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【陰の人生#07】洗礼と恋愛

 私は18歳を迎えると同時に父に宗教復帰宣言をし、高校を卒業して社会人にもなりました。
 順風満帆だった高校生活とは裏腹に、私は再びガタガタと体調を崩しメンタルまでやられ出しました。

 人によっては、自身の苦しい思い出などとリンクするかも知れません。どうか、心が元気な時に読んでください。
 また、うっかり読んで気持ちが暗く落ち込んでしまったら、早急にお笑いなどを摂取されますことをオススメします。

洗礼

 「洗礼」と聞くとどういうイメージがあるでしょうか。赤ちゃんの額に聖水をかける司祭さま、みたいなイメージが一般的かな?と思います。
 私の所属する宗教団体では、赤ちゃんではなく、聖書の教義を充分理解し他者に説明出来るレベルの精神的大人になってから、洗礼を受けることが許されました。
 ダークホースwwwだった私は、集会復帰後半年ともうちょっと経ったくらいに受けることを許されました。

 「洗礼」は日常的には行われておらず、年に数回開催される「大会」と呼ばれる、集会よりも大きな集まりでのみ行われました。

 我家ではもはや毎年の恒例行事のようなものでしたが、父は相変わらず強硬に反対し、母と私を大会に行かせまいと頑張りました。
 別に「洗礼を受ける」と父に宣言したわけでもないのに、虫が騒ぐというやつでしょうか、母の時は家を追い出されましたが、私の時は家に閉じ込められました。

 その日、父は母が寝ている2階の寝室のドアの前に横になり眠っていました。ドアが開けられないように、です。
 その当時、2階ではなく1階の和室が私の部屋になっていました。父がマークしているのは母だけでした。母が行けなければ私も大会に行かないだろう、とでも思っていたようです。私は父が眠る早朝の内に速やかに支度をし、玄関だと音でバレると思い自室の窓からそっと忍び出、電車で無事に大会会場へ辿り着くことが出来ました。母のことは心配でしたが、今回はとりあえず自分です。
 気分としては、敵を前に身を張る仲間を背に「…死ぬなよっ」(キリッ)って走り出す、あのシーンです。どのシーンですか。

 母は昼頃、大会会場に到着しました。私の洗礼の時間には確か間に合ったと思います。

 何と、恐ろしいことに、ドアが開かなかった母は


 ベランダを伝って脱出していたのです!


 今現在アラフィフの私より若かったとは言え、身軽とは言えない体型・アクティブとは言い難い運動神経の持ち主でした。
 落ちなくて良かったと、今になって心から思います。

 いのちだいじに、のコマンド入力したくなります。もちろん、この母の行動は我が地域コミュニティでの伝説となり、それ以後、聖書のお勉強を始めた方がどんなにご主人に反対されたとしても、あの人に比べたらまだまだ、と言われるようになりました。
 全く以て、迷惑な家族です。

初恋くんとの再会

 以前にもお話致しましたが、中学時代に大好きだったクラスメイトのオタクくんがいました。私が某アニメの話題を共有したいと躍起になっていた彼です。仮に初恋くんと表記します。
 彼の家に遊びに行かせてもらって(ちなみに男女複数人でした)初恋くんそっちのけで「死神くん(えんどコイチ・作)」という漫画を読破し大号泣したのも良い思い出です。(良いのか?)

 普通の明るい家庭に育って、デブスでなければ、この時もうちょっと違う展開もあったかも知れませんが、この後すぐに私はこじらせ不登校に陥りました。
 色々とちょっとアレな私にも普通に接してくれる、親切な良い子でした。

 それはさておき。

 社会人になって電車通勤をしていた際、たまたま乗った車両でばったりと再会したのは大学生になった初恋くんでした。

 小学生時代からの仲良し女子と、初恋くんを含む男子数人とは、いわゆるオタク仲間でグループでつるむことも多かったです。(私、不登校でしたけど)
 再会した初恋くんと安価に普及し出したばかりの携帯電話の番号を交換し、仲間とも共有しました。

