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聞こえない子はかわいそうな子なのか?

皆さん、こんにちは。岩尾です。

今日は、
“聞こえない子はかわいそうな子なのか?”
について、お話したいと思います。

ちなみに、僕には現在小1の先天性感音難聴の娘がいます。

今まで難聴の人と関わったことがなければ、
「お子さんは聞こえていません」
と、診断されたとき、多くの人が動揺すると思います。
ショックを受ける人も多くいるでしょう。

そして、僕の様に知識がなく、「でも補聴器つければ聞こえるんでしょ。大したことはないよ」と思う人もいるでしょう。
そんな人も、インターネット上で情報を集めていくと、僕と同じように目の前が真っ暗になる人もいるかもしれません。

「音や声が聞こえず、かわいそうだ」
それまでに難聴の人との関りがなければ、おそらく、多くの人が一度は思うのではないかと思います。

誤解を恐れずに言うなら、これは正常な反応だと思うのです。
良い悪いではなくですね。

しかし、聞こえない子がかわいそうかというと・・・

決してそんなことはありません。
ただ、当事者ではない僕が言うのはどうなのかなというところはあります。

言えるとしたら、家族として、行きたい方向に持っていくことはできますよということでしょうか。
あとは、難聴と診断されてから得る情報にも大きく左右されるかなと思います。

情報については、個人の努力で何とかするのではなく、関係機関が整備してほしいところではありますが。

要は、聞こえないことをどう捉え、今からどうしていくのか?
そして、特別な人ではなく、普通の聞こえない人たちのロールモデルが見えてくれば、「かわいそう」という感情はなくなっていくはずなのです。

では、なぜこのことを取り上げたのかと言いますと、
「聞こえなくてかわいそうだ」という感情を親が持ったままでいると、親子関係もうまくいかなくなりがちですし、本人のアイデンティティも安定しないということになるからです。

特に母親の感情としては、自分のせいなのでは?という部分が重くのしかかってしまい、「かわいそうなことをしてしまった」と思ってしまうこともあるかもしれません。

しかし、これは誰のせいでもなく、遺伝子の組合せの結果なので、誰に責任があるという問題ではありません。
病気による場合もありますが、それも誰かの責任というわけではありません。

そもそも、「責任」という考え方は、悪いことをした人に向けられるものです。
聞こえないことは、大変なことはもちろんありますが、「悪いこと」ではありません。

いや、悪いことだと、最初は思ってしまう人も多いと思います。

僕も、聞こえるなら聞こえた方がいいよなとは正直思います。
だからといって、聞こえない娘の状況を悪いとは思っていません。

今はですね。

当時は・・・状況は悪いと・・・思ってましたね・・・
気が滅入るネット記事を何件も読みましたからね(苦笑)

でも今は違います。

これが娘なんだから、娘は娘のままで楽しく生きていってくれればいいし、我が家の娘なら必ずできると信じています。

聞こえるに越したことはないよなという思いはありつつ、聞こえないのが娘です。
今から聞こえるようになっても、更に聞こえなくなっても、大好きな娘には変わりありません。

聞こえない子どもをそのまま大好きでいること。

これができると、親子の信頼関係もグッと回り出しますし、本人のアイデンティティも安定してきます。

ちなみに、聞こえない子どもをそのまま大好きでいることは、補聴器をつけたり人工内耳をつけたりしないことではありません。

聞こえない⇒だから補聴器をつける
聞こえない⇒だから人工内耳にする
聞こえない⇒だから手話を母語にする

どの選択でも、聞こえない子どもをそのまま大好きでいることができます。

聞こえない子どもをそのまま大好きでいるなら、補聴器や人工内耳をつけるのはおかしいと思いますか?

では、視力が悪くなった子どもにメガネをかけさせたら、目の悪い子どもをそのまま大好きでいることにならない・・・なんてことになりますか?

誰もそんなこと思わないですよね?

