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難聴者がフォローを頼みやすい環境は、組織が成果を上げやすい環境でもある

みなさん、こんにちは!
岩尾です。

難聴の子を持つ家族会を作って、言葉のかけはしという難聴の啓発をする法人を作って、いろいろ見えてきていることがあります。

いろんな話を聞いて、行動してみて、「ここに行き着くな」というキーワードがまた出まして、それが、
「難聴者がフォローを頼みにくい環境になっている」
ということです。

これもですね、本当に様々なところからここに行き着いています。

・そもそも周りの人が知らない
・聞こえないことが、さほどでもないだろうと多くの人に思われている
・お願いされても、手間だと感じてやらずに何となくスルーする
・実際、モノや知識がないとできないこともある
・本人自身が、頼むのが申し訳ない、迷惑をかけると思っている
・本人自身が、仕方ないと思ってしまっている

かなりのハードルだなということは感じますが、これも本当に人次第。
知らなくても、言えば親身になって聞いてくれる人もいます。
なので、やはり知ってもらうこと、知る機会を増やしていくことは本当に重要だと思います。

そして、知ったとしても、「聞こえない」ということ自体が、さほどでもないだろうと捉えららえると、やはりフォローがおざなりになってしまう。
これは結構多いと思ってまして、僕の感覚では、
「なんとなくスルーされる」ことが多いような気がします。

ここは、繰り返し伝えていくか、よっぽどのインパクトをもった伝え方をするか、もしくはそういう出来事に出会うかしかないかなと思いますが、スルーされると、再度頼むって、結構メンタル要りますよね。

僕は何度でも言いますけど、それでも、「また言わんといけんのか・・・きついな・・・やってくださいよ・・・」と思うことはあります(笑)

これは、染みついた誤解が常識化している弊害だなと思います。

つい最近、ニュース・エブリィで、そらいろ・かけはしを取材してくれた放送を流してもらいましたが、それをSNSでも流してくれ、すごい数のいいね!をいただいてまして、大変に有難いのですが、書き込んでくれたコメントを見ると、まだまだ正しい理解が足りてない、社会の多くの人の認識はこうなんだろうなと感じます。

おそらく、励ましてくれているコメントだとは思うのですが、聞こえなくても目や他の感覚があるよねというのは、なかなかそれだけじゃ簡単にいかないんですね。

やっぱり、お互いの協力がないと難しいんです。
でもあのコメントや、他に身の回りで起こっていることなどを見ると、無意識的に、「聞こえない」ということは軽く見られがちで、それが定着しているのかなということを強く感じます。

でも、重く見られたいわけではないんです。
ただ、本人の努力だけでは、聞こえないことをプラスマイナス0にはできないんです。
周りの協力が不可欠なんです。
周りの協力、お互いの協力があって、スタートラインに立てるんです。

「目で見て頑張れ」と言うのは、無意識的に、本人が頑張ればなんとかなるだろうということがある気がしますし、「見えないことに比べれば大したことはない」と思われている人も多い気がします。

これは、たまに僕も言われるんです。
「でも、見えないよりはいいよね」と。

これに関しては、どちらが良いとか悪いとか言える立場に僕はありませんし、本質的にもどちらが良いも悪いもないと思っています。

どちらにも、不便はあって、お互いのフォローがあって、スタートラインに立てるわけです。

ちなみに、ヘレン・ケラーは、三重苦と呼ばれていますが、その中から神様が一つだけできるようにしてあげる言ったら、何をしたいかという問いに、
「聞こえるようになりたい」と答えたという逸話があります。

これも、本当かどうかはわかりませんが、その時に、カントの言葉を引用したと言われています。

「目が見えないことは、人と物とを切り離す。
耳が聞こえないことは、人と人とを切り離す」

だからといって、見えないより聞こえない方が辛いと言いたいわけではありません。

何の状態にも不便はあって、お互いのフォローがないと、いずれにしても辛いことになるということです。

こういうことを比べるのはナンセンスです。
でも、多くの人は、聞こえないぐらいはさほどでもないと無意識的には感じているんだろうなと、いろんな場面で思うことがあります。

実際は、聞こえなくて、何のフォローもないと、これはもう生活ができません。
コミュニケーションが取れなくなるんです。

生きていけますか?
誰とも、家族とも、友達とも、誰ともコミュニケーションが取れなくて、生きていけますか?

そういうことなんです。

といっても、なかなかイメージすることが難しいのですが、ここを変えていかないことには、やはり聞こえのフォローが当たり前の社会にはなりませんね。
定着した意識を変えていくということは、本当に難題ですが、僕は残りの人生全てを懸けて少しでも変えていきたいと思っています。


あとは、本人の意識も大きなところです。
これは実は根深くて、初めに言いますが、本人が悪いわけではありません。

幼いころから、聞こえのフォローを頼むという場面に出会ってないと、そういうことが一般的とは思えません。

ましてや、日本人はどちらかというと謙虚な民族です。
相手に手間をかけさせることを良しとしないことが多いです。
「自分だけ特別扱いしてもらうわけにはいかない」と思ってしまうんです。

でも、当然ながら、これは特別扱いではありません。
聞こえないから、こういうフォローがほしいですというのは、スタートラインに並ぶためのものです。
特別扱いではなく、正当で自然なことです。

