情報を精査する力
ざわつく気持ち
この2週間、かなりメンタルがやられ気味です。私たちの世代で世界がこんなに混乱すること自体考えていなかったことです。遠い国のことのように思えない実感のあるざわつき。ちょうど10年前の3月にも同じような気分になったことを思い出します。戦いや廃墟と化した建物。映像で目の当たりにしてしまうと、ことさらに不条理や現実の厳しさを痛感してしまいます。一日でも早くいい方向に、そして無駄な犠牲が最小限になることを祈るしかないです。
目の当たりという怖さ。
TVのNEWSはもちろんですが、WEB、SNSに至っても戦地の様子がつぶさに見て取れるようになっています。10年前も同様に目を背けたくなるような情報もスマホさえあれば、目の当たりにせざるを得ないです。現実を直視する必要もありますが、見えすぎてしまうことによってネガティブな感情を自ら育てていることも事実です。WEB,スマホの進化はたくさんの情報を我々にもたらしてくれる文明の利器ではありますが、望まない情報も目の当たりしてしまう危険もはらんでいると、この状況の中で改めて感じることになりました。情報が多いに越したことはないのかもしれませんが、その選択をまだできない子供たちなどには、ちゃんとフィルターを掛けてあげる必要もあるのではないでしょうか?
すべてが正しい情報ではないということも。
いわゆるプロパガンダやフェイク動画、この類も一気に広がっています。ここにもかなりの注意が必要ですね。精巧につくられた動画、私も真贋の判断がつかなかったモノもたくさんありました。そこに映し出されているものが、真実なのか?どうか?たくさんの相反する情報が錯綜している中で、一つひとつを精査して、判断していくことが求められています。多数派の情報が正しくて、少数派がフェイク?ではないことが多い。昔は情報を絞ることによって、情報をコントロールするのが常套手段でした。(現在をそれを行おうとしているところもありますが。)現在の手法は、より多くの情報を流す、量で圧倒する。これが現在進行形で行われている情報操作の手法であることを念頭に置いておくことも大事ではないでしょうか?
WEBを生業とする者として。
私たちが生活している現代がとても透明性のある情報化社会だと思っていました。だからこそこのような事態が起こるはずがないと思っていました。でも現実は想像よりもハードなものでした。WEBを生業として情報が商材である私たちが、改めて発信する情報の正確性を担保しなけければならないと思います。SNSによって気軽に情報を発信できる時代です。発信する側のリテラシーもより必要になってきていると今回改めて思った次第です。政治には興味はあまりありませんが、うまく加工されたり、偽りのある情報が、多方面の意図で流れてきている現状があります。受け取り手のリテラシーがとても重要なタイミングです。無頓着ではいられません。我々よりは、意外とデジタルネイティブな若い子たちのほうが、情報の嗅ぎ分けが上手いのかもしれません。
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