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聞こえないから人一倍頑張らなきゃという袋小路

皆さん、こんにちは!
岩尾です。

9月に小学校の難聴学級の6年生に、難聴者向けのキャリア学習講座をやらせてもらいました。
難聴学級は、「自立」という授業がありまして、その中でやらせてもらいました。

その年間を通しての自立活動のまとめの発表を卒業の前にやったようでして、その資料を送ってもらいました。

そこには、この1年間取り組んだ成果が書かれていました。
そして、周りの先生から見た印象の変化なども教えてもらいました。

そもそも、この講座をやらせてもらったのは、対象の子が、大きなポテンシャルを持っているにもかかわらず、不安感が見え隠れし、自信の無さから消極的な様子が見られ、自分のことをあいまいにするところもあり、そこを変えたいという先生の思いからでした。

この講座の後、ここで学んだことを踏まえて、職場体験にも行ったようです。
そこでの様子は、学んだことを踏まえて、職場体験という未知の場でしっかりとい活かせていました。

講座から半年、
周りの先生からも、自分と正面から向き合い、相手とも逃げずに向き合っている姿勢を感じるようになったり、堂々としていたり、自分から口に出して伝えることが多くなったと言われるようになったとのことです。

僕が関わったのは、たった1日。
3コマだけです。

そこでやったことは、
・働くとはどういうことか?
・自分の持ち味を知る
・自分の聞こえを知る
の3つです。

自分の聞こえを知ることについては、自分の聞こえはどのぐらい聞こえないのか、相手にわかりやすく伝えられるように。
そして、聞こえないから、こうしてほしいとお願いをしていいんだよ。
相手は聞こえないからどうしたらいいかってわからない。
だから、お願いしていいし、お願いした方がお互いにとっていいんだよ
という話をしました。

本人も、講座後の感想では、
・聞こえの説明で困っていたので、伝え方がわかってよかった。
・お願いしていいんだと思った
と言っていました。

実は、最近、大人になった難聴の方が子ども時代を振り返ってどうだったのかを聞く機会が結構ありました。

すごく共通していることが多く、そして、僕が推測して提唱していたことと同じでした。

子どもが言う大丈夫は、大丈夫じゃない

難聴の子は、聞こえた経験がありません。

相手の言っていることがわからなくても、だからどうすればいいかがわからないんです。

そして、
ミスをする。
ルールがわからない。
勉強がわからない。

と、なると、
それは、聞こえてないからなのですが、
本人は、自分の努力が足りないからだと思ってしまうケースがよくあります。

それは、周りが、「あなたは聞こえないから人一倍頑張らなきゃ」と言っていることも関わっているような気がします。

これは、悪気はないのはわかりますが、
こう言われると、聞こえるように努力しなきゃと思ってしまうのではないでしょうか?
でも、聞こえないのを、いくら努力しても聞こえるようにはなりません。

それで、いくらやってもできない自分をダメな人間だと思ってしまうこともあります。
そういう負の連鎖に巻き込まれていることが非常に多かったんだろうなと、体験談を聞くうちに思うようになりました。


もう一つ。

「聞こえる?」
という言葉。

これが困ったという話も聞きました。

難聴当事者が言うには、
「音は聞こえるけど、言葉としてはわからない」
ということです。
だから、何と返答したらいいかわからない。

これは、僕の娘にも聞きましたけど、
「聞こえる?」と聞くと、
「聞こえる」と答えます。

でも、
「なんて言ってるか言葉はわかる?」と聞くと、
「なんて言ってるかはわからない」と言いました。

小学生だと、「聞こえる?」と聞かれると、音はするのがわかるので、聞こえると答えてしまいます。
すると、
「じゃあ、いいじゃないか」
「じゃあ頑張れ」
と返ってくるんです。

