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聞こえないことを思い知らされる、聞こえないことが大きすぎる

皆さん、こんにちは!
岩尾です。

ドラマsilent、かけはしも取材協力をしましたが、昨日、第10話でした。

冒頭のタイトルは、ドラマの中で出てきた、僕の中でのキーワードです。

主人公の想は、中途失聴した後、昔の彼女紬と再会し、また会うようになった。
紬の方は、聞こえなくなった想に対して、聞こえない「だけ」で、何も変わらない想のことが好きで、ずっと一緒にいたい。

でも、想にとっては、聞こえないことが「大きすぎる」。
一緒にいると辛くなる。
聞こえないことを思い知らされる。

先天性難聴の奈々も、昔惹かれ合った春尾への手紙に、「自分とは違うと思い知って、辛くなっただけ」とも書かれていました。
それは、手話通訳ができると春尾と、手話通訳ができない自分を比べてしまったから。

僕は当事者ではないので、推し量るしかできませんが、娘のことを学校などと話す中で、聞こえないことを思い知らされることはあります。

それは、当事者が思うそれとはもちろん違いますが、やはり、軽く見られているということを思い知らされることがあります。

どんなに親身になってくれていても、ふとしたことで優先順位をつけられて片付けられてしまう。

車いすを使っている子が、車いすを取り上げられて這って歩いていたら、仕方ないと片づけるでしょうか?手を貸さないでそのまま見るだけでいられるでしょうか?
親が、「その場合は手を貸してやってくれませんか」と頼んでも、「お父さんの気持ちは重々わかりますがすみません」と言うでしょうか?

決まり文句なのかもしれませんが、親の気持ちなんてどうでもいいのです。
見てほしいのは、考えてほしいのは子どものことなのです。
本人のことなのです。

そこが軽いのでそういう言葉になるんだろうと思います。

これが、難聴の大きな課題だと思います。

社会が難聴を軽く見ている現状があります。

どなたかが、「この社会は聞こえる人前提で作られている」と言われていました。
それは確かにその通りだと思います。
でも、世の中には聞こえない人もいるので、聞こえない人も生活しやすいシステムは作る必要があると思います。
この視点が長いこと抜け落ちているというのを本当に痛感します。

聞こえなくても生活しやすいシステムが作られていたら・・・

ドラマの中の想も、もう少し違う思いになれたのではないかと思います。
奈々も、手話通訳ができる春尾を見て、辛いとは思わなかったかもしれません。

学校でも、もっと対応が変わってくるはずだと思います。

別に聞こえないことを重くみてほしいと言っているわけではありません。
聞こえないことを、普通に、自然に捉えて、じゃあどうやってコミュニケーションとろうか?と一緒に考えて、やりやすいやり方をやっていくだけでいいのです。
そのやり方は、いろいろとうまくいかなかったり、工夫が必要なこともあるでしょうが、まずは、どうするか一緒に考えてくれるだけでいいのです。

これは、そんなに難しいことでしょうか?
僕はそうは思いませんが、今は、なぜか優先順位の下位の方に追いやられるケースが目立ちます。

例えばマスクですが、今は仕方ないでしょうか?

聞こえる人は仕方ないで済むかもしれませんが、聞こえない人にとってはコミュニケーションが取れなくなるのです。
コミュニケーションがとれなかったら、人生が終わると言っても過言ではありません。
コミュニケーションを取らずに3年過ごしてみてください。
過ごせるでしょうか?
できないはずです。

聞こえないことを軽く見ているわけではないかもしれませんが、それでも日常を過ごしている難聴者を見て、大丈夫だと思ってしまうのかもしれません。

配慮がなくてもマスクだらけでも、難聴者は生活をしていますから、「大丈夫そう」だと思ってしまうのかもしれません。
目に見えて、手で這って歩くような姿ではないため、軽く見てしまうのかもしれません。

でも、コミュニケーションって、生きていく上で最も重要なことの一つです。
ここを、ちょっとの工夫と協力があれば、コミュニケーションが取れるようになるんです。

実は、そんなに大それたことをしなければいけないわけではありません。
もちろん、制度的なものは大きく変えていかなければいけないこともありますが、まずは小さなことからできることがあります。

だから僕は発信し続けますし、何度でも言うべきことは言います。
もちろん、言い方は大切ですが。
時に怒りまくってしまうこともありますけど、そんな時でも、かけはしのモットーである、明るく前向きにを思い出して伝えていきたいと思います。

そして、もちろん僕一人、かけはし2人だけが言い続けても世界は変わりません。
一緒に歩いてくれる人たちと、この世界を変えていきたいと思っています。
そうすれば、聞こえようが聞こえまいが、普通に、好きな人と一緒にいれるようになるんじゃないのかなと思います。

データでは、日本には1440万人の難聴者がいるとのことです。
おそらく、もっと多いはずです。
そして、その家族もいます。
となると、4000万人、5000万人ぐらい関係者はいるかもしれません。
これだけの人数が声を上げれば、間違いなく世界は変わるはずです。

ぜひ、共感いただけるあなたと一緒に変えていきたいと思っています。

難聴者の「学ぶ」「働く」を応援する社会づくりのクラウドファンディング
12/23(金)10:00スタート

公開後URL
https://readyfor.jp/projects/nancho_kakehashi


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