そして、聞こえない子どもをそのまま大好きでいるということは、「聞こえないこと」をどう捉えているかにもよると思います。

もちろん子どものことは好きなんだけど、「聞こえないこと」に対して、対処できていないと感じていると、「申し訳ない」という感情が湧いたりすることもあります。
「申し訳ない」ということは、「聞こえないこと」を良くないことだと捉えてしまっていることになります。

この子がどのようにコミュニケーションをとれるようになるのか、イメージがわかない。
親として、コミュニケーションを取れるようにしてあげたい。しなければならない。
でも、果たしてできるのか?どうなるのか?よくわからない。
そこが見えないので、「聞こえないこと」をまだ良くないこととしてしか捉えられない。

こういう状況だと、時折、子どものことをかわいそうだと強く思うこともあるでしょうし、「ごめんね」と言ってしまうこともあるかもしれません。

ちなみに、難聴の子が親に言われて一番困ることの一つが、「ごめんと謝られること」のようです。


では、聞こえないことの捉え方を変えるにはどうすればいいのか?

焦点を当てる場所を変えるんです。

難聴は、「聞こえない」「聞こえづらい」という特性があります。

これを、良い悪いではなく、特性として捉えて、この特性でコミュニケーションを取るにはどうしたらいいか?

ここに焦点を当てるんです。

そうすると、聞こえないことが、「良い悪い」という判断基準ではなくなります。

「聞こえない」⇒だからどうやってコミュニケーションを取れるようにしていくのか?

課題解決のサイクルに入っていきます。

良い悪いの判断基準では、同じ場所で右に振れるか左に振れるか行ったり来たりするだけです。
課題解決のサイクルに入れば、一歩ずつ前に進んでいけます。

これには、僕は見通しが必要と思っています。

難聴は個々に様々でモデルケースは当てはまりませんが、それでも、ある一人の難聴児のケースでも、そのたどっていった過程を見ることで、希望が見えると思うんです。

療育開始時期や聴力の程度によってもちろん変わりますが、じゃあ、どうするか?そこは専門のSTさんと相談しながら進めていくことになります。

ただ、見通しがある程度見えて、今自分がやるべきことがわかってくると、コミュニケーションが取れるようになるために動き出すことになります。
そうすると、かわいそうだと思う暇がなくなるくらい忙しくなることもあるし、そんなこと考える隙もないくらい、子どもと楽しい時間を過ごすこともできるようになります。

特に0歳児の療育は親子の信頼関係づくりですから、純粋に子ども遊びの時間を楽しんでいいんです。

実際、楽しいですよ^^

診断直後はショックを受けるのも当然だし、かわいそうだと思ってしまったり、聞こえないことが悪いことだと思ってしまうのは当然の反応だと思います。

でも、その思いのまま過ごすのは親子にとって良くありません。

聞こえないのであれば、どのようにすればコミュニケーションが取れるようになるのか?
我が子はどの選択が合っているのか?
どういう見通しがあるのか?

そういうことがわかってくると、自然と聞こえないことがかわいそうなことではないとわかってくると思います。

つまり、コミュニケーションを取れる方法はあるとわかるわけですね。
こうなると、随分見え方は違ってくると思います。

なので、早い時期に、療育をすることの見通しが見えればいいなと思います。

おススメは、療育センターの5歳児さんを見ることです。

身近な難聴のお兄ちゃんお姉ちゃんがコミュニケーションを取っている姿は、まさに大きな希望です。

それと、よければ、この療育過程例もご請求ください。


先天性難聴の子は、よくこういうことを言うようです。

「聞こえないのが私だから」

これが本人の認識です。
(もちろん、個人差はありますが)

だったら、聞こえないあなたとどうやってコミュニケーションを取ろうか?
そのためには何から始める?

そこに焦点を当てた方が双方前向きに楽しく生きていけるんですよね。

渦中にあると、そう言われても飲みこめないと思いますが、まずは頭の片隅にでも置いてもらえればと思います。

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