その時、子どもながらに、
「え?これでいいの?頑張らなきゃいけないの?」
「一体、どうしたらいいの?」
と、わからなくなってしまいます。

いえ、わからないのが当たり前です。
なぜなら、どんなに努力したって、聞こえないものは聞こえるようにならないからです。

子どもも、それはわかります。
どうにもならないことはわかります。
だから、努力してるフリをするしかなくなる。
何の意味もないことです。

「聞こえないから、何倍も頑張ろう」
という言葉は、子どもにとっては実に惨い結果を招いてしまいます。

聞こえないものを聞こえるように努力することは無意味です。
できないからです。

でも、聞こえやすい環境をつくることはできます。
聞こえやすいように、読み取りやすいようにお願いすることはできます。
やるべきはこれなんです。

このことを教えてくれる人がいないと、難聴児はどうすればいいのかわからず、自分を責めるか諦めてしまう。

でも、ほんの少しのきっかけがあるだけで変われるんです。

今回の話も、たった1日、3コマだけの講座で、劇的な変化がありました。
もちろん、講座後の先生のフォローあってのことです。

いろんなポイントがあると思いますが、今回は、
・自分の聞こえってこんな感じなんだとわかったこと。
これによって、相手に伝えやすくなりました。
自分があいまいではなく、はっきりしてきました。

・お願いしていいんだということ
これによって、自信の無さや逃げが解消されました。


段差がズレた戸って、動きにくいですよね。
無理やり動かそうとすると更に無理な形になってしまいには動かなくなる。

段差をカチッとはめれば、戸はスムーズに動きます。
本来の動きができるのです。

難聴の小学生には、この段差をカチッとはめることが必要です。

ズレたままだと、小学生は抜けられたとしても、いずれ動かなくなります。

たった1日、3コマでも、正しいきっかけをつくれば、本来の自分に戻れるんです。

そして、この時は、この難聴学級の子が在籍する交流クラスにも講座をしました。
これも効果がありました。

交流クラスの子たちが正しい理解を得たこともそうですが、本人もクラスのみんなが理解していってくれているのが嬉しかったとも言われていました。

うちの娘もそうでしたし、他の難聴の子も同じです。
「話してくれて嬉しかった」と言っています。

「そっとしておいてほしい」
と思う子もいるんじゃないか。

ごもっともだと思います。

でも、これって、子どもの思いでしょうか?
もしかしたら、親の思いかもしれません。

もちろん、聞こえないことで多々嫌なことがあったとしたら、そっとしておいてほしいと思うかもしれません。
でも、難聴の正しい理解を知ってもらうことは、多くの当事者は嬉しいんじゃないでしょうか?

そっとしておいてほしい、そっとしておいた方がいいだろうというのは、親の思い込みなのかもしれませんね。

難聴理解が広がらないのは、ここも大きな要因の一つだと思います。
まず、家族がオープンであることです。
聞こえないことは悪いことでもなんでもありません。
ちょっと協力してもらえれば上手くコミュニケーションできます。

Twitterで、車いすに乗ったワンちゃんの動画がありました。
そのワンちゃんは、1匹だけで動いてます。
段差のところに来たら、人間の顔を見まくるんです。
そしたら、誰かが段差を上げてくれます。
上げてもらったら、また自由に動き回ります。
段差に来たらまた人を見まくります。

自分ではできないからお願いする。
お願いされた方も別に嫌とかではない。
ほんのわずかな手間をかけるだけ。
自分が加勢した犬が、楽しく走り回ってるのを見ると、何だか微笑ましい気持ちにもなるはずです。

これが、普通の、自然なサイクルだと思うのです。
聞こえないためのフォローのお願いも、自然で、普通のことなんです。

これらは、些細なことかもしれません。
でも、ここがこじれたために大きく大変なことになっているのが現実です。

子どもの言う大丈夫は、大丈夫ではない。
音が聞こえているからいいではなく、言葉が読み取れるよう環境を整えることが大事です。

かけはしは、ここを丁寧に広げていきます。
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