ばあちゃんが教えてくれた共生社会の本質
皆さん、こんにちは。
岩尾です。
言葉のかけはしは、「聞こえの共生社会」を目指しています。
聞こえる人も、
聞こえない人も
聞こえづらい人も
共に楽しく過ごせる社会です。
これは非常にとてつもないことではあります。
それは重々承知ですが、だからこそ、かけはしは、かけはしのできることを少しずつやっていきたいと活動しています。
では、かけはしとしてまず何をやっていきたいのかというと、
「聞こえづらさに配慮したコミュニケーションを、多くの人が普通にとれるようにしたい」
ということです。
「聞こえづらい」ということは、想像する以上に大変なことです。
ですが、これが理解されづらいのです。
聞こえているときもあります。
また、上手に話せる人もいます。
そして、普通に動いているように見えます。
そうなると、「大丈夫そうだな」と思って、あまり配慮されなくなります。
そこで、何度か再度配慮のお願いをしたとしても、
「ちゃんとやれているのに、そこまでするのは面倒だ」と思ってしまうのかもしれませんが、配慮が途絶えてしまうことが多いようです。
そうなると、やはり聞こえていないことが多々出てくるので、やるべきことをやっていなかったり、言われたことをできていなかったりということが起こります。
そうなると、「あいつはダメな奴だ」と見られることもあります。
こなってしまうと、関係性がよくなるはずもありません。
また、こちら側としても、聞こえないけど、何回も話をさえぎって聞き直すのも悪いと思ってしまい、流してしまうこともあります。
聞き直しづらいんですよね。
ただ、何度も聞き直しても、おそらく、「後で教えるから」と、後回しにされることがほとんどでしょう。
このようなことから、聞こえづらい人たちは、「ディスカッション(議論)ができない」という悩みもあります。
議論したいですよね。
学校や会社で何かを決める時、
仕事でいろんなアイディアを出し合い何かを企画する時。
こういうときに、後で議事録をもらっても意味がありません。
(もちろん、もらわないよりはいいのですが)
一緒に議論して、意見を出し合って、一緒に決めたいですよね。
贅沢なことでも、わがままなことでもありません。
ごくごく普通のことです。
こういうことが、なかなかできていない現状があります。
つまり、会話をリアルタイムで気兼ねなくできるようにしていきたいのです。
これには、音声文字変換アプリなど、テクノロジーの開発も必要でしょう。
でも、そのようなテクニカルなことはうちではできませんし、他にやってらっしゃるプロがいます。
だから、かけはしとしては、
聞こえにくい人と話す時は、なるべく聞こえやすいように話すことを普通にする。
気兼ねなく聞き返せるし、快く何度も答えてくれることを普通にする。
そのために、一度の言い直しで理解できるようなやり方を拡げていく。
まずは、ここからやっていきたいと考えています。
もちろん、手話でのコミュニケーションも気兼ねなくできるようにしたい思いはありますが、まずはうちができるのはここからと考えています。
テクノロジーの浸透は円滑なコミュニケーションを後押しします。
しかし、いくら素晴らしいテクノロジーがあったとしても、それを使おうと思う気持ちがなければ活かせません。
また、使おうとは思っても、どう使っていいのかわからないとなると、これもまた活かせません。
根底には、聞こえがどうであろうと、「お互いに楽しくコミュニケーションを取りたい」と思う気持ちがあることが必要だと思います。
もちろん、何も考えず使うだけで意思疎通が図れるというものすごいツールがあれば、別に「お互いに楽しくコミュニケーションを取りたい」と思わなくても、ツールを使うだけで意思疎通が図れるかもしれません。
これはこれでいいのかもしれませんが、まだこのようなツールはないですし、まず気持ちがあって、そしてツールを組み合わせることで、かなりコミュニケーションを取れる機会は増えるはずなんです。
例えば、車いすを使う方は、エレベーターがない階段だけの建物の4階には行けないでしょうか?
