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透明人間とセックスした日

駅のホームで電車を待ちながら、じんわりとTシャツに汗が広がるのを感じた初夏のこと。4回も電車を乗り換えて私は好きな人に会いに行った。

***

「風邪をひいているから看病してほしい。」

好きな人からそんな可愛いお願いをされて行かない女が世の中にはいるのだろうか。もはや行かないという選択肢が私にはなかった。

バイトを早上がりさせてもらい、2時間かかる土地まで奇妙な高揚感を胸に電車に揺られた。スタンションポールの横で知らない街並みを眺めながら、彼と会える嬉しさを噛み締める。

「あとどれくらいで着くの?」
「1時間くらい!」
「未来で待ってる」
「すぐ行く、走っていく」

映画のワンシーンをオマージュしたやりとりは、彼と私しか知らない秘密のようで胸が躍った。私も真琴だったらすぐにでも会いに行けたのに。スマホを眺めてはニヤニヤして、早く着けばいいのにと淡い期待を抱きながら時計とにらめっこをしていると、あっという間に1時間がすぎた。

時刻は22時過ぎ、電車で2時間もかかるもはや秘境と言っても過言ではない駅にようやく到着した。変哲もない駅周辺だったけど、好きな人が住んでいる街というフィルターがかかってしまえば、特別感が増してみえる。

頼まれていた物を買いに東口の右手にあるスーパーに行ってカゴを持つと、夢のようなシチュエーションに急に恥ずかしくなって、浮かれながら買い物をした。頼まれていたみかんゼリーと、ついでに清涼飲料水。しばらく悩んだがあっても困らないだろうという考えが私の背中を押した。

ほどなくして合流を果たすと、私たちは駅を背に同じ方向に向かって歩き出した。先ほどまで寝ていたのか髪の毛が変な方向に跳ねているのが可愛らしい。「久しぶりじゃん」「仕事大丈夫なの?」などと、何の気無しに話しはじめた彼は、それなりに元気そうだった。

久しぶりに会ったこともあり、まともに顔を見れないので、平静を装いながら私は足元に向かって話す。緊張しているのを悟られないよう必死に返事をしたが、隠しきれなかったみたいで急に私の顔を覗き込んだりして、からかわれた。

彼が住んでいるという新築のアパートに着いてからも緊張は続く。「適当に座ってよ」と言われたのに、部屋の隅で体育座りをしてしまうほどであった。落ち着かない私の身を案じて「お酒でも飲む?」と笑いながら聞いてきたので、奪い取るかのように受け取り、プルタブを開ける。そのままアルコール度数3%のお酒を豪快に飲み込むと、目の前にある家具やインテリアが目についた。

汚れひとつない白い壁にワックスのかかったフローリング。季節外れのこたつに友人から借りたというギター。7畳には少し大きいセミダブルのベッド。元カノとのプリクラが貼られている冷蔵庫。

今、私は好きな人の家にいる。

そう認識した途端、熱が0.3度くらい上がった気がした。お酒のせいだろうか。これまでの人生で経験したことのないビッグイベントに、私の心臓は激しく脈を打つ。今にも爆発しそうな私を見て、いじらしく思ったのか、急に彼が膝に寝転んできた。彼の体温が肌を通じて伝わってくる。

幸せだった。このまま時間が止まってしまえばいいのにと本気で願った。今地球が滅亡しても後悔はないだろう。しばらくパーマのかかった髪を撫でていると、堪能しきったのか飽きたのかわからない彼と目が合う。

彼は「お風呂入ってくるね、それとも一緒に入る?」と少し照れ臭そうに言って立ち上がったので、私は太ももに残っている温もりを感じながら、心ここにあらずの返事をした。  

***

床でいいのに、と少しの抵抗を見せながら結局彼と同じベッドへ入った。セミダブルのベッドは2人で寝るにはちょうどいいサイズだった。背中から彼の温もりを感じて心地いいが、自分の心臓の速さも伝わってしまわないか不安だった。

「もうちょっとこっちおいでよ」
「わかった」
「こっち向けばいいのに」
「え〜しょうがないなぁ」

お願いされたから従っただけであって、あくまでも自分の意思とは異なるという体で、彼がいる方向へ体を寄せ、向きを変えた。自然と目と目が合い、恥ずかしくて逸らしそうになる。

一瞬の静寂が訪れた後、もう一度彼の方を見ると、どことなく甘い雰囲気になるのを感じた。ふと、私たちは年頃の男女だったのだと、当たり前のことを思い出す。

好きな人に触ってほしい。

祈るような、縋るような思いで、彼を見つめると、彼は「いいの?」と私の気持ちを確かめてきた。答えは決まっている。無言でうなずくと、彼自身も理性が抑えられなくなっていたのか、頬に首筋にと順番に唇を落としていった。

誰かが言っていたけれど、恋って'' 自分のことを性的に見てほしい '' という欲望でしかないらしい。好きな人を目の前にした時、女にしかなれなかった自分を知って、本当にその通りだと思った。

気を遣っているのか唇に触れてこない彼に、私はいじらしくなって触れるか触れないか程度の軽いキスをする。彼は驚いたような喜んだような顔をした後、「どうなっても知らないよ」と少し微笑んでさらに口づけを交わした。次第に舌を絡みあわせ、貪るかのように求めあうと、互いの呼吸が荒くなっていくのを感じた。

彼の手が私の乳房へと伸びる。触れられたり舐められるたびに声にもならない声が漏れた。

快感は自分が自分であることを無くし、他人との境界線を奪っていく。汗や唾液の混じり合った感触にこれ以上のない心地よさを感じ、一つになりたいという言い回しの所以がなんとなくわかったような気がした。

しばらくして、彼の先端を私の中へ入れようとしたが、想像を絶するような痛みが私を襲う。思わず声に出してしまうほどであった。陰部は焼けるように熱い。もう無理だと何度も思ったが、彼の優しい声に耳を傾けているうちに、全部入ったらしく、私たちはなんとか繋がることができた。

「動くよ」

そう彼が言い、ゆっくりと腰を動かし始めると、得体の知れぬ圧迫感が等間隔で押し寄せてきた。

セックスってこんな感じなんだ。最初はそんな気持ちだったと思う。ずっと会いたかった人が目の前にいて、腰を振っているこの状況がただただ不思議でならない。

途中で、体勢を変えたりポジションを変えたりしたが、結局いちばん最初の体位に戻って、互いを求め合った。だんだんと彼の息遣いが荒くなり、ピストンの間隔も短くなっていったので、終わりが近づいていることを知る。

夢にまで見た好きな人とのセックスは、目の前に相手がいるのに手を伸ばしてもちゃんと触れることができなくて、まるで透明人間のようだった。

そんなことを考えていたら、いつの間にか彼は私の目の前からいなくなっていた。直前まで名前を呼びあっていたというのに。おもむろに立ち上がると何も言わずにどこかへ消えてしまったのだ。彼が果てたのかどうかは分からなかった。

こんなシチュエーション、だったからだろうか。

「好き」だとたった二文字の言葉を発するのでさえ憚られた。全てが終わってしまったことに呆然としながら、私はじんわりと感じていた股の痛みを無視して、暗闇の中から下着を探す。

今日が初体験だって分かっていたら、どうせ脱がされるって分かっていても、お気に入りのワンピースに身を包み、買ったばかりのレースの下着を履いていったのに。

部屋の隅に投げ捨てられていた毛玉だらけの下着を拾い、人知れずため息をつく。先ほどまで感じていた温もりも快感も痛みも全部どこかへ消えていき、肌寒さだけが残った。

これは私が透明人間とセックスした日の話。

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