらが付き合ってるものと思ってたよ。」
「えー?」

新郎新婦がナイフをケーキにめり込ませる。
しかし踏み込みが浅いかケーキの息の根が止まらない。

「だってアンタの部屋で飲み会やって、
 いつも最後まで残ったのはノブだったからさ、
 私たち、なんでノブだけ残るんだろうって思ってた」
「そうだっけ?私いつも酔ってて」

忘れた。

「で、それから噂になったんだよー。
 卒業旅行の時も凄く仲良かったし。」
「別に普通じゃなかった?」
「いやだって、夕飯のおかずの交換とか、
 あんた普通しないでしょ?」
「えー?そんな事やったっけ?」

忘れたよ。

「…でもまぁ、めでたいね。」
「うん、めでたいよ。
 結婚は、いつだってめでたい。」

私も29だ。
色んな事を忘れた。

飲み会で最後までアタシの部屋に残るのはノブだなんて、
そんな事は忘れた。

卒業旅行でおかずの交換?
それも忘れた。

でも知ってる?
卒業旅行でアタシとノブが一番後ろから歩いていた時、
いつも手をつないでたんだ。
忘れたけどね。

アタシの部屋で飲み会する時も、
一番最初にノブがきて、それで最初にキスしてた。
それも忘れた。

アタシ大学の時は結局最後まで彼氏を作らなかった。
でも、処女じゃなかった。
初めての相手になってくれたのはノブだった。
忘れたけど。

セックスでの初めての相手はとても重要と言われてるけど、
本当にその通りだと思う。
ノブが初めての相手で本当に良かった。
彼氏彼女じゃなかったけど、
ノブは良いセックスを教えてくれた。
恐らく初めての相手がノブじゃなかったら、
今の私のセックス観はありえない。
ま、

忘れたけど。

子供の頃、忘れたのは『物』ばかりだった。
それらを忘れた時に初めて『忘れた』事に気がついて、
そして初めて「忘れた」と口にしてた。

でも今は違う。
「忘れた」というのは過去ばかり。
しかも、忘れる前に「忘れた」と言う。
要するに本当は覚えているんだ。

大人が言う「忘れた」なんてみんな嘘。
忘れた過去なんて、絶対「忘れた」なんて言いっこない。
「そんな事はなかった」か「それは嘘だ」と言うのが大人。
自分の非を認めるような「忘れた」という言葉なんて、
よほど自分に都合が悪くないと言わないのが大人で、
悲しい事に、私もそんな大人に。
なってしまったね。

「きれいだね。」
「うん。」

私、ノブの事を一番の友人だと思ってた。
恋人にならなくても、とてもノブの事が大切で、
だから想いが関係を貫いて肌も合わせたんだと思った。
私は彼の事を信頼していて、
彼も私の事を信頼しているのが伝わってきていた。

でも、

私達が大学を卒業して住む場所が離れてノブに彼女が出来て、
なんか、心のどこかで私はノブが彼女と別れて、
なぜか私と付き合う筋書きになるだろうと変な事を思っていた。

事実、変だった。

なにせそうなる要素がこの世の何処にもなかったんだもの。
そして、目の前の光景は当然の成り行き。
ノブは付き合っていた彼女と結婚した。
私は彼女の声すら知らないまま結婚式場に来た。
初めて聞いた彼女の声は、
私よりも可愛く聞こえた。
少し、ほっとした。

「……ノブの事、好きじゃなかったの?」

式のあとに最後の質問がやってきた。
私の隣に座った悪友の口からだった。

「好き、かどうかは解らない。
 それって恋愛のことでしょ?
 だったらアタシ、解らない。
 友人としては好きだった。
 とても大切だったし、守りたいとも思った。
 でも、もう忘れた。」

だからもう聞かないで

もう「忘れた」なんて言いたくないもの

だって

忘れられない程大切なんだから

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