 しばらくは朝の通勤電車で会って話すのを楽しみに出社しました。とは言え時間や車両を約束するわけでもなく、会えたらラッキー、くらいの感じでした。
 初恋くんは2年生になる頃から、大学への電車通学が大変になってきた、ということで大学近くで一人暮らしを始めました。

 私の方は私の方でメンタルを壊してしまったのか会社勤めが辛くなり始めており、辞める決意をしました。このままずるずると遅刻や欠勤を重ねて不名誉な終わり方になるよりは、すっぱりと「優秀な(アラ明日)ちゃん」のまま会社を去りたい、というせめてもの見栄も働きました。
 辞めた後に社内の友達から漏れ聞いた情報によると、取引のあったデザイン事務所に引抜かれたとか、私のすぐ後に私を可愛がってくれていた係長が辞めたらしく、実は係長が私を連れて他会社に引抜かれたのだとか、そんな噂になっていたらしいです。
 優秀な(アラ明日)ちゃん、のイメージは保たれていました。本当にそうだったら、今頃バリキャリだったかもね。(今書いてて気付いたのですが、私のせいで係長が居辛くなってたりしたんだったらどうしよう… すみませんでした…)

時間は巻き戻せない

 会社を辞めた後、私は宗教活動に専念するために強い反対勢力のいる実家から出ることにしました。
 すぐ近所にアパートを借り、母も、父に見付かると捨てられてしまう宗教関係の書籍を置いたりして、言わば我々の宗教活動拠点となりました。

 しかし、会社を辞めても私のメンタル不調は治ることなく、一人暮らしともなると尚更生活は自堕落になり、昼夜逆転を余儀なくされました。
 伝道活動と集会だけは何とか行く、という感じでした。

 そして、夜中の1時2時くらいになると、どうしても我慢出来ずに、電話していたのです。
 そう、初恋くんに。
 メンヘラです。完全になんちゃってメンヘラの所業です。
 迷惑に違いない、という頭はさすがにありました。「ごめんね、まだ起きてる?」が挨拶でした。初恋くんは必ず「大丈夫」と言ってくれました。きっと、寝ていた日もあったと思います。
 日常の他愛のない話をすると、安心して眠れました。

 中学の時の思い出話でもしたのだったのかも知れません。どういう流れだったのかは思い出せないのですが、ある日、初恋くんが言ってくれました。
「ちゃんと、付き合おう」って。
 聞こえていたのに、私は思わず「え?」と聞こえないふりをしました。
 多分、勇気がいることだったと思うんです。だけど、もう一度、言ってくれました。

 既に、洗礼を受けた身でした。
 その態で、ずるずると初恋くんへの思いを引きずってこうして電話まで掛けているのが許されない事だとは、自覚していました。

 私は、もう一度、聞こえないふりをしてしまいました。

 彼は「もういい」と言って、その日は電話を切ってしまいました。


 多分、人生で一番後悔した夜だったと思います。無邪気に「うん!」と言えたら、どんなに楽だっただろう、と、朝まで泣き通しました。


 どのくらい後日だったかは、もう覚えていません。ただ、後日、私はもう一度電話をしました。
 話の内容は、聖書の話でした。
 私が信じていること、将来起きるであろうとされていること、それらを一生懸命話しました。
 彼は一言、言いました。

「ふぅん…、それで、信じてるんだ?」と。

 ああ終わったな、と思った瞬間でした。
「ごめんね、もう、電話しないね」
 精一杯、それだけ言って、電話を切りました。今までのお礼とか、ちゃんと伝えれば良かった。思えば中学時代からたくさん迷惑も心配も掛けただろうに。そうは思いましたが、この時はこれが口から出せる精一杯の言葉でした。

 初恋くんとの事は、これっきりでした。

 友達としては繋がっていたので全く顔を合わせない訳ではありませんでしたが、これ以降、二人きりで会うことも電話をすることもありませんでした。
 仲間からは、25歳くらいの頃に結婚したと聞きました。もう、四半世紀以上も昔の事になります。

 過分に脚色も美化も含まれて原型がないかもしれません。

 初恋くんはバイク乗りで、一度バイクを見せてもらったことがあります。跨がらせてもらいましたが、私の短い足は地面に届きませんでした。

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