エレベーターがなくても、手伝ってくれる人がいれば行けます。
もちろん労力は必要ですし、エレベーターがあった方が便利ですが。
周りの人のちょっとした協力で、ある程度できることは増えます。
この意識が根付けば、随分助かる人は増えるんです。
まずかここかなと思います。
共生社会を語る時、ユニバーサルデザインやアクセシビリティといった言葉が出てきます。
誰もが使いやすい、誰もが過ごしやすくなる。
その考えは僕も好きですし、聞こえの共生社会が実現できれば、聞こえる人にとっても便利になります。
でも、まずは、今困っている人がいるので、そこを協力して、少しでも過ごしやすくしませんか?というのが、かけはしの主張です。
多くの人に興味を持ってもらうために、聞こえる人にとってもいいことですよと言う時はあります。
でも、根本は、今困っている人が実際にいるので、それをもう少しだけでも過ごしやすくしたいんです。
聞こえやすいように前から、口を見せてはっきり話す。
聞き直されたら快く言い直す。
複数人いるときは、1人ずつ話す。
どんなささいなことでも、聞き返されたら説明する。
(話の流れにさほど関係ないことでも、「わからなくても大丈夫なことだよ」と言われて言い直しをしてもらえないのは、疎外感を感じ寂しいことです)
これだけでもすごく有難いです。
これだけなら、知っていればできることで、それほどの負担にはならないはずです。
もちろん、何度も言い直しに答えるのは負担に感じることもあると思います。
でも、情報がわからないままずっと過ごすことの方が多大な負担になります。
通りすがりの人なら、そこまでできなくても仕方ないかもしれません。
でも、友達なら、仲間なら、顔見知りなら、気持ちよく話ができた方がいいですよね。
ちなみに、聞き返しに1回でわかってもらえる答え方というのもあります。
そういうことをどんどん広めていきたいと思っています。
余談ですが、今朝、うちのばあちゃんが亡くなりました。
ケガで入院し、コロナの拡大対策のための面会謝絶、制限が追い打ちをかけ、ほとんど面会できなくなってから長いので、大往生とは言い難いですが、天寿を全うしました。
うちのばあちゃんの家は道路に面してなく、車が通れない道を抜けていく場所にあります。
そのため、買い手がつかないようで、どうも売れないようです。
持ったままだと多額の固定資産税、相続税だけは取られていきます。
相続放棄するにも、建物は壊さないといけないのですが、壊す車両が入りません。
どうしようかうちの親もいろいろ相談したけど打つ手がなく悩んでいたようですが、今回ばあちゃんが亡くなって、お寺さんに供養をお願いしたところ、そのお寺さんが、うちのばあちゃんには生前良くしてもらったからと、ばあちゃんとこの土地を買ってくれると言ってくれたようです。
普通あり得ないです。
いくら良くしてくれたからといって、こんな買い手が付かないような物件を買ってくれるなんてこと、そうそうあるもんじゃありません。
本当に有難いことで、心から感謝しています。
そして、ばあちゃんがその地域でどんなふうに生きてきたのかがよくわかりました。
決して金銭や物で付き合ってきたわけではありません。
ばあちゃんの生きてきた“様”の結果なのです。
これが、まさに“共生”だなと思いました。
お互いに楽しく過ごしていく。
時には助け合って生きていく。
人は誰しも1人では生きていけません。
いろんな事情のある人が、地域、地域に住んでいる。
俺は1人で生きていけるという人もいるでしょう。その時点では。
でも、生まれたばかりの頃は当然そうではないし、最後を迎えるときもそうではありません。
そして、明日、自分の身に何が起こるかもわかりません。
だから、みんなが過ごしやすくつながっていくことが大切なんじゃないでしょうか。
そういう地域であれば、誰もが安心して暮らしていけるのではないでしょうか。
一人一人が安心して暮らせる地域は、
子どもは勉強にスポーツに遊びに習い事に思い切り取り組めます。
親も仕事に存分に打ち込めます。
そういう場所が、いろんな可能性を生むはずです。
そんなことを考えました。
だからこそ、僕はかけはしが目指す聞こえの共生社会を、改めて、絶対につくろうと、気持ちを新たにしました。
ばあちゃんがしてきた具体的なことは今となってはわかりませんが、どのように生きてきたのかはわかるつもりです。
気持ち新たに頑張ります。
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