ただ、幼いころからこういう経験をしていないと、いざやろうとしたときになかなかやれないんです。

それは、働く時に、どうしても向き合わなければいけないこととして現れます。

学生時代は、聞こえないけど、言えないとしたら、それは、多くが自分に返ってくるだけです。
だけと言ったのは、周りに影響はないという意味で、聞こえのフォローがなければ、大きな不利益を被ってしまいます。

もちろん、学生時代でも、聞こえないことをそのままにして、周りに迷惑をかけることになることもあるでしょう。

でも、仕事では学生時代とは比べものにならないほど大きな責任が伴ってきます。
ここを避けては通れなくなるのです。

ちょうど、先日、難聴者のための就職支援セミナーの第2期が終わったところですが、中度の難聴の方で、今までは難聴のことを言わないでも仕事ができていたけど、どうしても聞こえない声の人が出てきて、難聴のことを言った方がいいのか?と悩まれている方がいました。

その方が言うのは、
「私だけ特別扱いしてもらうわけにはいかない」
「手間を取らせるのが申し訳ない」

ということでした。

幼いころから聞こえのフォローを経験してないと、やはりそう考えてしまうのは当然です。

手間かどうかで考えると、
事象だけを見ると、それは手間が増えるということになるでしょう。

でも、聞こえないのフォローをしないで仕事を進めていくと、聞こえないでわからない部分が出てきます。
こうなると、当然ミスにつながりますので、大変な惨事になるかもしれないし、大きな二度手間になるかもしれないわけです。

だとしたら、事前に手間はかかったとしても、文字を使ったり、アプリを使ったりして確実に意思疎通をしておいた方が、効率も成果もいいわけです。

じゃあ、やっぱり難聴者は採用しない方がいいじゃないかと思われるあなた、それは早計です。

まずは、その人個人の能力を見ていただきたいです。
難聴者は、聞こえないがゆえに突出した力を持っています。
観察力や人を気づかう力、感性の違いなど、聞こえる人にはない力を持っている人が多いです。

その力を活かせば、大きく事業発展に貢献できるわけです。
そういうことができるはずなので、まずは、その人個人の力、能力を見てください。

そうすれば、少し手間をかけても、余りあるリターンをもたらす人財なら、採用した方がいいわけですよね。

そしてもう一つ。

障害など特別なニーズを持つ人のいるチームは業務のパフォーマンスを向上させるという研究結果もあります。

これは、弱さをさらしていいんだという心理的安全性が高まり、人間関係の改善、コミュニケーションの活性化などが起こり、みんなが働きやすくなるといった効果が見られているようです。

難聴に関して言えば、視覚化することでミスを防ぐことにもつながりますし、視覚化することで、より頭の中も整理されて、洗練されたアイディアも出しやすくなるんじゃないかとも思います。

スーパースターだけを集めたチームが、なぜか勝てない。
スポーツの世界でもありますよね。

チームマネジメントとしては、補完型チームが最も生産性が高いというアメリカの海兵隊での実験結果もあります。

これは、人の特性に注目して分けたもので、難聴者がどうとかには結びつきませんが、いろんなタイプがいる補完型チームの方が、同質集団よりも高い生産性を出していますので、いろんなタイプの人をチームに迎え入れることは、事業発展にもつながるわけです。

また、今からの時代は特にですが、難聴者など、特別なニーズを持つ人たちを積極的にチームに入れている会社は、他の求職者からも、顧客からも地域からも評価は上がるはずで、良い人財が集まるし、良い顧客も増えていくはずです。

これをやらない手はありません。

ただし、当たり前ですが、
障害を持つ人を雇用しただけでチームの成果が上がるわけではもちろんありません。

メンバーが過ごしやすい環境をつくっていくことで、よりよいチームになっていくわけです。

難聴に関しては、かけはしがしっかりとコミュニケーション環境を整えるサポートをします。

ぜひ、企業のみなさま、難聴者の採用を考えてみてください。
障害者雇用とはならない手帳を持ってない人の採用でも、法定雇用率達成が必要な会社であればカウントにはなりませんが、事業発展に貢献できる力を持った人は多くいます。

業種によっては人が足りないという状況が続いて久しいですが、なかなか応募先がない難聴者も多くいます。

灯台下暗しです。

御社の事業を発展させる力を持った人財は、結構います。

ぜひ、難聴者の採用を考えられてください。
そして、かけはしはいつでもサポートします!


このようなことで、今の社会は、難聴者も聞こえのフォローを頼みにくいし、頼まれた方も、あまり重要性を感じていなかったり、手間だなと思ったりで、なかなか進んでない形になってるなと感じています。

なので、少しずつ聞こえのフォローをできる人を増やし、聞こえのフォローを見せることで一般的にして、お互い、聞こえのフォローが当たり前になるように、コンビニ行って、「弁当あっためてください」と言うかのごとく、ごくごく日常的なものにしていきたいと思っています。

ぜひ、みんなで聞こえのフォロー、拡げていきましょう!

言葉のかけはしの記事、活動に共感いただきましたら、ぜひ、サポートをお願いします! いただいたサポートは、難聴の啓発活動に使わせていただきます。 難聴の子どもたち、難聴者と企業双方の発展、そして聞こえの共生社会の実現のため、どうぞよろしくお願いします!