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【斜め読み】クレー「造形思考」#1

こんにちは,kotoyomiです。

私は現在,大学院で教科教育学を専攻しています。
専攻分野上,社会や政治について考えることは多いのですが,そうした社会との相互作用を生み出す芸術や美学には,あまり触れてきませんでした。そこで,私がいくつか書店で出会った書籍(著名なものから,そうでないものまで)を読んでいこうと思っています。

初回は,パウル・クレー(2016)『造形思考 上・下』ちくま学芸文庫,を読んでいこうと思います。もしご興味あれば,お付き合いください。

1.パウル・クレー(Paul Klee)とは?

クレーは,20世紀を代表する芸術家の一人です。
カンディンスキーらとともに「青騎士Blaue Reiter」と呼ばれる芸術家サークルを結成し,ドイツ・バウハウスでも教鞭をとった人物でもあります。また,彼の作品は数多くの思想家・芸術家に愛され,時にはその死の間際まで側に置かれていたという話も残っているほどです。

この記事で扱う『造形思考』は,造形やフォルムに関するクレーの考え方が整理されており,フォルムの相関関係に取り組んできた彼の思考に触れることができる書籍となっています。

2.永遠の博物史-生命力の作用-

(1)造形することと,カオスという無,そして原性格としての灰色
何かを造形する,ということは何でしょうか。
  -好きな風景を絵で切り取るとき,
  -与えられた色でない,それに合う色をつくるとき,
  -あるいは,何か心動かされるものに出会ったとき。

そうした瞬間に私たちは,「自然」のものを「人工」のものへと置換します。
クレーはこの瞬間,何かが変わる以前をカオス(Chaos; 混沌)と呼ぶことで,フォルム形成における原過程への考察を可能にしました。

カオスとは,事物の秩序のない状態,入り乱れた状態を指す(p.68)。
対立概念としてのカオスは,本来の,本当に真実のカオスではなく,宇宙という概念に対して区域的に規定された概念である…(中略)…この「非概念」である真のカオスを現す,造形的象徴は,真に点でない点,いわば数学的な点にある。無に近いあるもの,あるいは存在するかもしれぬ無は,もともと対立概念をもたぬ非概念的な概念なのである(p.57)。

物事には,すべて始まりが存在します。
そして,私たちはその物事を理解する際に「秩序だって」理解しようと努めます。

では,それ以前とは何でしょうか。
クレーは「無に近いあるもの,あるいは存在するかもしれぬ無」のことを,灰色と表現しました。灰色は,それ自体暖色でもなく寒色でもなく,次元を持たない点としてものごとを集約する原性格が付与される点だと述べています。

灰色は,生成と死滅によっての運命的な点 -灰色の点に他ならない。
この点は,黒でもなく白でもないから,あるいは白でもあり黒でもあるから,灰色なのである…(中略)…この点から,こうして秩序が目覚め,あらゆる次元へ放射することも事実である(pp.58-59)。

この灰色(でありカオス)を契機として,あらゆる始まりが起こるとクレーは考えていました。では,なぜ彼は造形においてカオスを,無を,そして灰色を,考察の対象としたのでしょうか。


(2)自然の秩序と,人工の秩序
そこで,何かを造形すること。つまり,「自然」のものを「人工」のものへと置換すること議論が立ち返ってきます。絵を描くという行為上では,「自然」にあるものを「人工」の絵というものに変換することが常に行われています。クレーは,こうした行為の解明のために,この概念を援用したと言えます。

分かりやすい事例に,夕焼けがあります。
夕焼けの空には,何とも形容しがたい美しさがありますよね。一度は,この刻一刻と変容する風景を描こうと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。

こうした自然光のもとでは,分解のできないクレッシェンドディミヌエンドが存在し,微妙なニュアンスが相互に,そして対立的に重なり合う,とクレーは述べます。線とも面とも呼べない空間上の相互作用が広がる自然を自然の秩序と呼び,この流動をいかに表現するか,は非常に困難な問いです。

そこで,クレーは「自然の秩序」に対置する人工の秩序を設定しています。

もとより貧しいものだが,知覚し得るという点では,明快である。
まず,わたしたちの興味を惹くのは,明暗の色階に現れた両極間の無限に多様な色価であろう。たとえば,わたしたちが闇から光の源泉に向って上昇していくとき,極から極への上昇のこれ以上ない大きさやひろがりを感じる。下方には地下の暗い輪,中間はまるで水面下のようなおぼろげな影,そして上方は眼を射る鋭い明るさといった具合に(p.70)。

灰色を中心として,どんなものにも優越する光と,それに対抗しうる黒。つまり,この明から暗の二極間にあって,その均衡を保つ必要が私たちにはあるとクレーは述べている。それをもとに,「自然の秩序」にあっては知覚できないものも,人工の秩序(例えば,色階や重さといった測定可能なもの)に置換することによって,表現が可能になるというのです。

《夕べ,夜と昼の分かれ目》1922,79(水彩)

原性格である灰色,カオス以後の状態では,白から黒への運動が起こります。
そこに起こる極から極への流動という秩序を,クレーは上記の作品《夕べ,夜と昼の分かれ目》で表現することを試みました。

ものごとの始まり以前は,カオスであるものの,二極間(ここでいう明暗)の相互作用が起こるとそれは生長となり崩壊へと繋がっていきます。クレーはこうした動きをで表現し,視覚可能なものと設定しました。この線の存在によって,表現されるフォルムは新たに組成されるか,それとも移動の契機をはらむか,という運動がもたらされます。

つまり,造形することは「自然の秩序」を「人工の秩序」に置換しつつ,いかに相互作用を美術的な表現形式に落とし込むかという行為そのものだと言えます。


3.小括にかえて-ものごとの始まり以前に立ち返ること-

私自身,これまで(クレーのような)芸術作品に触れたとしても,いまいち意味を掴みにくく嫌厭していました。それ自体が一体どのような美的実践なのか,素人目には判別しにくいものだと思います。しかし,今回扱った「永遠の博物史-生命力の作用-」で登場したカオスや,自然の秩序,人工の秩序といった概念に立ち寄ることで,クレーが意図するところに少しは近付けたような気がします。

私たちの世界は,様々な相互作用の下で成り立っています。

しかしそれ自体に眼を向けるだけでなく,それ以前のこと,ものごとの始まり以前〈カオス〉に立ち返ることで,描き出そうとする世界(フォルム)を理解しやすくなるのかもしれません。混沌から運動へ,そしてまた融合へと流動しつづける世界を十分に理解するには,まだ当分かかりそうです。


kotoyomi.

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