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【自己紹介】何者かにならなくてはならないという呪い

 子供の頃の私は、絵を描く職種に就きたいと考えていた。
 何故かといえば、もちろん、絵を描くのが大好きだったからである。勉強もせず、運動もせず、毎日夕方5時くらいから3時間ほどアニメを見、ただひたすらお絵描きと妄想に勤しんでいた。

 大人になったら、何になりたい?

 大人は今も昔も、無邪気に子供達にそう問い掛ける。それが呪いの言葉であることにも気付かずに。
 私の幼少期は、未就学女児が「お嫁さん」や「お母さん」と答えるのも珍しくはない昭和中〜後期時代だったが、小学生になる頃にはその問いが「職業」を指すものだと察して、各々なりたい職業について考え始めた。
 男女平等が叫ばれ、社会への女性進出が推奨され、何をするのかも良く分からないまま「キャリアウーマン」という肩書きに憧れた。
 その当時、なりたい職業に男の子が「サラリーマン」と答えると笑いが取れた。もう少し後の時代になるとそれが「公務員」になった。
 そんな私はアラフィフだ。

 私がなりたい職業として答えていたのは「イラストレーター」である。何となく、横文字で響きがカッコ良かったから。人前で発表しても、ギリギリ引かれないラインだと思っていた。
 その実、心の中で漠然となりたいと思っていた職業は「漫画家」。

 私はオタクだった。
 オタク迫害全盛期とも言える時代に生きた、オープンオタクだった。その私が「漫画家」と答えると、クラスの一部の意地悪なメンツがからかってきたりひそひそ話に花を咲かせたりするので、とりあえず、横文字にすることで誤魔化していた。何がどう誤魔化されていたのかは、よく分からないが。

 で、なれたか、というと、なれなかった。
 人生紆余曲折、頑張る合間の息抜きではなくむしろ息抜きの合間に頑張る、みたいな生き方をしている内に、光陰矢の如し、あっという間に健康人生の終盤に差し掛かった。既に老眼がヤバいし、毎朝起きると身体のあちこちが痛い。
 今の私は、時給数百円の工場で同僚のおばちゃん達と世間話に爆笑しながら働き、白髪の混じった髪の毛を振り乱しながら二人の子供を追い回し、インスタ映えもへったくれもない料理を作り、その片付けをする内に何故か日が変わるという脅威の要領の悪さを発揮しながら、人生の夕暮れを迎えている。

 私は「イラストレーター」もしくは「漫画家」になりたかった。でも、なれなかったし、なる努力もほぼほぼしなかった。それなりにあったチャンスも握り潰してきた。

 この「note」の記事を読んでいると、キラキラと輝いて、夢を叶え、「何者」かになっている(もしくはなっていく)方の何と多いことかと驚いた。
 何者かにならなくてはならない、そんな子供の頃の呪いを、思い出した。

 人生も折返し地点を過ぎ自分の人生を振り返ると、あの時もっと頑張っていればもしかしたら何者かになれたのかもしれない、という気もする。

 だがしかし、何者かになれなかったとしても、私は元気だ!
 毎日、大変なことも落ち込むことも悔しかったり悲しかったりすることもあるけれど、ひとまず楽しく明るく笑って過ごせている!

 私と同じように、何者かにならねばならない呪いを受けている人に、特別な何者かにならなくても生きていけるよ、と伝えたい。

 ふと、そんな風に思って、深夜に書き込んでみた。

 どんな記事を書いていくのか、今はまだ漠然としているが、自己紹介を兼ねて、まずは思ったことを書いてみた。
 今後の記事の方向性として、3方向程度、考えている。

1.私が頑張れなかった理由。親の教育と私の性格、宗教2世。
2.二次創作に打ち込んだ日々。嫉妬、傲慢、落胆、怠慢。
3.齢五十にしてようやく絵が上達したい!と純粋に思えるようになった。ネットに転がる上達法に挑戦していく。←一番時間がかかりそう。

 当記事中にも書いておりますが、週5/6時間パート主婦・絶賛子育て中・更には二次創作にもかまけております故、記事が書ける頻度は高くはないかと思いますが、ボチボチ書いていければ良いなと思っております。
 何卒、よろしくお願い致します。

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