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「徳を積む」には2種類あるんじゃないの?と思った話

成功した人、お金持ちになった人はみんな「徳を積んだら良いよ」という。徳を積めば自分に返ってきて、結局自分が幸せになるからって。
ボランティアで人助けをする、道に落ちてるゴミを拾う、公共のトイレ掃除をする。こうして徳を積むことで、回り回って自分が幸せになるんだって。

でもそれって徳っていうかな。 見返りを求めたただの自己満足とはいわないんだろうか。便器をゴシゴシ磨きながら「これをすれば自分がお金持ちになるぞイヒヒ」、ゴミを拾いながら「これをすれば成功するならお安いご用だ!」って思いながらの行動は徳とは言わない気がするんだけど、どうだろ。

反対に「これをやれば相手が喜ぶからやっておこう」と、本当に相手のことを思いながら自分の仕事の範囲を超えたことをやったときや、無意識に人や動物を助けたときに自然と徳が積み上がるんじゃないのかな。

意識的にやる「徳」は徳ではなく単なる見返りを求めた行動であって、無意識でやるのが本当の徳だと思うんだけど。

今朝、ある成功した方の「徳を積めば成功できるよ」という話を聞いていて、トイレ掃除をしよう、ゴミを拾おう、人に親切にしようっていってたんだけど、どうも腑に落ちなくて。

でも大きな会社の社長やお金持ちになっている人がやってきたことといえば、みんな揃って「トイレ掃除をした」「ゴミを拾った」だもんね。徳を積むというのは、見返りを期待しながらでもやる意味があるってことなのかなぁと思ったり。

でも無意識と意識の違いで積める徳にも種類があるんじゃないのかと。「正誤がある」とは言い過ぎかもしれないけど。トイレ掃除をすると喜ばれるけど、結局自分のためを思ってゴシゴシ磨いているならそれは徳とは呼ばないと思う。キレイな徳とそうじゃない徳があるような気がするなぁ。考えすぎかなぁ。何気な~く人の役に立つことをできる人が徳を積んでるって言うんだろうな。


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